見出し画像

エジブトのナセルが守ろうとした国家主権とは?石油の通り道(運河・海峡)は誰のものなのか

ペトロダラーの表と裏:第5回

前回、モサデグ政権のイランでは、
石油は誰のものか
が争点になった。

自国の地下資源なのに、自分たちで決められない。
だから石油国有化は、単なる収益の話ではなく、主権の話になった。

では、石油を支配するとは、油田を持つことだけなのだろうか。
石油は掘るだけでは意味がない。
外へ運ばれて初めて、国際経済の中で力を持つ。
そう考えると、石油の秩序は、資源そのものだけでなく、その通り道の秩序でもあることが見えてくる。

そのことを決定的に示したのが、1956年のスエズ危機だった。
この事件は、運河会社の所有権をめぐる争いとしてだけ見ると、本質を少し見失う。
本当の争点は、もっと大きかった。
誰がこの通り道を握るのか。
誰が、その支配を当然のものとして受け入れるのか。
そこにあったのは、脱植民地化と国家主権をめぐる衝突だった。


運河は、ただの水路ではなかった

まず押さえておきたいのは、スエズ運河がただの運河ではなかったということだ。

スエズ運河は、地中海と紅海を結ぶ人工水路である。
この水路があることで、欧州からアジアへ向かう船は、アフリカ大陸を回る喜望峰ルートを取らずに済む。
つまり、スエズ運河は、欧州とアジアを結ぶ海上輸送を大きく短縮する戦略的な要衝だった。Britannica も、スエズ運河を欧州とアジアを結ぶ最短海上ルートとして説明している。

この地理を一度頭に入れると、スエズ危機の意味はかなり違って見える。
ここは単なる交通インフラではない。
欧州の貿易や補給にとっても、中東から地中海側へ抜ける流れにとっても、極めて重要な「細い首」のような場所だった。

だから、運河の支配権の問題は、運河会社の株式や収益だけでは終わらない。
もっと大きく言えば、
世界の物流を誰が握るのか
という問いに接続する。
そして石油の時代には、それは
石油を運ぶ通り道を誰が握るのか
という意味を持つようになる。これは第4回の「石油は誰のものか」を、地理の側から言い換えた問いでもある。

スエズ運河は、地中海と紅海を結ぶことで、欧州からアジアへの海上輸送を大きく短縮した。石油を含む戦略物資の“通り道”としての重要性は、この位置を見ると分かりやすい。【出典】Britannica Suez Canal

エジブトのナセルは何を国有化したのか

1956年7月26日、ナセルはスエズ運河会社の国有化を宣言した。
米国務省の歴史整理でも、ここが危機の直接の出発点として位置づけられている。

ここで大事なのは、ナセルが単に「儲かる会社を自国のものにしたかった」とだけ理解しないことだ。
もちろん、経済的な意味は大きかった。
だが、彼にとってそれはそれだけではなかった。
米国務省は、ナセルが欧州勢力の地域支配の継続に反発していたと説明している。つまり運河国有化は、企業資産の移転であると同時に、欧州の影響力に対する政治的な拒否でもあった。

ナセルの政治には、もともと強い反英・反植民地主義の流れがあった。
Britannica の人物項目でも、彼が若い頃から反英デモに関わっていたこと、1952年の自由将校団クーデターで台頭したことが確認できる。
つまり、運河国有化は、突然の思いつきではなく、彼の政治路線の延長線上にあった。

ここでナセルが主張したかったのは、
自国の国土にあり、自国の経済と安全保障に直結する重要な通路を、自国で握る
ということだった。
それは会社の所有権の問題であると同時に、国家主権の問題だった。

モサデグが「地下資源」に対する主権を問題にしたとすれば、
ナセルは「通り道」に対する主権を問題にした。
この違いはあるが、底にある感覚はかなり似ている。
どちらも、
なぜ自分たちの国にある重要なものを、外の力が当然のように握るのか
という問いから始まっている。

ナセルにとってスエズ運河の国有化は、企業資産の問題ではなく、脱植民地化と国家主権の主張でもあった。【出典】Britannica Gamal Abdel Nasser

英仏は、何を失うことを恐れたのか

スエズ運河国有化に対して、英仏は激しく反発した。
米国務省の整理では、英仏はイスラエルと秘密協議を行い、軍事行動に出る計画を立てていた。これは所有権紛争としては明らかに過剰で、争点が会社の資産だけではなかったことを示している。

