【みおとあおい】第百二十四章:消費税―控除を切れば、増税になる―
第百二十四章:消費税―控除を切れば、増税になる―

――インボイス登録圧力の正体――
どうして、取引先が登録を求めるのか
夜。
みおは、片山財務大臣がインボイス制度について答える動画を見ていた。
画面の向こうから、いくつもの言葉が流れてくる。
インボイス登録。
免税事業者。
仕入税額控除。
経過措置。
みおは動画を止めた。
みお:
「インボイス登録って、任意なのよね?」
あおい:
「うん。登録するかどうかは、事業者が判断する。」
みお:
「だったら、どうして取引先から『登録してください』って言われるの?」
あおい:
「未登録の相手から仕入れると、取引先の消費税が増えるからだよ。」
みおは、しばらく黙った。
みお:
「相手が登録していないだけで、どうして自分の税金が増えるのよ?」
あおいは、ノートを開いた。
あおい:
「最初から計算してみよう。」
消費税の基本式
税率10%、すべて税込価格で考える。
消費税は、売上に含まれる税額から、仕入れに含まれる税額を差し引いて計算する。
消費税額 =売上×10/110 -仕入×10/110
つまり、
消費税額 =売上税額- 仕入税額
この「仕入税額を差し引く仕組み」が、仕入税額控除である。
たとえば、課税事業者Cが商品を税込550万円で仕入れ、税込660万円で販売したとする。
B:550万円
↓
C:660万円
売上660万円に含まれる消費税額は、
660万円×10/110=60万円
仕入れ550万円に含まれる消費税額は、
550万円×10/110=50万円
したがって、Cが納める消費税額は、
60万円-50万円=10万円
税抜で見れば、
仕入:500万円
売上:600万円
付加価値:100万円
Cが生み出した付加価値100万円に対して、消費税額は10万円。
付加価値の10%である。
みお:
「ここまでは普通の付加価値税ね。」
あおい:
「うん。仕入税額50万円を全額控除できればね。」
インボイスがないと、何が変わるのか
ここで、Bをインボイス登録していない免税事業者とする。
Bはインボイスを発行できない。
すると、本則課税の課税事業者Cは、Bからの仕入れに対応する税額を、原則として全額控除できない。
ただし、経過措置によって、一定割合までは控除できる。
この控除割合を、ここでは m とする。
8割控除なら、
m=0.8
7割控除なら、
m=0.7
5割控除なら、
m=0.5
3割控除なら、
m=0.3
控除ゼロなら、
m=0
したがって、インボイス未登録事業者から仕入れたCの消費税額は、次の式になる。
消費税額=売上税額-仕入税額×m
みお:
「仕入れがなくなるわけじゃないのね。」
あおい:
「仕入れはちゃんとある。ただ、その仕入れに対応する税額を全部は引けなくなる。」
控除を切ると、何が増えるのか
先ほどの式を、少しだけ変形してみよう。
消費税額=売上税額-仕入税額×m
ここに、仕入税額を一度引いて、同じ額を戻す。
消費税額=売上税額+(-仕入税額+仕入税額)-仕入税額×m
すると、
消費税額=(売上税額-仕入税額)+(仕入税額-仕入税額×m)
さらに整理すると、
消費税額=本来の付加価値税額+(1-m)×仕入税額
最初の、
売上税額-仕入税額
は、全額控除できた場合の本来の付加価値税額である。
その後ろに、
(1-m)×仕入税額
が新たに加算されている。
ここで、仕入税額を T と置く。
T=仕入税額
すると、新たに加算される消費税額は、
T(1-m)
になる。
T(1-m)とは、控除を切られたことで、課税事業者Cの納付税額に新たに加算される消費税額である。
みお:
「運営が控除を切ったら、その切った分がCの税金に加算されるの!?」
あおい:
「全額控除できた場合と比べれば、そうなる。」
8割、7割、5割、3割、そしてゼロ
いつものモデルへ戻ろう。
B:550万円
↓
C:660万円
Cの売上税額は60万円。
Bからの仕入れに対応する税額は50万円。
全額控除できる場合の納付額は、
60万円-50万円=10万円
ここから、控除割合を一段ずつ下げていく。
8割控除
Cが控除できる仕入税額は、
50万円×0.8=40万円
したがって、納付額は、
60万円-40万円=20万円
全額控除の場合より、
20万円-10万円=10万円
増える。
これは、
50万円×(1-0.8)=10万円
と一致する。
7割控除
