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ペトロダラーとは何か|石油とドルを結ぶ世界秩序

ペトロダラーの表と裏:第13回

ガソリンは円で払う。
けれど、原油価格の代表的な窓口はドルで示される。
ここから先に進むと、多くの人が少し混乱する。
ドルで値段が付くとは、どういう意味なのか。
それは、単に「ドルで買う」というだけの話なのか。

ここまでの連載で見てきたのは、実はその先だった。
石油の秩序は、価格だけではできていない。
その代金をどう決済するか。
その収入がどの金融回路へ流れ込むか。
その石油をどの海峡から運び、誰がその航路を守るか。
そして、その秩序に距離を取ろうとした国や指導者たちは、何を取り戻そうとしていたのか。

最後に問いたいのは、その全部を束ねる問いである。
ペトロダラーとは、結局何の秩序だったのか。


それは「石油をドルで買う」というだけの話ではない

出発点は、もっと素朴な問いだった。
ガソリンは円で払っているのに、原油も円で払っているのか。
そうではない。
WTI の代表的な価格表示は、CME の契約仕様でも “U.S. dollars and cents per barrel” とされている。
だが、それだけで石油の秩序を理解したことにはならない。

問題は、そのドルをどのように調達し、どのように送金し、どのように受け渡すかにある。
つまり、通貨を持っていることと、その通貨を相手に通せることは別だ。
制裁で止められないか。
どの銀行回路を通るのか。
SWIFT やコルレス関係に戻れるのか。
この回路を維持できるのか。
石油とドルの関係が単なる会計単位以上の意味を持つのは、ここにある。

だからペトロダラーとは、単に「石油がドル建てで取引される」ことではない。
石油の価格、決済、収益、再循環が、ドル中心の金融秩序に組み込まれることだった。
そこでは石油収入は、産油国の手元に残るだけではなく、国際金融市場へ再流入し、より大きなドル循環の一部になる。
近年の IMF 研究でも、石油輸出におけるドル依存を減らす有効政策について、頑健な証拠はないとされている。
それだけ、実務としてのドル優位は強い。

ホルムズ海峡は、ペルシャ湾から外洋へ出る唯一の出口であり、今も世界で最も重要な石油 chokepoint の一つである。ペトロダラーとは、こうした「海の配管」が無事に通ることまで含めた秩序だった。【出典】EIA The Strait of Hormuz is the world's most important oil transit chokepoint

表は、安定だった

この秩序のには、明らかな機能があった。
安定である。

原油の代表的価格がドル建てで共有されていること。
石油収入が大きな国際金融市場へ接続されていること。
海峡や航路が、軍事的にも商業的にも守られること。
この三つが揃えば、巨大なエネルギー取引を、ある程度の予見可能性の中で回すことができる。
OPEC 自身も、その目的を「加盟国の石油政策の調整・統一」「生産者にとって公正で安定した価格」「加盟国への安定収入」と説明している。

この意味で、ペトロダラーは単なる覇権の道具ではない。
それは、巨大な石油取引を可能にする実務の共通基盤でもあった。
価格表示を揃え、決済をつなぎ、収入を運用先へ戻し、海上輸送を維持する。
そうした秩序があるからこそ、産油国も消費国も、ある程度計算可能な世界で動けた。
石油取引の通貨実務が今なお強くドルに寄っていることは、その基盤の粘り強さをよく示している。

裏は、従属だった

だが、この秩序には明確なもあった。
従属である。

イランのモサデグが問うたのは、油田の主権だった。
エジプトのナセルが問うたのは、通り道の主権だった。
OPEC が問うたのは、欧米の国際石油資本に対する値決めと収益配分の主導権だった。
イラン革命は、国家の向きそのものを外から決められたくないという拒否だった。
イラン・イラク戦争中に海上で起こっていたタンカー戦争は、石油秩序の最後の前提が「海の”配管”」の安全であることを暴いた。
イラクのフセイン、リビアのカダフィ、ベネズエラのマドゥロ、イランのハメネイ体制は、通貨や決済の面から、その秩序への距離の取り方を探った。

とりわけ制裁がそこに入ると、裏の顔はもっと露骨になる。
石油を売ることができても、収入に触れることができない。
ドル建て価格が付いても、決済回路に戻れない。
外貨が入っても、金融インフラが閉じていれば国家の自由度は大きく削がれる。
イラン制裁をめぐる米国側の説明でも、石油輸出と石油収入アクセスの遮断は、はっきりした狙いだった。
だから、ペトロダラーの裏とは、単に「ドルで払う」ことではなく、ドル中心の回路へ接続できる者と、そこから切られる者の差でもあった。

