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病気の不安が揺るぎない安心に。求めるものと届けたい人が明確になった話

私がnoteを始めたきっかけは、一昨年の病気だった。

酷かった症状が回復する大きな理由となった栄養療法が色んな知識を体験と共にもたらしてくれて、このことをいつか書こうという気持ちは、わりと早い段階から持っていたのである。

身体症状の記事に書いた外を歩き回っている時や、爆発しそうな頭で途中苦しくなったりしていた時も、

いつか文字が打てるように戻ったら、身体が止まれるようになった時は…そんなふうに漠然としたイメージだけはずっと脳の片隅にあって、

その時の「いつか」は今、こうして叶えることができるようになっている。

前書きでも書いたけど私は、本に寄せられた皆のたくさんのレビューがその時とても励みになった。

それで私自身も経験を書くことで、今悩んでいる人の役に立てば良いなと思ったし、その気持ちがなくなることはこれからもないと思う。

ただ一つだけ、最初の頃と変わったというか、始めた時には分からなかった部分が最近、明確になった。

それがタイトルに入れた、求めるものと届けたい人のことだ。

私が書いてきた病気というテーマは、私自身もそうだったけども、治したいとか健康な身体に戻りたい、というふうに多くの人が願うものだと思う。

それで私も始めた時…というか、最近まではその部分を中心にしていた。体験談を交えつつ、基本的には今困っている人がいればこういうのもあって…みたいな感じのスタンスだ。

しかし、どなたかのきっかけになれば、と思っているのは事実なのだけど、この栄養療法って結構ハードル高いよなあと思う気持ちも持っている、というのは過去記事でも書いたことがある。