60万円-50万円×0.7=25万円
全額控除の場合より、
25万円-10万円=15万円
増える。
5割控除
60万円-50万円×0.5=35万円
全額控除の場合より、
35万円-10万円=25万円
増える。
3割控除
60万円-50万円×0.3=45万円
全額控除の場合より、
45万円-10万円=35万円
増える。
控除ゼロ
60万円-0=60万円
全額控除の場合より、
60万円-10万円=50万円
増える。
仕入れは550万円ある。
仕入れに対応する税額も50万円ある。
しかし、税計算では、その50万円を一円も引けない。
その結果、
消費税額=売上税額=60万円
になる。
みお:
「仕入れがあるのに、売上税額を全部納めるの!?」
あおい:
「その仕入れについて控除がゼロならね。」
5割控除で、すでに赤字になる
ここで、Cの本来利益を21万円とする。
全額控除の場合と比べて増える消費税額は、
50万円×(1-m)
だから、Cの利益は、
Cの利益=21万円-50万円×(1-m)
となる。
8割控除なら、
21万円-10万円=11万円
7割控除なら、
21万円-15万円=6万円
5割控除なら、
21万円-25万円=-4万円
3割控除なら、
21万円-35万円=-14万円
控除ゼロなら、
21万円-50万円=-29万円
このモデルでは、5割控除でもう赤字になる。
みお:
「控除ゼロになったら危険なんじゃないのね。」
あおい:
「損益は、その前に壊れることがある。」
損益分岐点は、控除率58%
Cが赤字にならないためには、
21万円≧50万円×(1-m)
でなければならない。
これを解くと、
m≧0.58
となる。
つまり、
このモデルの損益分岐点は、控除率58%。
控除率が58%を下回ると、Cは未登録Bとの取引によって赤字になる。
5割控除が始まった日に、突然困るのではない。
将来、控除割合が5割へ下がると分かった時点で、Cには取引条件を見直す合理的な理由が生まれる。
みお:
「5割になったら逃げるんじゃない。5割になる前に、次の仕入先を探し始めるのね。」
あおい:
「赤字になることが予定されているなら、普通は先に対応するね。」
なぜ取引先は、インボイス登録を求めるのか
ここまで来れば、課税事業者Cが免税事業者Bにインボイス登録を求める理由は単純である。
Bが未登録のままなら、Cには、
T(1-m)
という追加の消費税額が発生する。
Bが登録してインボイスを発行すれば、Cは仕入税額を全額控除できる。
つまり、
Bが登録する
↓
Cが仕入税額控除を確保する
↓
T(1-m)を回避する
↓
Cの利益を守る
という関係になる。
取引先があなたにインボイス登録を求めるのは、あなたから税金を取りたいからではない。
あなたが未登録であることで、自分に追加される税金を避けたいからである。
みお:
「取引先が登録を求めるのは、経理が面倒だからだけじゃなかったのね。」
あおい:
「自分の納付税額が増えるからだよ。」
これは、値引き交渉の範囲なのか
Cが未登録Bとの取引を続けるには、どこかを変えなければならない。
Bにインボイス登録してもらう。
Bに価格を下げてもらう。
Cが販売価格を上げる。
Cが自分の利益で吸収する。
登録済みの別事業者Dへ仕入先を変える。
しかし、控除ゼロでCの追加税額は50万円になる。
Cが従来と同じ損益を維持するには、Bからの仕入価格を、税込550万円から約500万円まで下げてもらわなければならない。
550万円
↓
500万円
50万円の値下げである。
これは、
「少し価格を相談できませんか」
という話ではない。
取引条件の調整ではなく、取引を継続できるかどうかの問題になる。
みお:
「付加価値が税込110万円しかないのに、追加税額が50万円なのよ!?」
あおい:
「Cが本来得るはずだった利益だけでは吸収できないね。」
みお:
「それ、普通の商売できないじゃない!!」
控除ゼロは、取引高税的な世界
全額控除なら、Cの納付額は、
60万円-50万円=10万円
Cが作った付加価値100万円に対して、10万円である。
ところが控除ゼロなら、
60万円-0=60万円
になる。
Cは100万円しか付加価値を作っていないのに、60万円を納付する。
計算だけを見れば、
税抜売上600万円×10%=60万円
となり、税抜仕入500万円が税計算から消えている。
Cだけを見れば、控除ゼロでは計算構造が取引高税と同じになる。
