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デマの心理学 公開にあたり

今回、中村古峽の『流言の解剖』という本を翻刻し、若干の注釈と解説を付すという仕事をしました。

最初はあまり深く考えていなかったのですが、心理学に関わるものの端くれとして、情報過多に踊らされ病んでしまっている人々を憂いだところから、この仕事は始まっていたと思います。

作業を進めていくと、「なんだ、昔も今も人って全然変わらないじゃないか」と呆れかえるに至りました。これは現代に生きる人間として、あまり好ましい結論ではありませんでした。

編者が中村古峽を知ったのは、数年前から関わっている心理学の仕事を通じてです。本書はどちらかというと歴史的なものであったり、単なる啓発本のように思われる可能性もあるのですが、中村古峽はれっきとした心理学者で、変質した異常心理の研究をおこない日本精神医学会を設立した医者でもあります。

したがいまして、主眼はあくまで歴史的な出来事や進行形の問題における医学的心理学的アプローチであろうと思います。

理論や専門用語を振りかざし、人の行動を「何々にすぎない」と還元して偉ぶるための心理学ではありません。
どうにかして「人を治さなければいけない」心理学です。

心理学というと、日本では精神論に対する嫌悪感から生理学的心理学(心というものは存在せず、心理的なものはすべて物質的な原因から生ずると考える傾向がある)が圧倒的となって久しいです。心理学が「心がまえ」などといえば、今の日本では笑われるかもしれません。

しかし、現代日本のこうした諦観、つまり「わたしは悪くない。原因はどこか別のところにある」という理屈が、どれほど市井から倫理を失わせたのでしょうか。

自身の倫理や責任について考えることを放棄すれば、無意識心理学的には両親像に捉われたままとなり、自我意識はずっと幼児的なままです。

本書で言及されていますが、これが人びとを流言など無責任な行動に走らせる原因となります。精神が子どものままなので、政治についても倫理についても真剣に考えようとしません。

この主体不在の心理が、結局は群衆心理を構成していきます。群衆心理がいかに諸刃の剣的な危険性を内在しているかは、本書で十分例示されていると思います。

よって翻刻の意図としては、
① 情報に振り回されない主体性をもつことの大事さ、
② 群衆心理にとりこまれることの危険性、
を心理学的に分析したうえ提言したいということがあります。

この点、中村古峽は歴史的な記録を元に説得性をもたせようとしています。
「個人個人の心の動きは予測しがたいが、集団となれば法則が適用できる」というのはSF作家のアイザック・アシモフのいっていたことで、かつての歴史に重なるところが現代にもあれば、近い将来起こることをある程度予測することができます。

編者としては僭越ながら、読者には本書を通じて、社会をよくするために歴史を振り返り、自分をよくするために心を振り返ってほしいという思いがあります。

二〇二六年六月 編者


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