それは健康というジャンルに対する熱量が関係しているのではないか、と個人的には思うのである。

そもそも健康というのは大抵の人は、普通に大事だと思っているはず。だけどいざ、本格的に取り組もうとする時にはやはり、

危機に直面した時やどうしようもなくなって、という事態になってからになることが多いんじゃないかと思ったりする。

もちろん普段から気をつけていたり、意識して生活している人はたくさんいるとは思うのだけど、命に関わらない場合はそこまで、熱心に取り組むまでではないというか…

“ハードルが高い”と感じたのは多分、この辺りだったのだ。

病気については症状にもよるけども、治すという形をとらず、共存している人も多い。

そして病院や薬で対処していくのが一般的だから、根本から治したいという気持ちを持っている人は結構、限られてくるような気がしていた。

だけどそもそも私が届けたかったのは、本当に「根本的に治したいと思っている人」なのだろうか…?と自分に尋ねてみても、なんだかしっくりこない。

私は治したいはまあそうなんだけど、完治は通過点としか思っていないからな…と思いつつも、しばらく悶々とする日々は続いていた。

しかしある時ふと、「私が得たと感じているものは何なんだろう」と思ったのである。

普段から自分が、栄養療法の恩恵だと思っていることは…?何が得られると思って、ここまでストイックに続けているんだろう。

それを考えてみた時、やっと見えてきた。全て合点がいって、自分の届けたい人がちゃんと浮かぶようになったのだ。

その上で書けるようになるな、と思えたことが嬉しかったので、今回改めてテーマとして書くことにした。

というわけでここから、私が栄養療法の恩恵だと感じているものについて大きく2つあるので、書いてみようと思う。

1つめは「個体がレベルアップすること」である。

この“個体”というのは自分の身体のことなのだけど、栄養療法はそのレベルを上げてくれる。

栄養療法というのは栄養素で病気を治す、というのが前面に出ているけども、

薬で治す(悪くならないように保つ)というやり方でも、仮に「治った状態」をゴールとするなら、一見どちらでも同じように見えると思うのだ。

だけど私は先ほど“完治は通過点だと思っている”と書いたが、目指すゴールをどこに持ってくるかで選択は変わると思っていて、

私の目指すところはその先、なのである。

私は今まで自分がコンプレックスと思っていた部分に「体力がない」とか、実は病気になる前からずっと続いていた症状も、細かいものはいくつかあった。

そして例えば生理痛のような、女性であればまあ普通にあるよねみたいな症状は、よっぽど重度でない限りはカウントしていなかったけど、

本当はそういう状態の自分を、できるものなら何とかしたかった。

だけど具体的にどうしていいか分からなかったし、細かいところに一つ一つ真剣に取り組めるほどの余力もない。

しかも栄養療法を知る前は、全ての症状はバラバラでどれも繋がってはいなかったので、

仮に改善しようと試みたとしても、やっぱり一つ一つでその方法は個別になる分、“取り組むべき場所がいくつもある”という途方もなさを感じていたと思うのだ。

しかし栄養療法は「全ての不調の原因は同じ」という、めちゃめちゃシンプルなアプローチだった。

私が今まで治るものと思っていなかった症状も“理論的には治していけるもの”“本当に手の尽くしようがない症状はないもの”だと分かった上、

コンプレックスだった体力のなさや、今回の病気で発症した精神面の症状も、全部繋がっていたものだったのだ。

身体が回復するにつれ、これまで何度か“脳が冴えて頭が良くなった”感覚とか、自信の部分でも変化を感じるようになったと書いてきたけど、それは個別にアプローチしたわけではない。

病気を治そうとして続けていた時に出てきた、私からすると副産物だったのである。

それで思った。

これ、どんどん良くなるものなんだ、と。

栄養療法はやっぱり、病気を治すことがゴールじゃなくて、身体を強く、エネルギー溢れる状態に持っていけるのだと日々実感するようになった。

そして途中から、自分をゲームのキャラとしてレベル上げしているような気持ちになってきたのだ。

画面の中ではなく、「この現実の自分」で。

“個体”という言い方をしたのも、その方が合う気がしたからだった。

イメージとしては、脳内ではこんな感じだろうか。

(妹に作ってもらった画像)

以前の体力がなかった私、を表すなら、画面の表示がHP10で、その後上がったらHP50、みたいに数値が反映される、というような。

他、体力だけではなく知力やメンタル面などもこういうスペックで表すとすると、各方面で自分のレベルは総合的に上がっている実感がある。

ちなみに私にとって、治すというのが1番に来るので優先順位が相対的に低くなってしまうのだけど、美容面(肌・爪・髪)についてもずいぶん強くなったなと思う。

そしてメンタル面は検査などで数値に表せるものではないけれど、

落ち着いて判断が下せるようになったり、物事を俯瞰してみられるようになったり、頭の中のネガティブな思考がなくなることなど、こちらの方が体感としてはもの凄い変化に感じている。

正直、病気になっていなかったら出会えていないものなのでこの仮定は成り立たないが、

そこそこ健康な状態からスタートできたらどれだけ良かっただろう、と思ったりもする。

自分の今の状態は“完全に元通り”とは言えないけど、その状態の今でさえ、以前の自分によくその状態で生活してたね、と声をかけたいくらいなのだ。

色んなことが大変だったんだな、というのは身体が変わってから気づいたことだったし、思考がうるさかったのも、頭の中が静かになってから気づいた。ああ、今までうるさかったんだ、ということに。

こういう変化を日々積み重ねてきて、1年以上が経った。

体力面で最近私は、40分のウォーキングを習慣にできるようになった。これまでの人生では絶対に考えられなかったことだ。少しずつ時間と距離を増やしてきて今は日課になり、結構楽しみにしている。

どれだけ雨が降ろうが関係なく続けられているので、体力の方も病気でどん底まで落ちたところからようやく、プラスに少し転じ始めたと感じているところだ。

ゆくゆくはこの散歩の運動量に強度を足して筋トレとか、もう少しアクティブな動きも出来るようになっていきたいな、と思っている。

さて、どこまでレベルアップするのだろう。
観察の日々なのである。

栄養療法の恩恵、最後2つめは「究極の安心感を得た」ことだ。

安心の反対は不安とか恐怖だけれど、私にとって、自分の中で答えの出ない不安や恐怖を、ずっと拭い去れなかったものが病気だった。

私はいくつか好きな医療ドラマがあって、ドクターXなら大門未知子、TOKYO MERだったら喜多見チーフのような優秀な医師がどんな患者さんも救ってくれる姿を見ると、とても良い気分になれる。

