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病状の経過【精神症状編】

身体症状編の方でも書いたけれど、今回も念のため前置きはお伝えしておきたい。

もし今病気で苦しんでいる最中だったり、心が弱っていたりする方が読むと、描写によっては同調してしまって辛くなってしまうかもしれない。前回よりかなり長いので、そうなった時は無理せず、読むのをやめて離れていただければと思う。

これまでと去年発症した病気の違いについて、身体症状編では“息苦しさのレベル”について触れた。

今回の病気はそこに精神症状が加わったことが、大きく違っている。まとめると以下のような症状があった。

①扇風機をずっとつける
②窓が閉められない
③別人のようにネガティブになる
④今この瞬間に何をしたら良いか分からない
⑤大声で叫ぶ
⑥両親と一日中電話を繋ぐ
⑦自分の身体に私物感がない

これから各項目の詳細を書いていこうと思う。

まず
①扇風機をずっとつける
②窓が閉められない
については、

過呼吸が夏にお風呂で起きた出来事だったかは、その時に「暑さ」と「息苦しさ」がセットになってしまった感がある。それが起きそうで怖い、が発端になっていろんな事に派生していった気がしている。

湯船に入れなくなったのはまさにそれだし、発作が起きるタイミングはドライヤーの中盤〜終盤あたりが結構鬼門だった。暑くてだんだん苦しくなってくるのである。

扇風機については風が当たると“ちゃんとここには空気がありますよ”というふうに体で感じられるので、息苦しさを回避できる(という気がする)。

回避できずに発作が起きても、空気が止まる感じに結局耐えられなくて、当て続けていた。やめるのが怖いのだ。

これは夏を過ぎ、秋が来て、冬になり、気温がどれだけ下がってもずっと続いた。

窓が閉められないのも同じで、いつも外の空気が入るように換気しておかないと落ち着かない、という感じになる。

雪の降る寒い日でも少しの隙間を必ず開けて、寝る時には扇風機を回して顔に当てる。

眠る間は閉めて過ごせるわけだから、身体の機能的にというより気持ちの問題なのだというのは分かっていても、止められないのだ。

③別人のようにネガティブになる
④今この瞬間に何をしたら良いか分からない
⑤大声で叫ぶ
⑥両親と一日中電話を繋ぐ

この4つについては結構、連動していた。

私はこれまで生きてきた中で“何もすることがない”とか、“何をしたら良いか分からない”、とか思ったことは未だかつてなく、

振り返ってみると思考としては、だいぶポジティブな方でやってきたと思う。

それが徐々にネガティブの割合が増えていき、とうとうネガティブ一色、みたいに変わっていった。

とにかく何かの拍子にすぐ落ち込んでは、暗く重い雰囲気になる。口を開けばマイナス思考に支配された言葉が次々出てきて止まらない。

不安が強すぎて一人でいられず、妹に直接話を聞いてもらっていたけど、ついに妹の限界を超えてしまった。次は両親に電話をして、かなりの時間繋いでもらうようになった。

何も話さなくて良いから、と生活音を流してもらったり、外出先でもできるだけ切らないようにしてもらったりもしていた。

このネガティブと“何をしたら良いか分からない”が合わさってから、内側にあった不安感に存在感が出てきたというか、生命力が宿ったような気がする。

この不安感を説明するのに巣、渦、霧…知っている単語をいくつか当てはめてみたけど、どれも違う。

強いて言えば、「影」が近い気がした。

影そのものには実体がない。でも、ちゃんと形としては見える。私の中にいたのは存在感と勢いが足されたような影…生き物のような気配も感じるようなものだった。

その影は小さな獣みたいに体の中を駆けずり回りながら暴走し続ける。獣は怪物のように感じた。どんどんどんどん大きく広がって、ついに喉の奥から飛び出してくるみたいだった。

ちょうど良い画像が見つけられなかったので描いてみたのだけど、こういう描写は漫画やアニメなどでは、その界隈の作品であれば珍しくないと思う。

だけどこんな、描写そのもののような事が自分の身に起きるとは…夢にも思わなかった。

これは一体、何だ…?何が起きているのか。どういうことなのか。

病気になってから、起こってきた症状全てにそもそもついていけていなかったけど、特にこの感覚は恐ろしかった。

その感覚が来ると叫びたくなる衝動を我慢できなくなるので、枕にできるだけ強く顔を押し付けて、大きな声を出す。

普段できないけどその時だけは窓とドアを閉めて、可能な限り声が枕の中にこもるようにしていた。

それで大分ボリュームは抑えられていたとは思うけど、実際のところは…近隣の方にはもしかしたら、ご迷惑をおかけしていたかもしれない。聞こえたら怖い思いをさせただろうから、申し訳ない。

