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冬の白い花から、初夏の実りへ

枇杷(びわ)といえば、やさしい橙色の果実を
思い浮かべる人が多いかもしれない。

けれど私にとって、
今年の枇杷は、冬の白い花から始まった。

昨年11月、小さなつぼみを見つけた。

寒さの中で、本当に大丈夫だろうかと
思いながら、ずっと見守ってきた。

枯れそうになりながらも、
今年初めて実をつけた鉢植えの枇杷。

「植物は忍耐強い」と思っていたけれど…

冬のつぼみを見つけて、
白い花を見守り、
枯れそうになって心配して、
やっと色づいた実。

今年実ったのは、たったふたつ。
けれど、不思議なくらい甘かった。

冬から見守ってきた時間まで
いっしょに味わったからかもしれない。

枇杷は急がない植物だった。
だからこそ、実りの喜びも深いのだと思う。


🌳植物としての枇杷の不思議

🔸そういえば、
なぜ枇杷という名前なのだろう?

🔸いつから日本人は
この実を食べてきたのだろう?

ビワ は、少し変わった果樹と言われています

🔹冬に花を咲かせる珍しい果樹
多くの植物が眠る季節に白い花を咲かせる

🔹実るまで半年近くかかる
冬に花 → 春を越え → 初夏に実る。
「待つ時間の長い木」といわれる

🔹葉が厚く、生命力が強い
大きな葉は昔から民間療法でも親しまれてきた。

🔹種が大きい
「実は少ないのに、なぜかありがたい果物」
とされている。

春に咲く花のような華やかさはないが、
枇杷は、寒い季節に黙って花をつけ、
長い時間をかけて実を育てる。

やはり、「急がない植物」なのだと思う。


🌳名前の由来について

果実の形が琵琶に似ていたため、「琵琶のような果実」→「枇杷」と呼ばれるようになったと言われています。

「枇杷」という漢字が最初に文献に登場するのは、中国・2世紀頃の語学書『釈名』で、これは楽器の琵琶についての記述でした。

「推手前日批(びわを前に押す動作)」、
「引手却日把(手前に引く動作)」とあり、もともとは演奏動作を表す言葉だったそうです。 

また、楽器の琵琶のルーツはペルシア(現在のイラン)の「バルバット」という楽器で、シルクロードを経て中国に伝わったものだそうです。 


🌿 日本と枇杷の歴史

いつ伝わったか?

枇杷の原産は中国南西部(重慶・湖北省)で、
日本には古代に持ち込まれたと考えられています。
本州の関東・東海沿岸や九州北部などに自然分布しています。 
最も古い文献記録は762年に記された正倉院の書物だそうです。 

🌳葉が先、実が後?

ビワ葉療法は約1500年前、中国の僧医によって日本へ伝えられました。

当時、施薬院や全国のお寺で、僧侶たちにより行われ、病に苦しむ人々に広く信頼されていたそうです。 

日本には仏教伝来とともに伝わったとされており、寺の境内にビワの木が植えられているのはそのためではないかとされています。


🌳食用栽培は江戸時代から

食用としての栽培が始まったのは江戸時代後期で、当時の実は球形の小玉でした。

現在のような卵形で大玉のビワは江戸時代末期に中国から導入されたそうです。 

江戸時代には、食中毒予防としてビワの葉を煎じて売る「枇杷葉湯売り」が夏の風物詩になるほど、葉の利用が庶民に浸透していたそうです。


まとめると…

🔸2世紀(中国)
「枇杷」の文字が楽器の琵琶の名として登場

🔸5〜6世紀(中国)
植物の枇杷が「枇杷」と呼ばれ始める

🔸古代〜奈良時代 
仏教とともに葉の療法が日本へ伝来

🔸762年
正倉院文書に記録(日本最古の文献)

🔸江戸時代後期
 食用栽培が本格化

このように、「葉の薬用利用が先、実を食べるのが後」という歴史の流れがわかります。


📌疑問として…
枇杷は現在も種が大きいですが、
中国から大玉が導入される前、実が小玉だったということは食用ではなかったのでしょうか?

💡AIによると…
「食べていなかった」とは言い切れない、面白い実情があるそうです。

🔸762年に記載された正倉院文書には、
枇杷が当時の食用果実の中で、最も安価だったという記述があるそうです…。

つまり、小玉でも一応食べられてはいたけれど、安くて地味な果物という扱いだったようです…。 

🔸また、弥生時代中期以降の遺跡から
ヤマビワの遺物が発見されているそうです。

🔸  南北朝時代(1336〜1339年頃)には、
大阪の箕面山で山に自生している枇杷の実を食べた人が株を持ち帰って栽培し始めたという記録も残っているそうです…。

🔸江戸中期(1751年頃)に千葉・富浦で栽培が始まった頃も、まだ小ぶりな実でしたが、すでに江戸に出荷されていました。 

つまり、小玉でも食べること自体はしていた?
(弥生時代から)

ただし実が小さく種が大きいため、食用果実として「売れる品物」にはならなかったのかも…

大玉が導入されたことにより、
商品価値のある果物になったのかもしれません。

が「大薬王樹」と呼ばれ重宝されていた一方で、小玉だったは、ずっと脇役だったというのがちょっと意外でした💦

📍 昨年11月25日のnote記事です…
この中に第4回ビワ茶があり、葉が「大薬王樹」と呼ばれていたことが書かれていました。

〜いのちをやさしく包む葉〜
秋の陽ざしのなかで、光を受けて輝くビワの葉。

厚く、つややかで、深い緑をたたえたその姿は、まるで大地のぬくもりをそのまま抱いているようです。
古くから「大薬王樹(だいやくおうじゅ)」
と呼ばれ、あらゆる痛みや熱を鎮める
「癒しの木」として寺院の庭や民家のそばに
植えられてきました。

「一家に一本、ビワの木を」と言われるほど、人々の暮らしに寄り添ってきた植物です(略)

読んでいただきありがとうございます☘️

タイトル画像はAIによるものです…
白い花の開花は寒い冬でした。
ビワの実は初夏に成るので、
このタイトル画像はAIによる魔法ですね😆

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