原油価格の代表的な窓口では、価格は今も “U.S. dollars and cents per barrel” で示される。だが、ペトロダラーとは価格表示だけの話ではない。【出典】cmegroup

だから、反発は繰り返し起きた

この秩序が安定を生むと同時に従属も生むなら、反発が繰り返し起きるのは自然でもある。
産油国や資源国家から見れば、石油を持っているのに、
値段を自分たちで決めきれない。
決済回路を自分たちだけでは回せない。
石油収入へのアクセスさえ外から締められうる。
そう見えたとき、そこに「なぜ自分たちの資源なのに」という問いが立ち上がる。
OPEC の設立理念そのものが、その代表例だった。

ただし、その反発がそのまま別秩序の成立につながるわけではない。
ここで効いてくるのが、フセイン、カダフィ、マドゥロ、ハメネイ体制の比較である。
彼らには共通して、資源主権や通貨主権を強く意識する面があった。
しかし、実務の深さも、制度化の度合いも、成果も違った。
象徴としての脱ドルはあっても、石油輸出の実務を大きく変えたとまでは言いにくい。
IMF が「石油輸出におけるドル依存を減らす有効政策の頑健な証拠はない」と述べるのは、まさにその現実を冷静に言い表している。

それは「米国の陰謀」だけでも、「市場の自然」だけでもない

ここで、いちばん大事な整理をしておきたい。
ペトロダラーを読むとき、説明はしばしば二つの極に割れる。

一つは、すべてを「米国の陰謀」で説明する見方だ。
もう一つは、すべてを「市場の自然な結果」で説明する見方だ。
だが、たぶんどちらも足りない。

市場の自然だけで、これほど軍事、制裁、海峡防衛、金融遮断が重なることはない。
一方で、陰謀だけで、これほど長く実務秩序として維持されることもない。
現実は、その中間にある。
つまりペトロダラーとは、市場慣行と国家戦略、金融インフラと軍事保護が結びついた複合秩序だった。
価格表示の慣行、OPEC の交渉、海峡の chokepoint、金融の配管、制裁、海軍護衛。
その全部が重なって初めて、石油とドルの秩序は機能してきた。

だから、これを一本の陰謀物語へ還元するのは簡単すぎる。
しかし逆に、「ただ便利だから続いているだけ」と言うのも単純すぎる。
便利であることと、力が背後にあることは両立する。
安定であることと、従属を生むことも両立する。
ペトロダラーとは、まさにその両義性の上に成り立ってきた秩序だった。

結局ペトロダラーは、何の秩序なのか

ここまでの連載を一言で束ねるなら、こう言えると思う。

ペトロダラーとは、石油を世界市場へ流し続けるための、ドル中心の総合秩序だった。

そこには、

価格表示としてのドル、
決済回路としてのドル、
石油収入の国際金融への再循環、
海峡と航路の安全保障、
制裁を通じたアクセス管理、

が重なっていた。
ホルムズ海峡が今なお最重要級の石油 chokepoint とされ、石油輸出の実務でドル優位がなお強いことは、この総合秩序の強さをよく示している。

だから、そのは安定だった。
巨大なエネルギー取引を、ある程度の予見可能性の中で回せた。

だが、そのは従属だった。
資源国家にとっては、石油を持っていても、価格、決済、収入、輸送のどこかで外部秩序へ組み込まれ続ける感覚が残った。

そして、この表と裏の緊張から、モサデグも、ナセルも、OPEC も、イラン革命も、タンカー戦争も、フセインも、カダフィも、マドゥロも、ハメネイ体制も、それぞれの仕方で立ち上がってきた。
同じではない。
だが、まったく無関係でもない。
みな、この秩序のどこかにぶつかっていた。

結局、ペトロダラーの表と裏とは、こういうことなのだと思う。
それは世界経済を回す秩序でありながら、同時に、資源を持つ側に「本当に自分たちで決めているのか」という問いを残し続ける秩序でもあった。

この問いは、たぶん簡単には終わらない。
石油がエネルギーである限り。
そして通貨が、単なるお金ではなく、主権のかたちでもある限り。


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