この影と叫ぶ衝動は何度か繰り返すうちになくなっていったものの、ううぅっ…と頭を抱えてしまいたくなるような何とも言えない圧迫感と強烈な不快の感覚は、発作のようにずっと残り続けた。

⑦自分の身体に私物感がない

先ほど漫画やアニメのような…と書いたけど、これもその感じがした症状の一つだった。

“体が他人と入れ替わる”という設定は、作品だと定番だし、感覚としてはそれに近いと思うのだけど、私の場合は入れ替わった他人の存在はなかった。

ただ、自分の意識がある「器」としての身体に、これは私の身体である、という私物のような感覚がなくなったのだ。

過去の記憶が飛んだりなどはしていないし、意識が混濁したりとかもしていない。

だけど自分の身体に何というか…驚くほど、「当事者感」が薄いのである。

これまでに病気だったり怪我などもそうだが、“私”が苦しいとか、“私”が痛みを感じる、とか、わざわざ言葉にするのは違和感があるけど、これまではずっと私は自分の身体と一体で、当事者だった。

それが変わっていって、自分の身体に対して、こいつは誰だ?という感じになった。

この“こいつ”という言葉には、私の恨みや憎悪の感情が込もっている。

というのは、
発作が起こった時思ったのが

“私は身体に殺される”

だったからだ。

酸素ボンベすら受け付けず、少し休もうとすると首を絞め、息の根を止めにかかってくる。安心して横にもなれない。食も休息も、やりたいことも、全て奪ってひたすら歩かせる。

「寝首を掻く」という言い回しがあるが、私にとっては病気になって出てきた症状の全てが、自分の身体から寝首を掻かれたような気持ちだった。

身体は味方だという言葉も、その時は心底クソくらえだと思っていた。

そんな恨み憎悪まみれの時期を過ぎた時、身体に対しての感情は、今度は「無」になった。知らない人に恨みは持ちようがない。どうでも良いし関係ない、という感じだ。

そして自分自身の本来のベースのような人格は極端に気配が薄くなって、別の人格が幅を利かせるようになった。

その人格はとにかく否定的な事を言いまくり、やたらと声高に自分自身を責め立てるような主張を繰り返す。

この人は何なんだと思いながら、主人格は遠くの方でぼんやりと姿が確認できる、くらいの存在感だった。

一体私は何を見せられているのだろう、と思っていた。それを観測している側の私の立ち位置も、よく分からなかった。

冬になると、近所の散歩していた道は街灯がないところは人通りもなくて、真っ暗だった。

あてもなく、かといって発作が途中で起きても戻れるような距離までしか行けなくて、同じ所をぐるぐると歩く。

この分離感を持つようになってから外を歩いていると、パラレルワールドで別世界に来てるのではないか、という感覚に陥ることがよくあった。

ここは本当に私のいた世界だったのかと疑うほどに、何もかもが変わってしまった。

とはいえ、周りの景色は何も変わっていないのだ。

変わったのは私だけ。

さすがに病院で一度調べてもらった方が良いと勧められ、妹に付き添ってもらい、近所の一番近い内科に行って、検査を受けた。

病院に行けたのはこれまで書いてきたような症状がまだマシな日ではあったが、大変だった。

「パニック持ちで…」と受付の方に伝え、外に出たり入ったりしながら、出来る限り院内にいる時間が少なくて済むようにして診察を待つ。マスクが苦しくて、手で何度も口元に隙間を開ける。水を飲んだりトイレに行ったり、ずっとソワソワして落ち着かない。

用紙などの記入などは全て、妹が代わりに書いてくれた。

内科に行った時はそんな感じでもギリギリ大丈夫だったが、婦人科に行った時は診察室で発作が起きた。検査も痛くて、悲しくなった。

それでも検査を受けにいったのは、この身体のどこかに、異常を見つけてもらえることを期待したからだ。

もし原因がはっきりしたら、対処ができる。対処法があるなら、この症状は治るってことだからだ。

だけど結果は…

内科も婦人科も異常なし、だった。

内科では結構な項目を調べてもらったが、特に原因になりそうなものは見当たらなくて、内科で問題ないならホルモンの関係か、と婦人科に願いをかけていた。

自律神経失調症の代表的なものはほとんど該当したし、更年期障害とかホルモンバランスの乱れとかで、何かしらはあるはずだ…という期待も虚しく、更年期障害の兆候もなければ、生理が止まったと言っても3ヶ月くらいでは…みたいな感じだった。