仕入税額控除は、消費税を累積型の取引高税にしないための仕組みでもある。
その控除をゼロにすれば、未登録Bとの取引部分では、付加価値税としての計算構造が失われる。
確認するだけでも、金がかかる
未登録Bとの取引でCに発生するのは、税金だけではない。
経理担当者は確認しなければならない。
この取引先は登録したのか。
登録番号は正しいのか。
登録は現在も有効なのか。
今回は何割控除なのか。
どの会計区分で処理するのか。
経過措置の変更後は、どう設定を変えるのか。
したがって、未登録先との取引にかかるコストは、
未登録先との取引コスト=T(1-m)+事務管理コスト
となる。
登録済みAと、未登録Bがいる。
価格、品質、納期が同じなら、
登録済みA
→ 全額控除できる
→ 処理を標準化しやすい
未登録B
→ 控除不能分が発生する
→ 区分・確認・更新管理が必要
となる。
CがAを選ぶのは、思想ではない。
経営判断である。
未登録であることは、税額だけでなく、管理し続けるコストになる。
激変を緩和する。だが、進む方向は変えない
2026年度税制改正後の控除割合は、次のように段階的に縮小する。
8割
↓
7割
↓
5割
↓
3割
↓
控除ゼロ
財務省は、この見直しについて、
インボイス制度の影響を受ける小規模な国内事業者への配慮として、更なる激変緩和
と説明している。
7割控除は2026年10月から2年間。
5割控除は2028年10月から2年間。
3割控除は2030年10月から1年間。
そして2031年10月以降は、控除ゼロとなる。
財務省が「市場が激変する」と明言したわけではない。
しかし、「更なる激変緩和」が必要だと認識しながら、控除割合を縮小する方向そのものは維持している。
m↓
となれば、
T(1-m)↑
となる。
控除割合が下がるほど、課税事業者Cへ新たに加算される消費税額は増える。
激変を緩和する。
だが、激変を生む方向は変えない。
みお:
「激変するって分かってるから、緩和するんでしょ!?」
あおい:
「影響を緩和しながら、段階的に縮小する設計だね。」
みお:
「進む方向は、そのままじゃない!!」
登録は任意。だが、市場は選ぶ
制度は、免税事業者Bに、
「インボイス登録しなさい」
とは命令しない。
登録は任意である。
しかし、Bが登録しなければ、取引先Cに、
T(1-m)
の追加税額が発生する。
するとCは、自分の損益を守るためにBへ登録を求める。
Bが応じなければ、価格条件を変える。
それも無理なら、登録済みDへ仕事を移す。
インボイス制度は、免税事業者との取引を禁止しない。
ただ、その取引が成立しにくい損益構造を作る。
Bから見れば、選択肢は少しずつ二つに近づいていく。
インボイス登録して、課税事業者中心の取引網に残る。
未登録を維持して、本則課税事業者との取引網から外れていく。
もちろん、すべての免税事業者が市場から消えるわけではない。
一般消費者を相手にするB2C中心の事業者。
買い手が仕入税額控除を必要としない取引。
ほかでは代替できない技術や商品を持つ事業者。
未登録によるコストを上回る価格差がある取引。
そうした事業は残り得る。
しかし、本則課税事業者との継続的なB2B取引では、控除割合が下がるほど、未登録を続ける条件は厳しくなる。
みお:
「法律では任意。でも市場では、強制に近づいていくのね。」
あおい:
「法的な強制と、損益から生じる圧力は別だからね。」

経過措置が、市場を作り替える
控除ゼロになった日から、急に市場が変わるわけではない。
企業は、その前から準備を始める。
次の契約更新をどうするか。
新規発注先は登録済みにするか。
取引先マスターに登録番号を入れるか。
購買システムで未登録先をどう区分するか。
会計ソフトの控除割合をどう変更するか。
登録事業者が増えるほど、未登録事業者のためだけに特別な処理を残す合理性は小さくなる。
人間が毎回、
「未登録だから、やめよう」
と判断する必要さえない。
購買システムや発注ルールが、登録済み事業者を標準ルートにする。
インボイス完全体が完成してから、市場が再編されるのではない。
完成するまでの経過措置そのものが、市場をインボイス対応へ作り替えていく。
Bが仕事を失っても、税額は残る
ここで、もう一つの単純モデルを考える。
Bが税抜100万円の仕事をCから受注していたとする。
その仕事に対応する税額相当分は10万円。
Bは未登録。
