1973年の石油危機で、OPECは何を変えたのか?収益配分と価格決定権の転換
ペトロダラーの表と裏:第6回
前回見たスエズ危機では、石油を支配するとは、油田を持つことだけではなく、通り道を支配することでもある、ということが見えてきた。
では、産油国自身は、石油の値段や利益の主導権をどう取り戻そうとしたのか。
多くの人にとって、1973年の石油危機は、
原油価格が急騰し、世界が混乱した事件
として記憶されているだろう。
もちろん、それは間違っていない。
実際、石油禁輸と減産は、消費国の経済に強い衝撃を与えた。米国務省も、この危機が米国経済と世界経済を大きく揺さぶったと整理している。
ただ、この事件を消費国の混乱だけで見ていると、半分しか見えない。
産油国側から見れば、これは単なる「価格高騰」ではなかった。
そこにあったのは、
誰が値段を決めるのか。
誰が利益を取るのか。
誰が石油政策の主導権を握るのか。
という問題だった。
OPECは何に不満を持っていたのか
まず押さえておきたいのは、OPECを単なる価格つり上げ集団としてだけ見ると、この時代の意味を取り違えやすいということだ。
OPECは、自らの目的を、加盟国の石油政策の調整・統一、そして生産国にとって公正で安定した価格と安定収入を確保することだと説明している。
この説明を見ると、OPECが問題にしていたのは、単に「もっと高く売りたい」という一言では片づかないことが分かる。
ここで争点になっていたのは、石油の価格そのものだけではない。
もっと深いところでは、
石油政策を誰が決めるのか
という主導権の問題があった。
これまでの連載で見てきたように、モサデグのイランでは「油田そのもの」の主権が問われ、スエズでは「通り道」の主権が問われた。
OPECの時代になると、そこへさらに
値決めの主権
が加わる。
つまり産油国は、石油を持っているだけではなく、その価格や収益のルールにも自分たちの意思を反映させようとしたのである。
この視点に立つと、石油危機は「世界を困らせた事件」ではなく、
産油国が長く偏っていた力関係を自分たちに引き寄せようとした事件
として見えてくる。
石油危機は、なぜ世界を揺らしたのか
もちろん、その影響は極めて大きかった。
1973年の石油禁輸と減産は、世界経済を激しく揺らした。
米国務省は、1973〜74年の禁輸が、外国産石油への依存を強めていた米国経済を強く揺さぶり、世界の金融バランスを石油生産国側へ移動させる複雑な変化をもたらしたと説明している。
Federal Reserve History でも、1973年10月の禁輸と減産が原油価格を大きく変え、米国を含む各国のマクロ経済環境に強い影響を与えたことが説明されている。
消費国側から見れば、この危機はまさにショックだった。
エネルギーコストの上昇は、物価、産業、家計、貿易、金融のすべてに波及する。
しかも問題は、単に価格が上がったことだけではない。
この危機は、工業国側が、OPECの輸出にどれほど脆弱だったかを露わにした。FRUS文書でも、1973〜74年の危機は工業国側の脆弱性を示したと整理されている。
つまり石油危機は、消費国にとっては
価格の痛み
であると同時に、
依存の露呈
でもあった。

Sign reading "Gas shortage! Sales limited to 10 gallons of gas per customer" posted at a Connecticut filling station during the energy crisis (Photo: Owen Franken/Corbis Historical/Getty Images)【出典】FEDERAL RESERVE HISTORY Oil Shock of 1973-74
OPECは、何を取り戻そうとしたのか
ここで改めて問いたいのは、OPECは何を取り戻そうとしたのか、ということだ。
一見すると、答えは「利益」である。
それは間違っていない。
だが、それだけでは足りない。
本当に取り戻そうとしていたのは、
価格を誰が決めるのかという主導権
であり、
その収益を誰の側へ残すのかという配分の主導権
であり、
石油政策を誰が動かすのかという政策の主導権
だった。
ここで大事なのは、「高い価格」そのものを目的として読むだけではなく、
価格を決める権利
に注目することだ。
価格とは、単なる数字ではない。
そこには必ず力関係がある。
誰がその数字を動かせるのか。
誰がそれを受け入れざるを得ないのか。
誰が利益を積み上げるのか。
OPECは、そこに手を入れようとした。
この意味で、石油危機は「市場の出来事」であると同時に「主権の出来事」でもあった。
産油国は、石油を持っているだけでは足りなかった。
その石油をどんな条件で世界へ出すのか、自分たちで決めるところまで行きたかったのである。
だから、この危機は「消費国が困った事件」としてだけではなく、
産油国が主導権を引き寄せた局面
としても読まなければならない。
石油とドルは、ここで新しい意味を持ち始めた
そして、ここで石油とドルの関係もまた一段重くなる。
原油価格が上がるということは、産油国へ流れ込む資金が膨らむということでもある。
しかも、その時代の原油価格は主にドルを基準に動いていた。
だから、石油危機は、産油国へ巨額のドルが流れ込む出来事にもなった。
ここで後に強く意識されるようになるのが、いわゆるペトロダラーの問題系である。
米財務省の文書でも、“Petrodollars” は政策・分析上の概念として扱われている。
高い原油価格によって生まれた石油輸出国の巨額収入が、その後どのように国際金融市場へ流れ、どのような不均衡や再循環を生むのかが問題になった。
この回では、ここを深掘りしすぎる必要はない。
大事なのは、1973〜74年の石油危機を境に、
石油価格の問題が、そのままドル資金の巨大な流れの問題にもなった
と押さえることだ。
金との結びつきを失った後もドルが中心に残った理由を、第2回で見た。
ここでは、そのドルが石油価格の高騰を通じて、新しい形で世界金融に流れ込むようになる。
つまり石油危機は、価格ショックであるだけでなく、
石油とドルの結びつきに新しい重さを与えた出来事
でもあった。
石油危機は、「値上がりの事件」では終わらない
ここまでを振り返ると、石油危機の見え方は少し変わる。
消費国から見れば、たしかにそれは原油価格の急騰と経済混乱だった。
けれど産油国から見れば、それは
長く偏っていた主導権を、自分たちの側へ引き戻す試み
でもあった。
だから、この危機は「値上がりの事件」で終わらない。
そこには、
価格の主導権
政策の主導権
収益配分の主導権
石油収入の国際金融への流れ
が重なっている。
つまり、石油危機とは、値段が上がったことそのものより、
力関係が動いたこと
に意味があるのだ。
この視点を持つと、第4回と第5回で見てきた流れも、もっとはっきりつながる。
モサデグは油田の主権を問うた。
ナセルは通り道の主権を問うた。
OPECは値決めと収益の主権を問うた。
石油をめぐる主権の争いは、段階を追って広がっていたのである。
ここまでを、いったん整理しておく
1973〜74年の石油危機は、単なる価格急騰の事件ではなかった。
産油国が、石油の価格、政策、収益配分の主導権を、自分たちの側へ引き寄せようとした局面として読むべき出来事だった。
この危機は、消費国の側には脆弱性を見せ、産油国の側には交渉力を見せた。
そして同時に、原油価格の上昇を通じて、石油とドルの結びつきに新しい意味を与えた。
ここから後に、「ペトロダラー」という言葉で語られる資金循環の問題が、よりはっきり見えてくる。
ここまで来ると、次の問いが自然に出てくる。
こうして産油国の力が増し、石油とドルの結びつきが重くなったあと、世界はどこへ向かったのか。
そして、この秩序はどこで軍事や安全保障の問題と、さらに深く結びついていくのか。
次回は、イラン革命と湾岸秩序の変化を見ていきたい。
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