しかし医療ドラマというのはほとんどが、こういう“優秀な医師”の話で、「難しい病気だったけどこの先生だったから救えた」という要素が入ってくるものじゃないかと思うのだけど、

私はドラマを見て良い気分にはなっていたものの、同時に心の奥で不安も感じていた。

それは実際私の現実にそれが起きてしまったら、大門未知子は、喜多見チーフは、一体どうやって探せば良いのだろう、ということを考えてしまうからだった。

優秀な先生はどこにもきっと必ずいる。だけどどうやって探す?基準は?どうしたら自分が、辿り着けるのだろうか。

しかも作品であれば必ず失敗しないけど、現実でそうだとは限らない。もし仮にそういう先生に運良く出会えたとして、常に万全のコンディションで臨んでもらえるとも限らないのだ。

そもそも病気の進行具合にもよるだろうし、発見した時に救える状態かどうかも、再発の可能性だって否定できない。

…とか考えて、どの想定であっても自分の対処できる域をはるかに超えすぎてしまう。

それで、その不安を拭い去る1番簡単な方法が、私にとっては「病気にならないこと」だと思ったのだ。

だから色々と学んだりもしたし、取り入れられることはしてきたつもりだった。だけど健康を守るとか保つ、というのは本当に、あらゆる知識が巷には溢れている。

難しいなあ、と思っていた。

答えが出なかったら、病気という形で出会ってしまった。

最初はここで書いた通り、恨みにしか思えなかったし、感謝なんてできるものかと思っていたけど、

病気にならなかったら栄養療法には出会えていないし、ここまで自分の身体に向き合うことは出来なかったと思う。

だから今は、感謝できるようになった。

ずっと怖かった病気が、栄養療法で仕組みを知ることで怖くなくなって、身体のことを分かることがこんなに安心できるものなのだ、と知れたから。

私の実践しているのは藤川先生の栄養療法だけど、出会えたのが藤川式で良かった、というのも思うのだ。

藤川理論が良いなと私が思っている点が、極めてシンプルなことと再現性があることなのだけど、

藤川先生自身が栄養療法を広めることを第一にされているので、通常ならやってもおかしくなさそうな「商品を作って販売」という手段も取られていないし、

患者さんにすすめるものは出来るだけ良いもので、かつコストをかけなくていいようにというのも徹底されている。(※これはAmazonだと最安値で買えるとか、iHerbで値段と質のバランスが良いものをメーカー問わず紹介してくれる)

おかげさまで、私が病気に対して感じていた“難しい”という感情もすっかりなくなった。

こんなに簡単なことだったのだなあ、という安心感はやっぱり、良いものだと日々感じるのである。

実際のところ事故や天災など、防ぎようのない事態に全て備えられるわけではないし、栄養療法とて完全無欠なわけでは当然ない。

だから何を持って安心、と言えるかはその人の領域でしかないと思うのだけど、

少なくとも私は、自分にとって1番の不安要素だった、「どうしたら良いか分からない」という思いが消えたことが、ありがたかった。

加えて、何か不測の事態が訪れたとしても、自分の身体が整い、強くたくましくなっていれば、

その時冷静に瞬時に、必要なことができる判断力を持っていられるということにもなる。

それは以前の私からすると、どうしたらそういられるか見当もつかないけど、とても欲しかった在り方でもあった。

まさか栄養でここまで、という感じであるが、実践していくと体感しかなくて、改めて藤川先生がここまで再現性を高めた形に理論としてまとめてくれたことに感謝である。

そしてそれを見つけてレールを敷いてくれた妹や義弟、支えてくれた家族、関係者各位にも感謝は当然あるのだけど、

ものすごく迷惑をかけてしまって申し訳ないという思いの方が強く、何か恩返しできないだろうか、というのはずっと考えている。

1つめに書いた、自分のレベル上げをすることにパッションがあるのはこういう背景もあって、ただ元に戻りました、では私の周りの人に恩返しできるようになれないと思ったからでもあった。