Cが7割控除なら、Cが控除できないのは3割である。
10万円×(1-0.7)=3万円
Bとの取引を続ければ、Cが3万円を追加納付する。
では、CがBとの取引をやめ、登録済みDへ同じ税抜100万円の仕事を移したらどうなるだろう。
Dが3割特例を使える小規模個人事業者なら、Dの納付額は売上税額の3割になる。
100万円×10%×30%=3万円
市場で起きたことは大きい。
Bは仕事を失った。
Dは仕事を得た。
Cは仕入税額を全額控除できるようになった。
しかし、この条件を固定した閉じたモデルでは、
Bと取引を続ける
→ Cが3万円を追加納付
Dへ仕事を移す
→ Dが3万円を納付
となる。
納付する事業者は変わった。
仕事の行き先も変わった。
しかし、対応する3万円は残った。
市場は、負担者を選ぶ。
制度は、税額を保存する。
みお:
「Cが払っても、Bが登録して払っても、Dに仕事が移っても……税金は残るの?」
あおい:
「同じ取引額、同じ税率、対応する特例など、条件をそろえた単純モデルならね。」
みお:
「市場では、誰かの仕事が消えてるのに?」
あおい:
「市場構造と、納付される税額は別に動く。」
みお:
「運営だけ、絶対に取りっぱぐれないじゃない!!」

インボイス登録圧力の正体
インボイス制度の挙動は、一本の線でつながる。
仕入税額控除を制限する
↓
T(1-m)が発生する
↓
課税事業者Cの納付税額が増える
↓
Cの利益が削られる
↓
Bへ登録を求める
↓
価格条件を変える
↓
登録済みDへ仕事を移す
↓
登録事業者中心の取引網が太くなる
免税事業者B本人へ、直接登録を命令する必要はない。
未登録Bと取引する課税事業者Cへ、控除不能分を置く。
するとCが、自分の利益を守るために動き始める。
インボイス登録圧力とは、課税事業者Cの損益から発生する市場圧力である。
制度の意図は、数式だけから断定できない。
しかし、控除割合を下げれば、Cに加算される消費税額は増える。
その追加税額がCの利益を超えれば、Cは取引を見直さざるを得ない。
市場排除は、思想から始まるのではない。
損益分岐点から始まる。
みお、街を見る
翌日。
みおは、街を歩いていた。
小さな工務店。
一人で仕事をする職人。
デザイナー。
配送業者。
地域の卸売事業者。
店先を見ても、その事業者がインボイス登録しているかどうかは分からない。
商品にも、仕事にも、登録番号は見えない。
けれど、会社の中では違う。
購買画面に、登録番号の欄がある。
取引先マスターに、登録状況が記録される。
会計ソフトが、控除割合を判定する。
契約更新の前に、番号の有無が確認される。
誰かが、
「この事業者を追い出せ」
と命令したわけではない。
ただ、課税事業者が自分の利益を守ろうとした。
その結果、仕事は少しずつ、登録番号のある方へ流れていく。
みおは、スーパーのレジに立った。
一つの商品が読み取られる。
ピッ。
その商品がここへ届くまでに、いくつの事業者を通ってきたのだろう。
もう一つの商品が読み取られる。
ピッ。
登録した事業者。
登録しなかった事業者。
仕事を残した事業者。
仕事を失った事業者。
控除割合が下がるたびに、取引先は静かに選び直されていく。
もう一度、レジが鳴った。
ピッ。
その音は今日も、
控除を切られた税額が利益へ食い込み、
誰かの取引先が静かに入れ替わる音だった。
ピッ。
その音は今日も、誰かの事業を削る音だった。

このモデルの前提
本稿は制度構造を確認するため、次の条件を置いた単純化モデルである。
税率は10%
価格と取引量は一定
Cは本則課税の課税事業者
Bはインボイス未登録の免税事業者
Cには、モデル外の仕入税額控除を置かない
Cの本来利益は21万円
価格転嫁、値引き、取引量減少などは、各場面で明示したものを除いて考慮しない
税額保存は、取引額・税率・適用される特例などをそろえた閉じたモデル上の観測であり、現実の総税収が常に一定という意味ではない
本文でいう「増税」とは、税率そのものの引上げではない。
全額控除できた場合と比べて、仕入税額控除の制限により、課税事業者Cの納付税額が増えること
を指している。
参考資料
【14年越しの答え合わせ】片山さつきが残した問いを、安藤裕が引き継いだ
参考動画:
【彼女は全てを知っていた。】
【制度側の自白と、14年越しの答え合わせ】
ここから先は、あえて繰り返す。
なぜなら、これは単なる国会質疑ではないからだ。
