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🌸「オオシマザクラ」〜薪炭から桜餅へ、歴史をつなぐ初夏の青葉〜

桜葉の産業としての歴史(まとめ)

江戸時代(1717年頃〜)
桜餅は江戸時代に始まりました。
この1717年頃といえば、享保年間の始めです。
1717(正徳6)年、7代将軍・徳川家継の後、 
紀州藩主であった吉宗が、幕府に8代将軍として迎えられ、財政再建を皮切りに改革を推し進める
背景があります。

長命寺の桜餅は、江戸・長命寺の寺男が隅田川堤の桜の落ち葉を塩漬けにして餅を包んで売ったのが最初と言われています。 

ただしこの時期はオオシマザクラではなく、ヤマザクラの葉が使われていました。…?

(ちょっと待って!)
(※1)昨日までは、確かオオシマザクラと出てきていましたが…訂正なのでしょうか?

明治末期
伊豆半島では明治末期、南伊豆の子浦地区で桜葉漬けが始まりました。  これが伊豆でのオオシマザクラの葉の産業的な利用の起点だそうです。

1960年代〜(畑作への転換)
1960年代の高度経済成長期、
和菓子の需要が高まるのに合わせて、松崎町では桜葉を収穫するための桜畑を随所に設けました。

それまでの山採りから畑作に切り替えたことで、桜葉漬けの生産量を飛躍的に伸ばすことができました。 

つまり「畑で栽培する」という形になったのは1960年代(昭和35年頃)が起点で、高度経済成長による和菓子需要の拡大が背景にあります。

それ以前は山に自生しているものを採取していたわけで、「桜餅のために植える」という発想への転換はわりと最近のことのようです。

現在、松崎の畑には植樹から60年ほど経つ株もあり、かなり昔からこの地で桜の栽培が行われてきたことを物語っています。

ちょうどその60年前が1960年代と一致します。

(※1)実は、「ヤマザクラだった」という記述は、はっきりとしたことはわかってないようでした。
(実際にわかることは…)
長命寺の創業者・山本新六は享保2年(1717年)に「土手の桜の葉」を塩漬けにして桜もちを考案した とされています。

公式の記述では、品種は明記されていません。

当のお店(長命寺桜もち山本や)の女将によれば、江戸時代は隅田川沿いの桜葉を使用していたが、現在は、より大きく香りの良い西伊豆・松崎産の「オオシマザクラ」に変わっている  とのことです。

「ヤマザクラだった」は確かなのか?
隅田川沿いに江戸時代に植えられていたのが、
どの品種だったかは、文献的に明確には特定されていないようです。
AIによると、前回紹介したウェザーニュースの記事で「当時はヤマザクラだった」と書かれていましたが、それを裏付ける一次資料は見当たらなかったそうです。

ポイントは:オオシマザクラは江戸時代からすでに本土に広まっていたこと。

隅田川沿いの品種が何だったかは記録が曖昧。

「ヤマザクラだった」という説は一部の解説記事によるもので、根拠が薄い可能性がある。

つまり、「当初からオオシマザクラだったかもしれない」という可能性は十分あると思います。

直感的にオオシマザクラだと思っていたのは、あながち間違いでもないかもしれません!

(そして、もう一つの疑問点として)
「寺男」説と「創業者」が混在している?

AIによると、「寺男」と「創業者」は同一人物であるそうです。

現在のお店(長命寺桜もち)に伝わる言葉によれば、「私どもの祖先に、長命寺の門番をしていた山本新六という者がおりました。この人、桜の季節は落ち葉の掃除に手を焼いたそうで、ふと思いついて桜の葉を塩漬けにいたしまして、薄い皮で餡を包んだものに巻いて売ったところ、大変な売れ行きだった」 とのことです。

つまり、
山本新六=長命寺の門番(寺の御用を務める人)

落ち葉の掃除に困って思いついた→桜もちを考案

そのまま長命寺の門前で売り始めて創業者になったという流れです。

農林水産省の記録にも「長命寺の門前に住み、寺の御用を務める山本新六という男性が、土手の大量の桜の落ち葉を掃除していた時に思いつき、葉を塩漬けにして餅を包んだ」 と書かれているそうです。

落ち葉の再利用から思いついた「寺男」がそのまま商売を始めて、今も続くお店の創業者になった、ということのようです。

💡さらに調べていくと…
桜餅用の木として利用される前に、薪炭として栽培されたことがわかりました。

(時系列を整理してみると…)
江戸時代以前から、
オオシマザクラは伊豆諸島から、本土へと薪炭用に持ち込まれていたようです。

1717年に長命寺の桜もちが誕生

明治末期に伊豆で桜葉漬けが始まる

1960年代に畑作へ転換

薪炭利用の方がずっと古く、桜餅より先です。

「タキギザクラ」という別名が定着するほど、薪炭としての歴史は長かったと考えられています。

💡流れとしては…
(江戸以前〜)  薪炭用に植林  

(1717年)  
その木が隅田川沿いにも広まる 
桜もち誕生
↓ 
(明治末期)
薪炭産地の伊豆で副業として 桜葉漬けが始まる 
↓ 
(1960年代)
薪炭需要が減り、高度成長で和菓子需要が増大 桜葉の畑作へ転換

つまり、薪炭として育てていた木の「副産物」として葉が注目され、やがて主役が入れ替わっていったという変遷だそうです。

薪炭→桜葉という主役の交代、
そして、落ち葉掃除から生まれた桜もちが300年続くお店になるという話、
薪炭→桜葉の産地→桜餅の起源まで、歴史がつながっていくのが興味深かったです🌸 


複数のAIに依頼して調べていて、モヤモヤしていたものがやっとスッキリしました💦

でも、これも現時点で納得できることであって、
さらに疑問点も出てくるかもしれません…

ずっと前の伊豆旅行で、広い畑にズラリと植えられていた植物に、「盆栽のようだけど何の木だろうか?」と引き寄せられて、桜の木であることを確認したことからつながっていたのでしょうか…

関東風と関西風の桜餅の小豆が、つぶあんとこしあんに分かれていることも興味深いです。

読んでいただきありがとうございます☘️


読んでいただきありがとうございました☘️

今日からの伊豆合宿セミナーに参加される方へ
もし、どこかで「オオシマザクラ」を見かけることがありましたら、ご一報ください🙇

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