わが友よ、神に楽しさを乞うがよい。幼子のように、空の小鳥のように、こころを明るく持つことだ「カラマーゾフを読む」(50)
わが友よ、神に楽しさを乞うがよい。幼子のように、空の小鳥のように、こころを明るく持つことだ「カラマーゾフを読む」(50)
第六編 ロシアの修道僧 三(G)祈りと、愛と、他の世界との接触について
ゾシマの説法も後半に入ってきました。読んでみると意外と素朴で実践的な徳目が多いことに気づかれたかと思います。
第二編でゾシマは子を亡くした母親や行方知れずの息子を案じる母親に対して説法をしましたが、ここでの説法では修道僧たちを相手に話をしています。
説法というのはそれを説く人間が大事なのはもちろんですが、それが誰に向けて説かれているのかというのも同じくらい重要な事柄になります。これは仏教でも同じです。仏教の経典でも誰が聞き手なのかというのは非常に重要なポイントです。
子を亡くした母親に対する説法と、僧院の中で生きる修道僧への説法では自ずとその語る内容は異なります。
この章では特にそれが顕著に出ていると言えるでしょう。ここでは修道僧が日々どのように過ごすべきかを実践的に説いています。
その中でも特に私が好きなのが以下の言葉です。
毎日、毎時、毎分、おのれを省みて、自分のすがたが美しくあるよう注意するがよい。
ここで言う美しさは単なる外見的なものではありません。常に自分の心を省み、慎ましい行いを身につけよという意味になります。実に仏教とも親和的な教えです。
そしてそのたとえ話がまた素晴らしい!ぜひこちらも読んでいきましょう。
たとえば、幼い子供のわきを通るとき、腹立ちまぎれにこわい顔をして、汚い言葉を吐きすてながら通りすぎたとしよう。お前は子供に気づかなかったかもしれぬが、子供はお前を見たし、お前の罰当たりな醜い姿が無防備な幼い心に焼きついたかもしれない。お前は知らなかったかもしれぬが、もはやそのことによって子供の心に悪い種子を投じたのであり、おそらくその種子は育ってゆくことだろう。これもみな、お前が子供の前で慎みを忘れたからであり、もとはと言えば注意深い実践的な愛を心にはぐくんでおかなかったためである。
またもや子供です。ですが、これほど説得力ある例えはないでしょう。
そして含蓄ある次の言葉が語られます。
兄弟たちよ、愛は教師である。だが、それを獲得するすべを知らなければならない。なぜなら、愛を獲得するのはむずかしく、永年の努力を重ね、長い期間をへたのち、高い値を払って手に入れるものだからだ。必要なのは、偶然のものだけを瞬間的に愛することではなく、永続的に愛することなのである。偶発的に愛するのならば、だれにでもできる。悪人でも愛するだろう。
愛はすぐに身につくものではない。永年の努力を重ね、高い値を払って手に入れるものだというのは実に重い一言ですよね。
そして「必要なのは、偶然のものだけを瞬間的に愛することではなく、永続的に愛することなのである」という言葉を読んで私の中に浮かんできたのは、あのホフラコワ夫人でした。「人類を愛せば愛すほど、個々の人間への愛が薄れてゆく」タイプのあのホフラコワ夫人です。
まさに彼女の愛は偶発的ですよね。彼女の愛は決して長続きしないのです。
ただ、こうしてホフラコワ夫人をあげつらうのはフェアではありません。私も大いに反省せねば・・・。これはホフラコワ夫人に限らず、世のほとんどの人が抱える問題なのです。私も永年の努力を積み重ねばなりません。
そして最後にこの章でもう一つ、私が注目したいのが「わが友よ、神に楽しさを乞うがよい。幼子のように、空の小鳥のように、こころを明るく持つことだ」というゾシマの言葉です。
ここにゾシマの人間観が現れています。ゾシマは苦行を重んじません。「神に楽しさを乞うがよい」という言葉はかなり楽観的な発想です。苦行を重んじるタイプの人間からするとこれは堕落の極みに映っても仕方がありません。だからこそ苦行者たるフェラポント神父から猛烈に嫌われてしまうのです。
ただ、浄土真宗僧侶たる私からすると、ゾシマの立場に親近感を抱いてしまいます。人間は確かに愚かで罪深い存在です。しかしそうした存在だからこそ仏様は私たちを救って下さる・・・、これはまさにゾシマの言葉と重なるものがあります。
いうならばこれは人間讃歌です。
人間は確かに愚かしい。しかし、いや、だからこそ神に感謝し、その生を明るく生ききるのだ!という覚悟です。
これは自らの肉体と心で罪を贖い続ける苦行者とは正反対の生き方です。
これはどちらが正しくてどちらが間違っているという問題ではありません。
が、フェラポント神父の所行は私には認めがたいというのが正直なところです。私がなぜそう言うのかは後の展開を見て頂ければわかると思います。
いずれにせよ、ゾシマのこの人間観は重要です。「神に楽しさを乞うがよい」というのは目立たない一言かもしれませんが、実は重要な言葉だと私は見ています。(もちろん、ただ闇雲に楽しさを求めればよいというのではないことは言うまでもありませんが・・・)
続く
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