消費税という制度が前提としてきた「円滑かつ適正な価格転嫁」と、現実の市場で起きていること。
その二つが、国会という公の場で正面から衝突した「事件」の記録だからである。
自由主義経済において、価格は制度の予定通りには動かない。
原価が上がったからといって、その全額を価格へ転嫁できるとは限らない。
消費税率が上がったからといって、その分だけ売価を上げられるとも限らない。
価格転嫁できなくても、消費税の負担は消えない。
事業者の利益、賃金、賞与、投資、資金繰りへと移っていく。
その瞬間、消費税の問題は「価格転嫁」の問題ではなく、税金コストを誰に負わせるかという問題へ変わる。
2012年。
一人の政治家が、その危険性を国会で指摘していた。
片山さつき議員である。
そして14年後。
片山さつきが残した問いを、安藤裕が引き継いだ。
問いを受ける側に座っていたのは、財務大臣となった片山さつきだった。
これは、制度の外から制度を批判していた者が、制度の頂点へ立ったとき、どのように言葉を変えるのかという記録でもある。
2012年、彼女はすべてを知っていた
「もう、手のつけられないようなことになりますよ」
2012年。
野党時代の片山さつき議員は、消費税増税が経済へ与える影響について、強く警告していた。
住宅。
地方経済。
中小零細企業。
街の蕎麦屋。
普通の床屋。
価格を上げたくても上げられない、小さな事業者たち。
片山議員は、消費税が単なる「消費者の負担」では終わらないことを、具体的な例で指摘していた。
たとえば、街の蕎麦屋である。
今、お蕎麦屋さんは税込み630円でお蕎麦を出していますけど、660円にできますかね?
これは、単なる問いではない。
消費税の制度と市場の現実を知る者が、問いの形で提示した答えである。
全国一律の価格を持つ大手チェーンなら、まだ値上げしやすいかもしれない。
しかし、地域の客に支えられている小さな店はどうか。
街の蕎麦屋はどうか。
普通の床屋はどうか。
値上げによって客を失う可能性がある店に、「税率が上がったのだから、その分を価格へ転嫁すればよい」と簡単に言えるだろうか。
片山議員は当時、年間売上3000万円以下の中小零細企業について、5割から7割が価格転嫁できていないという調査があると述べていた。
さらに、滞納税額の約半分に当たる3400億円が消費税であるとも指摘した。
つまり、彼女は知っていた。
消費税は「価格へ転嫁されることを予定している」と説明される。
しかし現実の市場では、弱い立場の事業者ほど、その予定通りに転嫁できない。
消費税は、制度の予定と市場の現実が一致しなければ成立しない税だった。
2012年の片山さつきは、その矛盾を知っていた。
14年後、問いが戻ってきた
それから14年後。
今度は、参政党の国会議員として国政に復帰した安藤裕が、同じ問題を国会で問い始める。
答弁席に座っていたのは、財務大臣となった片山さつきだった。
安藤議員が最初に確認したのは、消費税の納税義務者である。
法律上、消費税を納める義務を負っているのは誰なのか。
消費者なのか。
事業者なのか。
答弁は明確だった。
消費税法上の納税義務者は、事業者である。
政府は消費税について、価格への転嫁を通じて、最終的には消費者が負担することを予定していると説明する。
しかし、それは経済的な負担についての予定である。
税法上の納税義務とは別の話だ。
税法上、消費者は消費税の納税義務者ではない。
消費税を申告し、納付するのは事業者である。
ここで安藤議員は、さらに問いを進めた。
消費者から受け取った消費税を税務署へ納めず、事業者が自分の利益にしているとされる、いわゆる「益税」は制度上存在するのか。
これに対して片山財務大臣は、法律上はそのような関係にはならないと答えた。
消費者は、消費税法上の納税義務者ではない。
したがって、消費者が納めるべき税金を事業者が預かり、それを国へ納めずに利益にしているという法構造にはならない。
法律上、益税は存在しない。
ここで、長年語られてきた消費税の物語が揺らぎ始める。
完全転嫁という幻想
多くの人は、消費税を次のように理解している。
まず原価がある。
そこに適正な利益を乗せる。
そして、その上に消費税10%を上乗せする。
消費者がその10%を支払い、事業者が一時的に預かり、後から税務署へ納める。
このモデルでは、消費税によって事業者の利益が削られることはない。
人件費も削られない。
