妹の萌華#1【推しと屋根の下】
カシャ、カシャシャシャシャシャ・・・
耳元で連続する鋭いシャッター音に、眠りの底から無理やり引き上げられる。
重たい瞼をこじ開けると、スマホを手に満足げに頬を緩める萌華。
「おはよう、お兄ちゃん」
『おはようじゃないだろ』
「お兄ちゃん大丈夫?朝は、おはよう だよ」
『そうじゃなくて、写真撮んな;;』
「それは無理!」
『なんでだよ』
撮ったばかりの写真をニマニマ確認しながら、当然のように言い放つ。
「推しが無防備な寝顔を晒してたら、写真でしょ!そんなの!」
『推しじゃなくて兄だ』
「うん。推しと同じ屋根の下で暮らしてるって設定が、ほんと神!」
『設定って言うな;;』
「しかも毎朝寝顔見放題!神すぎて重課金したい!」
『そういうコンテンツじゃないわ!』
ようやく満足したらしく、萌華はスマホを制服のポケットへしまった。
これで終わりかと思ったのも束の間、今度は妙に真面目な顔でこちらへ向き直る。
「とにかく、お兄ちゃんが尊い寝顔を無料で晒してるのが悪いんだからね」
『知らんがな;;』
「寝顔を独占させていただき、ありがとうございます」
薄すぎる身体をぴんと伸ばし、ベッドの横で深々と頭を下げる。
はあ・・・
ため息をつきながら身体を起こす。
萌華はすっとベッドから離れると、床に綺麗に畳まれた服を指差す。
「はい、今日のお兄ちゃんの装いはこちらです」
『装いって・・・これまた買ったのか?』
「うん。今日はちょっとカワイイ感じ」
『ありがたいけど、せっかくのバイト代をオレの服に使ってどうすんだよ。ちゃんと自分に使えって;;』
「うん、だって推し活の為のバイトなんだから。ちゃんと自分に使ってるよ」
「推しのコーディネートができるなんて、オタク冥利に尽きます。感謝感謝」
『意味分からん』
「絶対似合うから」
『はいはい。分かった。ありがとな。着替えるから出てってくれ』
「大丈夫大丈夫。気にしないで」
そう言いながら、もう一度スマホを構える。
『撮る気満々じゃねえか;;』
「着替え動画ヤバい!ありがたい!」
『出てけ!』
力をかけると簡単に壊れてしまいそうな薄い背中へ手のひらを添え、そっと部屋の外へ押し出す。
「あー、お兄ちゃん、早くしてねー。手伝うことあったら呼んでねー」
閉めた扉の向こうから、弾んだ声が聞こえてきた。
はあ・・・疲れる・・・
・・・・・・
着替えを済ませて扉を開ける。
当然のように、萌華が廊下の壁にもたれて待っていた。
オレの姿を見るなり、ぱっと表情を明るくする。
「やっぱり似合ってる!」
『そりゃどうも』
「写真撮っていい?撮るね」
カシャカシャシャシャシャ
なんで聞いたんだ・・・
遠慮のない連写音が静かな廊下に響く。
萌華は少し屈んだり、顔だけ傾けたりしながら何枚も撮って、最後に画面を覗き込み、満足げに何度も頷いた。
「ああ、いい。すっごくいい」
『はあ・・・満足したか?』
「うん、ありがとう。じゃあ下行こ」
返事をする前に腕を絡められる。
制服の袖越しに細い腕がぴたりと重なり、萌華の肩がオレの脇へ収まる。
『だから階段一緒は危ないって;;』
「大丈夫。私がちゃんと支えるよ」
なぜか萌華の中では、階段はこうして並んで密着しながら降りるものらしい。
肩が触れて、腕が絡んで、逃げ場がない。
細い腕にぎゅっと力が入る。
振りほどけばいい。毎朝そう思う。
思うだけで、結局萌華の歩幅に合わせて階段を降りている。
ここまでが、いつもの朝のルーティーンだ。
「・・・うるさ」
階段を降りきったところで、冷たい声が飛んできた。
リビングの入口から末っ子のヒナが、怪訝丸出しでこちらを見ている。

