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文民統制の強さは権力分立の構造で決まることを考察したPolitical Institutions and Military Change(1994)の紹介

政治学者のデボラ・アヴァント(Deborah Avant)は軍事ドクトリンの発展、特に軍事的な革新(innovation)の成否を説明するときに、制度論的なアプローチが有効であることを明らかにした研究者です。彼女の『政治制度と軍事変革(Political Institutions and Military Change)』(1994;2019再版)は、権力分立の政治構造によって、文民の政治指導者が軍隊をどれだけ巧みに指揮できるかが変わると主張しています。

憲法によって定められた権力分立の構造は、軍事力とは関係のない制度のようにも見えますが、アヴァントは議院内閣制と大統領制で軍隊の適応性が変化すると主張しています。

Avant, D. D. (2019). Political institutions and military change: Lessons from peripheral wars. Cornell University Press.

軍事上の問題に関する権限が議会と政府との間で厳格に区別された米国の大統領制に対して、英国の議院内閣制は、より適応性に優れた軍事力を開発することが可能であるというのが本書の基本的な主張です。

大統領制では、政府と議会との間の対立で身動きがとれない状態に陥りやすいため、それを軍部が利用して変革に抵抗できます。しかし、議院内閣制であれば、政府を率いる首相は議会の支持を得ているため、政府と議会が一体的に行動することが容易となり、軍部に対する政府の統制がより強力にできます。このような構造的な違いが軍隊の適応力に影響を及ぼすと著者は考えています。

「議院内閣制と大統領制の構造の間にあるトレードオフについては、憲法学者によって長らく議論されてきた。指導部の構造に分断があると、合意を形成することが難しくなるが、文民が軽率な行動をとることが防止できる。統一された指導部は協調的な行動を促すが、文民による軽率な行動に対する抑制が弱まる。(議院内閣制では)変革に関して合意し、それを実行に移すことがより迅速に行えるため、文民の過ちがもたらす代償がより大きくなる可能性はある」

(Avant 1994: 10-11)

第2章では、このような視点から興味深い理論が展開されています。南北戦争(1861ー1865)が終結してから、米陸軍ではプロイセン陸軍を模範とする改革が実施され、軍事的プロフェッショナリズムを強化していきました(Ibid.: 26-27)。さらに、米陸軍は議会の関心を巧みに利用することによって、陸軍の問題に政府が深く介入することを妨げてきたとも述べています(Ibid.: 29-30)。このため、大統領が自らの意に反する軍人を解任しようとすると、軍人は議会の野党側に働きかけ、公聴会を利用して大統領を公の場で批判することが可能でした。軍部は政府の指令に従う立場にありましたが、その専門知識を用いることで実行を回避することや、その影響を限定することが可能でした(Ibid.: 31)。

しかし、英陸軍は、このような制度を用いて文民統制の効果を弱めることは不可能でした。もともと英国では、軍隊が独自の理念や組織的なバイアスを持ち、政治に介入する危険に強い警戒感がありました(Ibid.: 36-37)。19世紀の政治改革によって国王の陸軍に対する権限が制限され、内閣の権限が強化されたことを踏まえ、ウィリアム・グラッドストン政権下でエドワード・カードウェル陸軍大臣(在任1868年 - 1874年)が陸軍改革を断行しています(Ibid.: 37-38)。これはプロイセン陸軍の制度に一歩接近することになった改革でしたが、議会は陸軍が文民の政策とは無関係に軍事的プロフェッショナリズムを追求することを制限し続けました(Ibid.: 40)。

「内閣、とりわけ陸軍大臣は、軍人に対して明確な統制権を行使していた。軍人に対する統制は政治的な代償を伴わなかったため、政治家は英国の軍事ドクトリンを細かく管理することに頭を悩ませる必要がなかった。期待通りの成果を上げない将校を容易に更迭できるという事実が、軍指導者たちに、柔軟な軍隊を求める文民指導者の意向に常に敏感であるよう促す役割を果たした」

(Ibid.: 41)

このような制度選択の違いが軍隊の適応性に与える影響を考えるために、著者はベトナム戦争で米陸軍を取り上げています。著者は、長年にわたって欧州戦域における戦争準備を最優先にドクトリンを開発していた米陸軍が、ベトナム戦争における非正規軍の脅威に対して効果的に対処することができなかったと評価しています(Ibid.: 52-53)。

米国の軍事史では、1961年に政権を発足させたジョン・F・ケネディ大統領は、米陸軍に対して対ゲリラ戦への対応を強化する方針を定めていますが、陸軍は可能な限り既存のドクトリンを維持して新方針の実行に抵抗しました(Ibid.: 56-57)。ただ、ケネディとしては政治的リスクを冒して、ジョージ・デッカー陸軍参謀総長を解任することは避けたかったため、特殊作戦を専門とするウィリアム・ロッソンを参謀本部に配属しましたが、参謀本部におけるロッソンの権限は特殊作戦に関係するものに厳格に制限されていました(Ibid.: 58)。米陸軍ではベトナム戦争の遂行において対ゲリラ戦を遂行する態勢を構築しようとする文民指導者の意向に従うことを避けたため、ドクトリンの修正が進みませんでした。

他方で英国では文民の政治指導者が人事権を通じて軍隊のドクトリンを大胆に変更した事例があります。1945年に第二次世界大戦が終結し、日本の占領地となっていたマラヤへ戻った英植民地政府は、1948年にマラヤ共産党による武装蜂起に対処する必要に迫られました(マラヤ危機)。

当初、英植民地政府は、この危機に警察で対応しようとしていました。しかし、マラヤ共産党の脅威は、もはや軍事的対応を必要とする烈度であると判断し、すでに退役していたハロルド・ブリッグスを現役に復帰させました(Ibid.: 120)。このブリッグスの計画では、対ゲリラ戦の成否を分けるのは戦闘の結果ではなく、民心の掌握であると考えました。この計画を踏まえ、指揮官のジェラルド・テンプラーは師団や旅団単位の大規模作戦を排除し、小規模作戦を積み上げるドクトリンに転換しました(Ibid.: 123-124)。また、このドクトリンの変更に伴って現地部隊と植民地政府との間で複雑な調整が必要となりましたが、本国の政府がこれを支援し、変革が促進されました。

「マラヤ危機の頃までに、英国の軍事専門家は、戦争への対処法について、米国の軍事専門家よりも幅広い選択肢を模索するようになっていた。このため、彼らは、著しく伝統的な軍隊を、著しく非伝統的な戦争に適合させる方法を、さほどの困難もなく考案することが可能だった。文民統制の統一は、指揮系統に大幅な変更を加えることに便利な道を開き、軍部の指導者の任務を軽減した。これにより、指導者たちは下級の軍人に戦術の変更を促すことが可能となったのである」

(Ibid.: 128)

このように、著者は議会と政府の対立を前提とした大統領制に比べて、議院内閣制の文民統制はより強力にドクトリンの変革を後押しできると主張します。政軍関係の議論では、民主主義が権威主義より軍事力の開発と運用に優れているという議論が以前からありましたが、大統領制と議院内閣制を比較したことは著者の独創性だといえます。軍隊のドクトリン変革に文民指導者の指導が欠かせないというポーゼンの議論とも関連する研究だと思います(軍隊が選択したドクトリンによって国際情勢が不安定になる場合がある『軍事ドクトリンの源泉』の紹介)。

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