消費税は売価の外側へ完全に上乗せされ、最終消費者がすべて負担するからである。
しかし、このモデルが成立するためには、強い前提が必要になる。
すべての事業者が、原価と必要な利益を確保したうえで、消費税相当額を完全に価格へ上乗せできること。
つまり、価格転嫁率100%の市場である。
もし本当に、すべての取引がこの通りに行われているなら、赤字企業はほとんど存在しない。
低賃金労働者もいない。
買いたたきもない。
利益を確保したうえで、消費税分まで価格へ上乗せできるのだから、消費税を払えずに資金繰りへ行き詰まる事業者も存在しないはずである。
だが、現実は違う。
赤字企業がある。
低賃金労働者がいる。
買いたたきがある。
価格交渉力の弱い事業者がいる。
値上げすれば客を失う店がある。
原材料費が上がっても、売価へ十分に転嫁できない事業者がいる。
「原価+適正な利益+消費税」という美しいモデルは、現実の市場を表したものではない。
それは、制度を成立させるために置かれた予定である。
赤字でも消費税が発生する理由
消費税の納付額は、大まかに次の式で計算される。
消費税
=
売上にかかる税額 − 仕入れにかかる税額
標準税率10%、すべて税込金額という単純なモデルなら、次のように表せる。
消費税
≒
(課税売上 − 課税仕入)× 10/110
ここで重要なのは、法人税のように、売上からすべての費用を差し引いて利益を計算しているわけではないという点である。
給与や社会保険料、支払利息など、事業に必要な支出であっても、仕入税額控除の対象にならないものがある。
そのため、法人税上の利益が赤字であっても、
課税売上 − 課税仕入 > 0
であれば、消費税は発生する。
事業者が赤字か黒字かは、消費税の計算を止めない。
消費税は、利益ではなく、課税売上と課税仕入の差額を見ているからである。
一般に、事業者は仕入れた商品へ何らかの価値を加えて販売する。
100円で仕入れた商品を、毎回50円で売り続ける事業は成立しない。
100円の原材料を使い、50円で製品を売り続ける製造業も成立しない。
したがって、事業を継続している限り、一般には、
課税売上 − 課税仕入 > 0
となる。
企業全体では赤字でも、この差額は残り得る。
だから、赤字事業者にも消費税が発生する。
赤字でも「消費税が発生することがある」のではない。
事業が付加価値を生み出している限り、赤字でも消費税が発生する構造なのである。
付加価値の先取り
課税売上から課税仕入を差し引いたものは、概ね、その事業者が新しく生み出した付加価値に対応する。
単純化すれば、
付加価値
≒
課税売上 − 課税仕入
さらに、その付加価値は概ね、
付加価値
≒
利益 + 人件費
と捉えることができる。
したがって、消費税の構造は、概ね次の式で表せる。
消費税≒ 付加価値 × 10/110
さらに単純化すれば、
消費税≒(利益 + 人件費)× 10/110
となる。
ここで、何が起きているのか。
事業者が生み出した付加価値という一つのパイがある。
本来、その付加価値は、労働者の賃金と、企業の利益などに分配される。
しかし、消費税がある世界では、その分配より先に、国の取り分が決まる。
国が消費税を先に取る。
残った付加価値を、法人と労働者が分ける。
価格へ完全に転嫁できるなら、事業者の外側へ負担を押し出せるかもしれない。
しかし、価格転嫁できなければ、消費税は付加価値の内部に残る。
利益を削る。
賃上げ原資を削る。
賞与を削る。
採用を抑える。
設備投資を遅らせる。
資金繰りを圧迫する。
税負担が消えるわけではない。
負担する場所が変わるだけである。
安藤議員が述べた「賃上げする原資を持っていく前に、消費税を納税しろと言われている」という言葉は、この構造を表している。
消費税は、付加価値という一つの財布から、国が先に取り分を確保する税である。
その残りを、法人と労働者が分ける。
これが、「付加価値の先取り」である。
レシートに書かれた「内消費税」
安藤議員は、レシートの表示にも踏み込んだ。
たとえば、1100円の商品を買ったとする。
レシートには、
「内消費税100円」
と書かれている。
では、この100円は法律上、何なのか。
政府側の答弁は、次のようなものだった。
その取引について課されるべき消費税額に相当する額であり、課税資産の譲渡等の売上に対する対価の一部である。
つまり、レシートに「消費税」と書かれていても、それは消費者が税務署へ納めた税金そのものではない。