『おはよう、ヒナ』
「おはよ・・・朝からイチャつくのやめて」
『イチャついてないって』
否定したそばから、萌華がオレの肩にこつんと頭を寄せてくる。
ヒナの目がさらに細くなった。
「そのかっこで無理あるでしょ」
『これは萌華が勝手に;;』
「結局嫌がってないじゃん、いいから早くごはん食べちゃって」
『おい;;』
言いたいことだけ言うと、くるっと背中を向ける。
前言撤回。
ここまでが、いつもの朝のルーティーンだった。
「それにしても朝からよくそんなベタベタできるね」
「いいでしょ。お兄ちゃんだもん」
「意味分かんない」
「ヒナもする?」
「死んでも嫌」
『え、オレ傷つくんだけど』
「知らないし」
「ヒナ、嫉妬してんの?」
揶揄うように萌華が言うと、ぴたっとヒナの足が止まった。
「は?」
「私がお兄ちゃん独占してるから」
「嫉妬なんてするわけないじゃん」
「ほんと?」
「ほんとだし」
「じゃあもっとくっついてもいい?」
「好きにすれば」
その言葉を許可と受け取った萌華が、さらにオレの腕へ身体を寄せる。
「えへへ////」
「・・・・・・目障り」
「やっぱり嫉妬?」
「だから違う!お兄ちゃんのバカ!」
『なんでオレが怒られるんだよ』
「あー、おはよー」
リビングの奥から、今度はやけにのんびりした声が飛んできた。
大学生のココネ姉さんが、コーヒーカップを両手で包みながらこちらを眺めていた。
「朝から賑やかだねー、いいなー。たまには私ともイチャイチャしてほしいなー」
「ダメ!」
萌華が勢いよくオレから離れた。
さっきまで絶対に離れなかったくせに、今度は姉さんとの間へ割って入り、両手まで広げて立ちはだかる。
再び前言撤回。
ここまでが、いつもの朝のルーティーンだ。

「ココネはダメ!」
「なんで?」
「色気振りまかないで!お兄ちゃんは私の推しだから!」
「えー、振りまいてないよー、萌華だけずるいー」
振りまいてるかどうかは置いといて、姉さんは常に色気が漏れてるんだよな・・・
「とにかくダメ、私はお嫁さんになるんだからね!」
『ならねえよ;;』
「なるもん!約束したもん!」
『約束って;;』
「ふふ、ほんとに萌華は、〇〇好きだよね」
「うん!推しと結婚して、毎日一緒に暮らせるとか、ほんと神!」
「うるさ・・・家族と結婚とか意味分かんない」
トーストをかじりながらヒナが呟き、なぜかオレを睨む。
「でも私は血繋がってないよ?」
「そういう問題じゃないから!」
萌華が何かを思いついたようにヒナを見る。
その口元がゆっくりと悪い形に変わった。
「じゃあヒナは、お兄ちゃんと結婚したくないの?」
「は?なんでお兄ちゃんと私が結婚しなきゃいけないの?絶対嫌!一億積まれても無理!てか普通に無理だし!」
『ヒナ、オレ傷つくんだけど』
「知らないし!」
「てことで、お兄ちゃんは萌華がもらうね」
「勝手にすれば」
「じゃあ決まりね」
『何も決まってないから;;』
「あはは」
ココネ姉さんだけがずっと楽しそうだった。
テーブルの上にはいつもの朝食が用意されていた。
薄めに焼かれたトーストと、両面を焼いた目玉焼き。隣には湯気を立てるコーヒー。
タイミングを見計らったような温度を感じて、いつも通りそのまま椅子に座ってかじりつく。
『ん、うまい!ヒナいつもありがとな!』
「別に、ついでだし・・・ってか、顔洗ってきなよ先に」
『いや、あんまり美味そうでつい』
「別にいいけど・・・」
ヒナはそう言いながら、自分のマグカップへ視線を落とす。
向かいでは、萌華がそのやり取りを見ながらニヤニヤしていた。
「へえー」