当時の自分の頭で考えられるようなところから、上がっていかないといけない。今考えられないことを、考えられるようになりたいと思った。

そう思って取り組んでいくうちに、少しずつ頭が回るようになってきて、今に至る。まだ全然、道半ばだけど。

そして私が今回、自分のnoteを届けたい人が浮かんだというのは、特にこれまで書いてきた内容を変えるわけでもないし、だから何というものでもない。

ただ、手紙の送り先、宛名が書けるような気がしたのだ。

イメージが浮かんで、
その人たちに向けて、という感じがして。

私は栄養療法でレベル上げしていたり安心感を得られるようになっているし、栄養療法の知識そのものは凄くいいと思っているけど、

栄養療法で担える部分が全てではない、という思いも普通に持っている。

そして藤川先生の仰ることだけを遵守し実践している、というわけでもない。

ベースが頭に入れば応用が効くので、色々加えて試しているものもある。いずれはもう少し減らせたら良いなとも思っている。

その上で、届くといいなと思うのは…

今やっていることをずっと続けていきたいという仕事やスタイルのようなものが既にあって、

そのために身体が健康でエネルギー溢れる状態であることが必要だと考えている人や、

長期的に健康レベルを上げていくことに本腰を入れて取り組みたい人、

健康に対して安心と自信を得たい人…みたいな感じだろうか。

今まで動かなかった人生を動かしたいと思ったり、自分の栄養状態が満たされた時のポテンシャルを見てみたいと思う人も良いかもしれない。

総じて、“その先の自分”を感じている人かなという気がしている。

もちろん、今病気の真っ只中の人が見つけてくれてもそれはそれでありがたいことだ。

個人的には難病とか治療法が見つかっていないとか、対処法が分からない病気の改善報告が藤川先生のブログにいくらでもあるので、そこへの入口になれたらいいとも思っている。

どちらにせよ、何かこう…どうやってもガチめな感じなので、ストイックに身体のことを考えたい人に、何かの形でお役に立てたら嬉しい。

以前ナイアシン(フラッシュ)の記事で書いたように、私が若干攻めている部分があるのは、こうしたレベル上げ系の意識があったからだったのか、というのをこの記事を作っている時に気づいたことだった。

ただ、今身体が弱っている人は特に、より身体に優しいアプローチの方が合う人もいるのは間違いない。

なのでもし、今回の記事をきっかけに栄養療法にチャレンジしようと思ってくれたとしたら光栄ではあるものの、本当に無理だけはしないでいただければ幸いである。

今、私ができる恩返しはまだ浮かんできていないし、自身で実践と検証を繰り返している最中だ。

持っている経験や知識を出し切るにも結構時間はかかりそうだけど、それが今のところ私にできることだから、精一杯やっていこうと思っている。

今後は、先ほどちらっと触れたけども、私は藤川理論では出てこない、もしくは出てきてもほとんど強調されていない知識についても試してみたものはわりとあって、それらも出していく予定である。

これまでは藤川先生の本やブログで出てきた栄養素を自分なりに深掘りした記事を書いてきて、ある程度キリの良いところまでは出したところだった。

主になる部分だからこそ、できるだけ知らない方でも普通に読んでみたいと思ってもらえるようにスラムダンクのキャラを使って説明したり絵を描いたりしてきたが、

これは自分の中ではできるだけ、一般的に仕上げたくて書いた記事たちでもある。

でも、今回のような内容をこうして書けたことで、これまで書いてきていない部分のこともいけそうな気がしてきた。

どうやって表現したら良いか方向性が分からないと思っていた件なのだけど、次はその話題にしようと思う。

内容は、ジャンルとしては量子力学とかスピリチュアル、潜在意識系になる。感情とか内面に振り切った感じだ。

一見、栄養療法とは関係なさそうにみえるが、私が実践してきた中で最も衝撃的だったのがこの部分で、関係ないどころか大ありなのである。

今回書いてきたのもだいぶ自己啓発っぽくなってしまっていると思うけど、実は栄養療法とは私の中でもはや自己啓発ジャンルになっている。

次に書こうとしていることはそこから更に踏み込んだ感じになるし、どうかなあと思っていたので書かずに終わることも可能性は全然あったのだけど、何やら吹っ切れた感があるので、また次回に。。


つづきます。

【栄養療法】
▼すべての不調は自分で治せる(本)
▼藤川先生のブログ

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