事業者が消費者から預かった税金そのものでもない。
事業者がそのまま税務署へ納付する金額でもない。
その売価で取引が成立したという事実と、その税込価格の内訳が表示されているだけである。
レシート表示からは、実際にいくら価格転嫁されたのか分からない。
事業者がいくら納付するのかも分からない。
その取引によって、事業者の利益がいくら残ったのかも分からない。
それでも、多くの人は「内消費税100円」という表示を見ることで、自分が100円の税金を納めたと認識する。
そして、事業者はその100円を預かっているだけだと考える。
ここから、「預かった税金を納めない免税事業者はずるい」という益税の物語が生まれる。
しかし、法構造は違う。
消費者は納税義務者ではない。
レシートに書かれた100円は、売上の対価の一部である。
事業者の納付額は、レシートの表示額ではなく、売上税額と仕入税額の差額によって決まる。
レシートは、価格転嫁に成功した証拠ではない。
預り金が存在する証拠でもない。
そこに記録されているのは、
「その価格で、一つの取引が成立した」
という事実である。
2012年の言葉と、2026年の言葉
2012年の片山さつき議員は、市場の現実を語った。
街の蕎麦屋は、630円を660円にできるのか。
中小零細企業は、本当に消費税を価格へ転嫁できているのか。
価格を上げられない事業者に、消費税は何をもたらすのか。
彼女は、制度の予定ではなく、現場で起きていることを見ていた。
それから14年後。
財務大臣となった片山さつきは、制度を守る側の言葉を語る。
消費税は、価格への転嫁を通じて、最終的には消費者が負担することを予定している。
消費税相当額は、適切に価格へ転嫁される。
同じ人物の中に、二つの言葉が存在する。
市場の現実を見る言葉。
制度の予定を守る言葉。
片山さつきは、なぜ言葉を変えたのか。
本当に考え方が変わったのかもしれない。
財務大臣として税制全体を守らなければならないのかもしれない。
党内の力学や、財務省との関係が影響したのかもしれない。
あるいは、本質的な認識は変わっていないまま、立場によって使用する言葉だけが変わったのかもしれない。
その答えは、本人にしか分からない。
だが、確かなことが一つある。
2012年に指摘されていた問題は、14年後も解決していない。
価格転嫁できない事業者がいる。
赤字でも消費税が発生する。
消費税の滞納が続いている。
賃上げが必要だと言いながら、賃上げ原資から先に消費税を取る構造が維持されている。
そして今も、政府は消費税を「景気に左右されにくい安定財源」と説明する。
だが、景気に左右されにくいということは、裏返せば、景気が悪くても取り続けるということである。
人々の生活が苦しくても。
企業の経営が苦しくても。
赤字でも。
資金繰りが限界でも。
付加価値が残る限り、消費税は発生する。
それを、本当に「安定」と呼んでよいのだろうか。
これは事件の記録である
14年前、片山さつきは問いを残した。
そして今、安藤裕がその問いを引き継いだ。
問いを受ける側に座っていたのは、財務大臣となった片山さつきだった。
2012年の片山さつきは、市場の現実を語った。
2026年の片山財務大臣は、制度の予定を語った。
変わったのは、市場ではない。
彼女が座る椅子だった。
制度の外から市場を見れば、価格転嫁できない事業者が見える。
制度の頂点から税制を見れば、「円滑かつ適正に転嫁されることを予定している」という説明になる。
事実が変わったのではない。
観測する位置によって、使用する言葉が変わった。
制度という怪異の頂点に座った者は、その構造を守るための部品として再定義される。
14年前の彼女の言葉が正しければ正しいほど、現在の答弁は、この国の政治が市場の現実よりも制度の維持を選んだことの証明になる。
これは、片山さつき一人の変節を責める物語ではない。
誰がその椅子へ座っても、同じ言葉を語らざるを得ないのだとしたら、問題は個人ではなく構造にある。
だから、問いに向き合わなければならないのは、彼女だけではない。
その変節を制度の「仕様」として受け入れ、今日もレジの音を聞き流している、私たち自身である。
失われた30年をもたらしたのは、果たして誰なのだろうか。
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