もしこれが単なる補償交渉で済む話なら、いきなり軍事侵攻にまで踏み込む必要は薄い。
そうではなく、英仏にとって問題だったのは、ナセルが単に一つの会社を国有化したことではなく、
欧州勢力がこの地域で当然のように持っていた影響力そのものを揺らしたことだった。
米国務省の解説でも、英仏はナセルの影響力拡大と欧州支配への反発を問題視していたことがうかがえる。

ここでスエズ危機は、企業と国家の紛争から、帝国の後退と新しい地域秩序の衝突へ姿を変える。
運河の支配は、海上交通や通商の問題であるだけでなく、
誰がこの地域のルールを決めるのか
という問題だったのである。

だからこそ、ナセルの国有化は英仏にとって危険だった。
それは一つの所有権移転ではなく、旧宗主国秩序の正統性を揺さぶる宣言でもあったからだ。

米国は、なぜ味方しなかったのか

ここで読者は少し意外に思うかもしれない。
英仏がナセルに反発したなら、米国も全面的にそれに乗ったのではないか、と。

だが、米国はそうしなかった。
米国務省の整理でも、米国は英仏イスラエルの軍事行動を支持せず、国連停戦を迫ったことが確認できる。
結果として、英仏の侵攻は大きな政治的失点になり、英国首相エデンの辞任にもつながった。

ここは少し注意が必要だ。
このことをもって「米国は反植民地主義の味方だった」と単純に言ってしまうと、話が雑になる。
実際には冷戦の文脈があり、アラブ世界での影響力や対ソ連の計算もあった。
米国務省自身の解説でも、米国はNATO同盟国と中東の新興勢力の衝突、さらにソ連介入の可能性を懸念していた。

それでも、スエズ危機で露わになったのは、
旧来の英仏中心の秩序が、そのままではもう維持しにくくなっていた
ということだった。
この意味でスエズ危機は、中東や地中海世界の秩序だけでなく、西側内部の力関係の変化も見せる事件だった。

スエズ危機は、運河会社の所有権問題にとどまらず、国際政治全体を巻き込む危機へ発展した。
Nine members of United Nations Security Council signify support of the resolution endorsing operation of the Suez Canal on Oct. 14, 1956.(AP Photo/Tom Fitzsimmons)【出典】OFFICE OF THE HISTORIAN The Suez Crisis, 1956

石油を支配するとは、通り道を支配することでもある

ここまで来ると、この事件がこの連載の中でなぜ重要なのかが見えてくる。

第4回のイランでは、争点は油田と国有化だった。
つまり、「石油そのもの」を誰が支配するのかが問われた。
第5回のスエズでは、争点は通り道だった。
つまり、「石油や戦略物資を外へ運ぶ経路」を誰が握るのかが問われた。

この二つは、別の話のようでいて、実は同じ秩序の違う面を見せている。
石油の秩序は、地下資源だけでできているのではない。
油田、製油所、港、航路、海峡。
そのすべてがつながって初めて、石油は世界経済の中で力を持つ。

だから、石油をめぐる主権もまた、地下資源だけでは完結しない。
通り道を誰が握るのか、誰がそれを当然の支配として扱うのかもまた、主権の争点になる。

スエズ危機は、そのことを非常に分かりやすく見せた事件だった。
エジプトにとって運河国有化は、単なる経済政策ではなく、脱植民地化と国家主権の宣言だった。
一方で英仏にとっては、それは影響力と秩序の喪失を意味した。
ここに、石油と輸送路と帝国の後退が重なったのである。

ここまでを、いったん整理しておく

モサデグのイランでは、
石油は誰のものか
が問われた。

ナセルのエジプトでは、
通り道は誰のものか
が問われた。

この二つは、別々の事件ではある。
けれど、どちらも「石油をめぐる主権とは何か」という問いの中にある。
資源そのものだけでなく、それを運ぶ道を誰が握るのか。
その両方が、国家の自由度を左右する。

ここまで来ると、石油の秩序は、単なる商品市場の話ではなく、
資源・輸送路・国家主権が重なった秩序
として見えてくる。

では、産油国自身は、その石油の値段や利益の主導権をどう取り戻そうとしたのか。
次回は、OPECと石油危機を、単なる「値上がりの事件」ではなく、主導権奪還の試みとして見ていきたい。


連載一覧


関連マガジン


情報源


いいなと思ったら応援しよう!

一般財団法人 木村潤 記念財団 よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは本財団としての活動費に使わせていただきます!