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軍隊の革新を支える人事制度を整える意義を説いたWinning the Next War(1994)の紹介

ローゼン(Stephen Peter Rosen)は、軍隊のイノベーションを推進する際には、戦時よりも平時のほうが有利であると主張した研究者です。抜本的な改革には実装するために時間、労力、予算などの資源が必要であるため、緊急に任務を遂行すべき戦時は革新が制約されやすくなります。

そのため、平時の時間的猶予を活用する方が、より長期的な観点から投資を行うことが可能になるとされています。軍隊のような官僚的機構から新しい能力を開発する上で人事制度が重要であることも指摘し、戦争がイノベーションを加速させるという通説的な理解に挑戦しています。

Rosen, S. P. (1991). Winning the next war: Innovation and the modern military. Cornell University Press.

3部構成になっており、序論の1章から始まり、1部「平時のイノベーション」(2章から3章)、2部「戦時のイノベーション」(4章から6章)、3部「技術的イノベーション」(7章から8章)という順序で議論が展開しています。目次構成は以下の通りです。

  1. 軍事イノベーションを考える 1

  2. 次に来る戦争の形:平和時イノベーションの必要性を分析する 57

  3. 実現に向けて:平和時イノベーションの政治学 76

  4. 英国陸軍と戦車、1914-1918 109

  5. 潜水艦部隊への新鮮な血 130

  6. 米戦略爆撃部隊、1941-1945 148

  7. 敵は何を建造しているのか? 185

  8. 不確実性を管理する戦略 221

  9. 結論:学んだ教訓 251

これまでにも繰り返し指摘されてきたことですが、近代的な軍隊は柔軟性が乏しい官僚制として組織されます。厳格な組織構造は職務遂行に安定性と一貫性をもたらしますが、外部環境が変化したときの適応性、即応性が犠牲になりやすくなります。ただ、これは軍隊にとってイノベーションを起こせないというわけではありません。現実に軍隊は長い歴史を通じて多くのイノベーションを起こしてきました。ただ、いかにしてそれを起こすことができるのかという点については十分な研究が行われていないと著者は問題提起しています(p. 3)。

組織行動論の先駆者であるハーバート・サイモン(Herbert Simon)も発明の速度と方向を決定する要因について十分に明らかになっていないことを問題視しており、その原因として外部の厳しい状況が組織に情報探索やイノベーションを促すかどうかを確かめるために利用可能なデータの少なさを指摘していました(p. 3)。そこで著者は軍隊のイノベーションを戦時のイノベーション、平時のイノベーション、技術的イノベーションに区別し、外部環境に軍隊が対応した事例を比較しています。ここでは平時のイノベーションに関する分析の一部を紹介します。

著者の研究によれば、平時のイノベーションは、敵に関する情報ではなく、国際システムの構造的な変化に対して上級士官が行動を起こし、新たな戦争の方法を実践する下級士官のために新たな経歴進路を作り出すことによって可能となります。戦間期の米海軍が空母機動部隊を基軸としたイノベーションを推進する際にも、それを実行する人材を育成するために多くの時間がかかりました。

1923年、ロードアイランド州ニューポートに置かれていた海軍大学校において初めて空母を用いたウォーゲームが実施されています。大型空母が青軍に5隻、赤軍に4隻配備され、図上で仮想の空母航空打撃戦が実施されました(p. 69-70)。記録によれば、この空母航空打撃戦で、魚雷や爆弾を搭載した航空機が空母から発進し、赤軍の空母と戦艦に対して対艦攻撃を実施すると同時に、青軍の艦隊上空で大規模な空中戦が発生しました。

このウォーゲームが終了した後で赤軍の艦隊を指揮した演習参加者が、艦隊防空の必要を十分に認識し、一貫した計画を立案できていなかったことが批判されており、航空攻撃の観点からは航空機の集中的な運用で航空優勢を獲得することを原則とするべきだとされています(p. 70)。この段階で米海軍の一部の士官は太平洋戦争で経験することになる空母戦の様相に対する認識を共有し始めていたといえます。しかし、この時点で米海軍の中では空母の整備にどれだけのコストを費やすべきか明確なコンセンサスはありませんでした。