異常がなかったこと、もっと深刻な命に関わる病気じゃなかったことは喜ばしい事じゃないか、と両親から言われた。

確かにその通りだと思う。そう、これは、大きな病気じゃない…ということになるのだろう。命に関わらない、から。数値に異常がない、から。

…だけど、こんなことって。これに異常がないって。。ねえ、どこかおかしいんだって。おかしくなかったら、こんなふうになるわけないじゃないか。

脳内のどこか神経回路の、よくわからないけど、何かが変になっているから、こんなふうになってるんじゃないか。

それでも、打つ手はない。後は精神科の領域なので…とどちらの先生からも言われた。

心療内科は、行けそうな範囲で探しても予約は1〜2ヶ月先しか取れない。新規は受付すらしていないところが多かった。

仮にその時行けるクリニックがあったとしても、予約したのに1時間以上待たされたとかいう所はザラにあって、自分の状態から考えても、とてもじゃないけど行けない。

何か出来ることがないかと探した時に、自律神経失調症系の動画を見つけた。ストレッチや体操のYouTubeを見ながら身体のケアをする事くらいだったら、出来そうだと思った。

そこに寄せられたコメントを見た時、不調が山ほどあるのに病院では異常なしだった、という人がたくさんいることを知った。

長年苦しんでいる人も本当に多かったので、私だけじゃないんだと思えた。反面、私もこの先ずっと長年苦しみ続けるのかもしれない、という不安は拭えなかった。

そのコメントの中には心療内科に既に通って何年、みたいな人もやはり多くいて、

私自身が心療内科に実は及び腰だったのだけど、それは単に未知の不安もあったが、何より怖かったのがこれである。

精神科で処方された薬を飲み続けても、治らない可能性があるということだ。

特に異常がないならなおのこと、そもそも今の自分の状態だと薬に依存して、根本的な改善にはならないのではないか…?という気がしてならなかった。

いったい、どうすれば。。

どんなに途方に暮れても、夜は明けてまた朝が来る。時間が経つのが異様に遅くて、どうやって一日を乗り切れば良いのか、毎瞬毎瞬、何をしたら良いか分からないまま、何とかやり過ごすしかなかった。

こんな状態だった時に、栄養療法に出会った。

正確に言うと、妹が見つけてくれたのだ。

「お姉ちゃんと同じような症状出てる人が治ってるよ、私はいけるような気がする」と言って、本に書いてあるプロテインやビタミンの量を計算し、揃えてくれた。

私はその頃本は間違いなく読めなかったし、g数や単位なども自分で計算なんて、絶対に出来なかった。

これまで生きていて普通に過ごせてきたのに栄養不足…?と、私が意識したことはなかったが、ほとんどの人が実は栄養不足だそうだ。

症状に出るか出ないかの境目は、思ったよりものすごく、薄かったのだと知った。

今では、病院で検査を受けて異常なしと言われたことも、これまでに書いてきたさまざまな症状が発生した理由も、なぜそうなったかが分かるようになった。

初めて手ごたえを感じ、これは治ると希望が持てた。それから紆余曲折あったし、全ての症状が消えたわけではないけれど、こうして頭を使って文章を書けるほどには回復した。

今は、レベル100くらいあった症状が10くらいまでにおさまってきたな、といったところ。いずれ症状はなくなっていき、病気になる以前よりずっと良くなるだろうな、と自然に思えている。

そしてこの紆余曲折、というのは栄養療法を実践してきた中でのことだ。書くことはいくらでも出てくるので、今後健康系のテーマで書いていく内容については栄養療法のことがメインになる。

ただ、実は前書きには、
“この不調を治してくれた大きなものの1つが栄養療法”だと言う書き方をした。

そう、大きなものはこれだけではない。もう1つ私には、回復を助けてくれた大きな存在があったのだ。

栄養療法はある意味、目に見えるものである。数値やサプリメントのように、物理的なアクションで直接働きかけるものだとしたら、

もう1つの方は、目に見えないところのアプローチで間接的なものだけど、根底を支える重要な部分だと思っている。

次回はその件を書いていこうと思う。


つづきます。

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