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個人の無能ではなく組織の失敗として敗北を考えるMilitary Misfortunes(1990)の紹介

エリオット・コーエンとジョン・グーチの『軍事的な不運:戦争における失敗の解剖学(Military Misfortunes: The Anatomy of Failure in War)』(1990)は優れた能力を持っている軍隊でも、戦場で決定的な敗北を喫する場合があることに注目し、その原因を探っています。1990年に刊行されて以来、多くの研究者から参照されてきた主要な業績であり、軍隊の適応力をめぐる議論に影響を及ぼしています。

Cohen, E. A. & J. Gooch (1990). Military Misfortunes: The Anatomy of Failure in War. The Free Press.

  1. なぜ不運が生じるのか

  2. 惨事を理解する

  3. 失敗を分析する

  4. 学ぶことの失敗 アメリカの1942年の対潜戦

  5. 予測することの失敗 1973年、スエズ戦線およびゴラン高原におけるイスラエル国防軍

  6. 適応することの失敗 1915年8月、ガリポリにおけるイギリス軍

  7. 累積的失敗:1950年11月―12月、朝鮮におけるアメリカ第8軍の敗北

  8. 壊滅的失敗 1940年5月―6月、フランス陸軍と空軍

  9. 何ができるのか?

従来の軍事史では、勝敗を個々の指導者の能力の不足に帰する傾向がありましたが、著者らは軍事的失敗はいかなる場合であっても単一の要因で引き起こされるものではなく、単なる個人の責任に帰属させるべきではないという立場をとっています。そのため、この研究の焦点は個人の行動ではなく組織の行動であり、敗因を複数に区別しています。

大まかな流れとしては、まず軍事的な失敗が生じるメカニズムを一般的に考察した上で、それを5つの敗北の事例分析と対応しながら議論していきます。研究対象の事例としては、1942年にアメリカが大西洋において経験したドイツ潜水艦に対する対潜戦の事例(第二次世界大戦)、1973年の第四次中東戦争におけるイスラエル軍の初動の失敗、1915年にガリポリ上陸作戦でイギリス軍が失敗した事例(第一次世界大戦)、1950年に中国軍の介入で国連軍(アメリカ陸軍)の敗北(朝鮮戦争)、そして1940年にフランス陸軍・空軍が壊滅的な敗北を喫した事例(第二次世界大戦)が含まれています。

これらの事例が著者らの失敗の原因を5つに対応しています。つまり、米軍の対潜戦の事例は(1)他者の経験から学べない学習の失敗(failure to learn)に対応しており、第四次中東戦争におけるイスラエル軍の事例が(2)敵と味方の相互作用を見通せなかった予測の失敗(failure to anticipate)に対応しています。ガリポリの戦いにおけるイギリス軍の失敗は(3)戦闘の教訓を踏まえて改革できなかった適応の失敗(failure to adapt)に対応しており、朝鮮戦争における米軍の失敗は小さな間違いが組織全体で累積して臨界点を超えた集積的な失敗(aggregate failure)と対応します。そして、1940年のフランス軍の失敗は組織全体の制度と行動が破綻していたことによる破滅的な失敗(catastrophic failure)と対応しています。

1940年のフランス軍の失敗は、本書で取り上げられる失敗の中で取り返しがつかないほどの損失をもたらす破滅的な失敗でした。この敗北によってドイツ軍はフランスの北部を占領し、それを基地とすることでイギリスに対する圧力を強め、また大西洋に対する潜水艦作戦を強化していきました。

1940年の戦いでドイツ軍は電撃戦として称される新たなドクトリンを活用していましたが、フランス軍はその戦力運用に対応することができず、各個に撃破されていきました。著者らは、この失敗の原因は、開戦する前にまでさかのぼることができると述べています。つまり、フランス軍のドクトリンはすでに時代の変化に対応できなくなっていたにもかかわらず、これを変革することを怠ったために、決定的な敗北を喫したと解釈されています。

「フランスでの戦役を、フランス軍を形作っていた戦前の主流的な戦術教義という観点から考察すると、最高司令部から明確な指示をほとんど、あるいは全く受けていなかった兵士たちの行動が、いかに強くこうした先入観に影響されていたかがわかる……フランス軍の指揮官たちは、予期せぬ事態に直面するたびに、自らの直感的な判断力を奪っていた教義に救いを求めて対応したため、過ちが何度も繰り返された」

(Cohen Gooch 1990: 224)

この失敗の原因をさらに上流にまでさかのぼると、フランスが第一次世界大戦が終結してから第二次世界大戦が勃発するまでの20年の間、ドイツ軍の能力を正しく評価することができていなかったことが判明します。1939年にポーランド軍がドイツ軍に短期間で敗北したときも、ポーランド軍の指揮官の能力不足、あるいは、ポーランドの地勢が防御に適した自然の境界を持たなかったためだと考えていました(Ibid.: 211)。

フランス軍の首脳部において、将来の戦争様相は第一次世界大戦で見られた塹壕戦になると予測されていたので、フランスで陸軍大臣を務めたジャン・ファブリ(Jean Fabry)も必要なことは革新ではなく、すでにある慣行を完成させることだと述べていました(Ibid.: 214)。シャルル・ド・ゴールのように機甲戦の発生を予測し、ドクトリンの変革を推進した軍人も一部にいましたが、その成果が完成する前にドイツの進撃を受けることになりました(Ibid.: 215)。結果的に、フランス軍の各部隊はその有効性が乏しいドクトリンを参照して交戦を繰り返すことになったので、ドイツ軍に対する組織的な抵抗を図ること自体が困難な状態にありました。

この敗北の原因を理解するためには、ドクトリンが軍隊の制度と行動の基盤となる方針であるため、それを変更する際には多くのコストが発生するということを知っておく必要があります。著者らの事例分析は、第一次世界大戦で戦勝国となったフランスが、すでに効果があると確信したドクトリンを放棄することを避け、機甲戦のドクトリンの開発に投資することを避けたことは、当時の意思決定者の立場から見れば理解可能な現象であったことを明らかにしています。フランスにはドイツのような自動車産業や航空産業が発達しておらず、生産基盤の制約があったことも、機甲戦のドクトリンを発展させる足かせになっていました。

この著作と対照的な議論をしているのはノーマン・ディクソンでしょう。ディクソンは、平時の勤務で高い地位に上昇した軍人は、定型的な業務で高いパフォーマンスを発揮する人材に偏りがちであるため、戦時において創造性が欠如した対応をとることが深刻な失敗に繋がると主張しました(指揮官の無能さを心理的に分析する『軍事的無能の心理学』(1976)の紹介)。これは興味深いストーリーを提供する視点として参照する価値がありますが、失敗の体系的な把握には限界があります。このような限界を乗り越える上で本書のような視点を持っておくことは必要だろうと思います。

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