米海軍は1921年に航空局を設置し、ウィリアム・モフェット海軍少将を局長に補して海軍航空を発展させる取り組みは開始していました。モフェット自身は、第一次世界大戦で戦艦「ミシシッピ」の艦長も務めた経験があったものの、当時の航空機の技術的可能性を高く評価してもいました。航空局では先に述べたウォーゲームの成果も活用し、海軍中央で空母と艦載機の整備を推進するために活動しています。空母は戦艦を支援する装備ではなく、戦艦を置き換える装備だと主張し、「大型空母の機能は戦艦と同じであり、すなわち敵艦に対して破壊的な打撃を与えることができる。その攻撃的な価値は極めて大きいため、通常の任務として哨戒に用いられるべきではない」と述べて、このイノベーションを進めるための資源を集めようとしました(p. 70)。

しかし、すでに戦艦を海上戦力の主体と位置付けてきた米海軍にとって、空母への転換は簡単なことではなく、海軍パイロットに対する風当たりは強い環境でした。空母を戦力として活用するには、艦載機のパイロットを確保する必要がありますが、そのためには海軍の人事制度を変えなければなりませんでした。もし空母航空打撃戦が発生した場合、大量のパイロットが戦死する事態が予想されていたので、航空局としては空母を戦力化するからには平時からパイロットの技能を持つ人材を十分な量で確保しておかなければなりません。しかし、海軍では航空隊のために人材を引き抜かれることに反対する声も上がり、結局は海軍予備役においてパイロットの人材を確保し、戦時に現役召集することで対応するという制度設計となりました(p. 77)。この制度変更でさえも一部の海軍士官からは反発が起きており、モフェットが航空局長の権限を越えて人事に干渉したという批判も出ました(p. 78)。

当時、航空局の内部では理解が乏しい海軍の中に留まるのではなく、より独立した航空軍団(flying corps)を創設するという構想も議論されましたが、モフェットはそのような組織構造を採用すれば、海軍パイロットは艦艇の指揮官となる経歴進路が断たれると指摘しました。パイロットが将来的に空母の艦長となる可能性を残しておかなければ海軍が空母戦に対応できなくなるという理由から、航空軍団のような部隊を新編することに反対したのです(p. 78)。この方針は航空局の内部でモフェットに対する不満を高めることにも繋がりましたが、1931年以降になると空母のドクトリンを水上艦艇のドクトリンと整合させる人的交流が進み、次第にドクトリン開発で成果を上げるようになりました(p. 79)。第二次世界大戦が始まってから、海軍パイロット出身の将官は次第に活躍の場を広げており、ジョン・ヘンリー・タワーズ太平洋艦隊航空軍司令官に、フォレスト・シャーマン空母「ワスプ」の艦長に就任しています(Ibid.: 80)。

著者は、こうした事例を踏まえ、平時のイノベーションは可能であるが、イノベーションを実行するための人材の育成には長い時間がかかることを認識する必要があると述べています。軍隊のような官僚制がイノベーションを実現する場合、順調に進展した場合でも10年程度の時間がかかっていることが指摘されており、先に述べた海軍の空母によるイノベーションの事例も1世代、つまり20年程度の時間は必要でした(Ibid.: 105)。

著者の研究は、軍隊のイノベーションに関する研究に時間的なコストを考慮することの意義を明らかにしています。今でも無人航空機をはじめとする戦争の変革が起きていることが報じられていますが、これに軍事組織が適応できるかどうかは、次の世代を育成できるかどうかにかかっていると思います。イノベーションを成功に導くためには、まずその実現可能性を見極めた上で、その実現に邁進する人材を組織として確保する努力が必要です。

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