「なに?」
「ついでで、両面焼く?お兄ちゃんのだけ?コーヒーも入れてさ」
「べ、別に、するでしょ普通;;それくらい;;」
萌華の笑みがさらに深くなる。
「ヒナもお兄ちゃん、大好きじゃん」
「は?死んでも違うし」
『ヒナ、傷つくんだけど・・・』
血のつながった妹に朝から散々傷つけられたが、コーヒーは今日もちょうどいい甘さだった。
朝食を済ませて顔を洗いながら、鏡の中の自分を見る。
どうすんだよ、これ・・・
こんな朝の過ごし方も、もうそれなりに繰り返してきた。
母親に関して覚えていることは多くない。気づけば父さんと妹のヒナの3人で暮らしていた。
そんなオレたちに母さんと、姉と、妹がもう一人できたのは六年前。
父さんの再婚がきっかけだった。
父さんとオレとヒナ。
母さんと姉さんと萌華。
二つの家族が、一つになった。
よくマンガで見るような話が、まさか自分の身に起こるとは思わなかった。
最初こそ、うまくやっていけるのか不安だったが、六年も経てばもうすっかり家族だ。
ココネ姉さんはオレと同じ大学生。
穏やかで家族想い。
誰よりも周りを見ているくせに、ときどき面白がって余計な一言を放り込んでくる。
末っ子のヒナは――まあ、口が悪い。
オレに対しては特に。
昔は「お兄ちゃんお兄ちゃん」と懐いてくれていたのに、中学生になったころだろうか。
何をしても文句を言うし、ちょっと話しかけただけで鬱陶しそうな顔をする。
思春期とはそういうものなのかもしれないが、たぶん一生このままだろうとも思う。
オレとしては可愛い妹すぎて溺愛なんだが・・・
そして、次女の萌華。
高校生。
萌華は可愛い。自他共に認める、可愛い妹だ。
それは間違いないんだが・・・少々、拗れていると言わざるを得ない。
家族になったばかりの頃。
萌華は、今みたいに笑う子じゃなかった。
身体が弱く、入院していた時期も長かった。
人と関わることにも臆病で、最初の頃はオレと目が合うだけでも、すぐに視線を逸らしていた。
なんとか元気になってほしくて。
なんとか笑ってほしくて。
学校帰りに病院へ寄っては、くだらない話をした。
何が好きなのか姉さんに聞いて、喜びそうなものを持っていったり、欲しいと言われたものがあれば探し回ったりもした。
兄としてできることは、できる限りやったつもりだ。
最初は返事すら小さかった萌華が、少しずつ笑うようになって。
いつだったか「大きくなったら、お兄ちゃんのお嫁さんになる」そんなことを言われたこともある。
『元気になったらな』なんて答えた。
子供の口約束みたいなものだと思っていたし、萌華だってそのうち忘れるものだと思っていた。
身体も元気になって今では毎日学校へ通い、バイトまでしている。
元気になった。
それは、本当に嬉しい。嬉しいんだが・・・ちょっと元気になりすぎた。
いつの間にか兄であるオレを「推し」として崇める、重度の限界オタクになっていた。
カシャッ、シャシャシャシャシャシャ。
鏡越しに、スマホを構えた萌華と目が合った。
「わあ!」
『わあ、じゃない;;』
「洗顔するお兄ちゃん、レア!」
『レアじゃないだろ、毎日洗ってるわ;;』
「今日のお兄ちゃんは、今日しかいないじゃん」
『なんだその理屈』
「今日のお兄ちゃんを推せるのは今日だけってこと!分かるでしょ?」
『分からんわ!』
萌華はニマニマとスマホ画面を確認すると、満足そうに頬を緩める。
『消せよ』
「無理!絶対!」
即答・・・
「お兄ちゃん、今日も休み時間のたびにメッセージするから、ちゃんと見てね」
『面倒くさい彼女みたいなこと言うな』
「彼女・・・」
萌華の瞳が輝いた。
