「ナンバーワンスポーツ」とは、何がナンバーワンなのだろうか|一番身体能力の高い子が、自然にサッカーを選ぶ国へ
拙著『サッカーを日本のナンバーワンスポーツに』から生まれた問い。
「国技」という言葉から、改めて「ナンバーワンスポーツ」を考えた
私が「ナンバーワンスポーツ」という言葉を使い始めたのは、今回のワールドカップがきっかけではない。
昨年、私は小説『ナンバーワンスポーツ』を書いた。
そこで描いたのは、一人の世界的スターが現れ、その選手に憧れた子どもたちがサッカーを選び、やがて日本サッカー全体の人材層が厚くなっていく未来だった。
漠然とではあるが、以前から、
日本で特に高い運動能力を持つ子どもたちに、サッカーを選んでもらえる環境をつくれないか
という想いがあった。
そんな中で、今回のワールドカップ後に鎌田大地選手の発言を目にした。
ブラジル戦後、鎌田選手は、日本が将来ワールドカップで優勝するためには、サッカーが日本の「国技」になるような状態が必要なのではないか、という趣旨の発言をしていた。
その後、鎌田選手は言葉の意味をもう少し具体的に説明している。
ブラジルやアルゼンチンのようなサッカー強豪国では、運動能力の高い子どもたちがサッカーへ集まり、その大きな母集団の中で競争している。
一方、日本には野球、バスケットボール、バレーボール、陸上、水泳など、多くの人気スポーツがあり、優れた運動能力を持つ子どもたちもさまざまな競技へ進んでいく。
この発言を読んだとき、私は、
「まさに自分が『ナンバーワンスポーツ』で考えていたことではないか」
と思った。
鎌田選手が言いたかったのは、相撲を国技の座から降ろすとか、野球よりサッカーの方が偉いとか、そういう話ではなかったのだと思う。
世界一を争う国になるには、それだけ多くの才能がサッカーへ集まる土台が必要なのではないか。
私は、その部分に強く共感した。
ところがSNSでは、その後「国技」という言葉そのものが一人歩きしていった。
「そもそも日本の国技とは何なのか」
「相撲ではないのか」
「野球の方が人気なのではないか」
「一つのスポーツだけが人気になる必要はない」
「日本はいろいろな競技が強い方がいい」
といった議論が広がった。
もちろん、どれも分かる。
日本に多くの人気スポーツがあることは、むしろ豊かさでもある。
私自身、他競技を弱くしてサッカーだけを強くしたいとは思わない。
だから私は、「国技」という言葉そのものを議論するより、鎌田選手の発言の中にあった本質的な部分を、自分が以前から使っていた言葉で考え直した。
それが、
「サッカーを日本のナンバーワンスポーツにする」
である。
ただし、ここでいう「ナンバーワン」は、人気ランキングの一位という意味ではない。
野球を抜くことでもない。
テレビ視聴率で一位になることでもない。
競技人口で一位になることでもない。
私が考えているのは、もっとシンプルである。
日本で最も身体能力の高い子どもが、自分の競技を選ぶとき、サッカーが最も自然な選択肢の一つになっていること。
それが、私のいう「ナンバーワンスポーツ」である。
日本中の運動が得意な子を、サッカーに集めたいわけではない
ここは最初にはっきりさせておきたい。
私は、
野球ではなくサッカーをやらせよう。
バスケットボールや陸上から優秀な子を奪おう。
と言いたいわけではない。
それぞれのスポーツには、それぞれの魅力がある。
野球が大好きな子は野球をすればいい。
バスケットボールに夢中になる子もいる。
陸上、水泳、バレーボール、ラグビー、テニス、卓球、柔道など、子どもが自分の好きな競技に出会えること自体が素晴らしい。
むしろ、幼い時期には一つの競技に早く固定せず、いろいろな運動を経験することにも意味がある。
私が考えたいのは、その先である。
例えば、ものすごく足の速い子がいる。
ボールを扱わせても器用である。
空間認識能力が高い。
瞬間的な判断ができる。
身体を自在に動かせる。
そして何より、負けず嫌いで、世界一を目指して努力を続けられる。
野球をやっても活躍するかもしれない。
バスケットボールをやっても活躍するかもしれない。
陸上へ行っても面白いかもしれない。
そんな子どもが競技を選ぶとき、
「サッカーをやりたい」
と思ってくれるだろうか。
私がずっと考えているのは、この問いである。
「一番人気」と「一番選ばれる」は、少し違う
だから、私の言うナンバーワンは、人気ランキングの一位ではない。
日本代表戦の視聴率が高かったから、ナンバーワン。
Jリーグの観客数が増えたから、ナンバーワン。
競技人口が最も多くなったから、ナンバーワン。
そういう単純な話ではない。
私が見ているのは、競技をまだ決めていない子どもの頭の中である。
「将来、何になりたい?」
と聞かれたとき、
「サッカー選手」
という答えが自然に出てくる。
運動が得意な子を見た周囲の大人が、
「この子、サッカーをやったら面白いかもしれない」
と思う。
親から見ても、
「本気でやりたいなら応援してみよう」
と思える。
そして子ども自身が、
日本で活躍する。
Jリーグへ行く。
海外へ行く。
日本代表になる。
ワールドカップで優勝する。
という道を想像できる。
そういう状態をつくりたいのである。
だから「スター」が重要になる
この連載で、
「海外で活躍する日本人選手がこれだけ増えたのに、なぜ毎朝のニュースにならないのだろうか」
という問いを書いた。
「日本サッカーには、なぜ『記録を語る文化』がもっと育たないのだろうか」
とも書いた。
日本代表選手が育った少年団や学校を、もっと地域の物語にできないかとも考えた。
一見すると、それぞれ別の話に見える。
しかし、すべて「ナンバーワンスポーツ」という一点につながっている。