「お兄ちゃん、今、私のこと彼女って!」
『言ってないわ;;』
「ヒナー、お兄ちゃんに彼女って言われたー!」
「うるさい!いつまでやってんの。萌華、学校遅れるよ」
ヒナが洗面所までやってくると、そのまま萌華の制服の襟元を掴んだ。
「待って。お兄ちゃんにいってきますのハグする」
『そんな習慣ないだろ』
「今日から」
「お兄ちゃんキモいからやめて」
『オレやってないだろ;;』
「ヒナもする?」
「死んでもしない」
『ヒナ、今日何回オレを傷つけるんだよ』
「知らない」
「じゃあ私だけするね」
萌華が両手を広げる。
一歩踏み出そうとしたところで、ヒナが襟元をさらに強く引いた。
「しなくていいから。行くよ」
「なんでヒナが決めるの?嫉妬しないで」
「してないし!遅刻するからだし!」
ずるずると引きずられていく萌華。
「お兄ちゃーん!いってきますのハグー!」
『学校行ってこい;;』
「帰ってきたらおかえりのハグしてね!」

玄関から、まだ何か言い合っている二人の声が聞こえる。
やがて扉が閉まり、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに消えた。
ようやく静かになった。
リビングへ戻ると、ココネ姉さんはまだのんびりとコーヒーを飲んでいた。
今日はお互い一限がないから、時間的には余裕はあるが・・・
「姉さんからも、なんとか言ってくれよ」
「なんとかって?」
『萌華だよ。結婚するとか訳分かんないだろ』
「でも約束したんでしょ」
『それは・・・萌華に元気になってほしかったから・・・』
「ふーん」
姉さんはカップの縁に口をつける。
「私はいいと思うけどな」
『いいわけないだろ』
「なんで?」
『なんでって、家族だし』
「うん」
目元だけが、少し笑っていた。
「だから家族なんじゃない?」
『意味分かんないんだけど』
「そのうち分かるかもね」
『なにがだよ』
答える代わりに、姉さんはまたコーヒーに口をつけた。
絶対面白がってるだろ。
「でもさ・・・」
『ん?』
「萌華が朝いなかったら、どう?」
・・・・・・
・・・・・・
『どうとは?』
「静かでいい?」
・・・・・・
・・・・・・
『そりゃ・・・静かだろうな』
・・・・・・
・・・・・・
「で、どう?嬉しい?寂しい?」
・・・・・・
・・・・・・
なんだ、その質問。
少し前まであれだけうるさかったリビングは、冷蔵庫の小さな駆動音が聞こえるくらい静かになっていた。
姉さんは何も言わない。
続きを待つように、こちらを見ている。
『なんだよ』
「別に・・・新しい服、可愛いね」
『そらどうも・・・』
「あはは」
意味が分からん。
ピコン。
静かなリビングに、スマホの通知音が響いた。
[行ってきます、お兄ちゃんも気をつけて大学行ってね。変な女の子につかまらないように気をつけてね。早く帰ってきてね]
妹からのメッセージにしては重い・・・
思わずため息が漏れる。
『彼女かよ・・・』
「ん? 彼女?」
顔を上げると、姉さんがカップの向こうから面白そうにこちらを見ていた。
『なんでもない、オレ先行くから;;』
「えー、一緒に出ようよ、待っててよー」
楽しそうな声を背に受けながら、逃げるように玄関へ向かった。
【続く、たぶん】
読んでいただいてありがとうございます。
ずっと書きたかった矢田ちゃんです。
ひーつんと、ここねんにも登場してもらいました。
もう一人6期ちゃんに登場してもらおうと思ってます。
何話になるか分かりませんが、よかったらお付き合いください。
感想もらえたら嬉しいです。
ありがとうございましたー!