なぜ海外選手をもっと日常的に見せたいのか。
子どもが憧れるからである。
なぜ選手の記録をもっと語りたいのか。
知らなかった選手を知る入口になるからである。
なぜ少年団や学校まで選手の履歴を残したいのか。
世界で活躍する選手と、今ボールを蹴っている子どもの間に一本の道が見えるからである。
スターをつくるためだけではない。
スターと子どもをつなぐためなのである。
大谷翔平選手を見ていて考えることがある
野球を敵にする必要はまったくない。
むしろ、日本サッカーが学べることはたくさんあると思う。
世界で活躍する日本人選手がいる。
朝のニュースで映像が流れる。
記録が紹介される。
子どもが名前を覚える。
プレーをまねする。
その競技を始める。
スポーツ用品を欲しがる。
試合を見る。
次のスターが生まれる。
この循環は、とても強い。
サッカーにも世界で活躍する日本人選手はすでに大勢いる。
ならば問題は、「世界へ行ける選手がいない」ことではなくなってきている。
その存在を、サッカーに興味のない子どもにまで届けられているだろうか。
こちらを考える段階に来ているのではないか。
2046年の日本代表は、もうどこかにいる
私は2046年のワールドカップで、日本が優勝すると勝手に予想している。
予想というより願望に近い。
20年後である。
その大会で26歳になる選手は、2026年現在なら6歳前後だ。
もしかすると、すでに少年団でボールを蹴っているかもしれない。
けれど、まだサッカーを始めていない可能性もある。
公園を走り回っているだけかもしれない。
野球を始めようとしているかもしれない。
水泳を習っているかもしれない。
まだ自分が何のスポーツを好きなのかさえ知らないかもしれない。
そして、その中に、
世界一になれる身体能力と才能を持った子どもがいるかもしれない。
私たちは、その子の名前を知らない。
本人だって知らない。
だから日本代表の強化というと、代表監督、戦術、フォーメーション、海外組、Jリーグ、アカデミーなどへ目が向くが、もっと手前にも重要な分岐点がある。
その子は、そもそもサッカーを選んでくれるのか。
ここを通過しなければ、どれほど優れた育成システムを用意しても、その才能をサッカー選手として育てることはできない。
「国技」と呼ばれることが目的ではない
だから私は、サッカーが「国技」と呼ばれるかどうかには、それほどこだわっていない。
国技という言葉には、歴史、文化、人気、国民的関心など、さまざまな意味が含まれる。
どの競技が日本の国技なのかを決める必要もないと思う。
私が使う「ナンバーワンスポーツ」は、それよりもずっと個人的な定義である。
世界一になれる可能性を持った、まだ名前のない子どもにとって、サッカーが最も魅力的な選択肢の一つになっていること。
そのためには、競技環境だけを整えればいいわけではない。
スターが見えること。
職業としての未来が見えること。
世界へ続く道が見えること。
地元から世界へ進んだ先輩の物語が見えること。
記録が残り、活躍が語り継がれること。
海外で活躍する選手がサッカーファン以外にも知られること。
J2やJ3、高校、大学、アカデミーからでも世界へ行けることが分かること。
それらが全部つながって、初めて子どもの競技選択に影響するのだと思う。
ナンバーワンになるのは、ランキングの最後ではない
「日本でサッカーをナンバーワンスポーツにする」と言うと、何かのランキングで一位を取る話のように聞こえる。
しかし、私が見たいのはランキング表ではない。
公園や校庭にいる、一人の子どもである。
足が速い。
運動神経がいい。
どんなスポーツをやらせても上手い。
本人もまだ、自分がどこまで行けるのか知らない。
その子が初めて自分のスポーツを選ぶとき、
「サッカーをやってみたい」
と思う。
そして20年後、その中の一人が日本代表のユニフォームを着ている。
さらにその選手をテレビで見た次の子どもが、
「自分もサッカー選手になりたい」
と言い始める。
スターが子どもを呼び、その子どもから次のスターが生まれる。
私が『サッカーを日本のナンバーワンスポーツに』という言葉に込めたのは、そんな循環である。
ナンバーワンになる日は、競技人口が一位になった日でも、視聴率が一位になった日でもないのかもしれない。
日本で最も身体能力の高い子どもが、何の迷いもなく「僕はサッカーをやりたい」と言ったとき。
私にとっては、そこから日本のナンバーワンスポーツが始まる。
この問いを、もう少し考えてみたい方へ
ワールドカップをきっかけにサッカーを見る人が増えたとき、その人たちをすぐに「にわかファン」と呼んでしまってよいのだろうか。
この問いから、いくつかの記事を書いています。
「にわかファン」が増えることは、日本サッカーにとって本当に悪いことなのだろうか
まず、「にわか」という言葉そのものから考えました。
4年に一度しかサッカーを見ない人も、日本のサッカー文化をつくっているのだろうか
毎週見る人だけが、サッカーファンなのか。ワールドカップのときだけ見る人も、日本サッカーを支える「見る人」の一人ではないかと考えました。
そして、この問いはさらに大きなテーマにつながりました。
2050年、日本が「サッカー大国」になるとは、どういうことなのだろうか
日本代表がワールドカップで優勝することだけが、サッカー大国なのか。
プレーする人、見る人、話す人、教える人、支える人。
サッカーとのさまざまな接点が日常の中に広がっていることも、「サッカー大国」の一つの姿ではないかと考えています。
気になる問いがあれば、そこから続けて読んでいただければうれしいです。
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