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Wilhelm Keitel / ヴィルヘルム・カイテル
ヒトラー の命令を軍の指揮系統へ伝えた国防軍最高司令部長官
ヴィルヘルム・カイテル は、ナチス・ドイツ の国防軍最高司令部( OKW )長官を務めた陸軍元帥 である。
第一次世界大戦 から軍務に従事した職業軍人であり、1938年にOKW長官へ就任してから、1945年のドイツ敗戦までその地位にあった。
カイテル は、ヒトラー の軍事的決定を命令として整え、陸軍・海軍・空軍の指揮系統へ伝える役割を担った。
その一方、侵略戦争や占領地での犯罪に関わる命令にも署名し、戦後の ニュルンベルク国際軍事裁判 で死刑判決を受けた。
彼の生涯は、ナチス・ドイツ の軍事指揮がどのように組織され、最高指導者の決定が軍の行動へ変わっていったのかを示している。
プロイセン軍人としての出発
カイテル は1882年9月22日、ドイツ帝国の ヘルムシェローデ に生まれた。
1901年、プロイセン陸軍に入隊し、砲兵将校として軍歴を始めた。
第一次世界大戦 では、西部戦線で従軍した後、参謀勤務を経験した。
戦争末期には、軍の作戦や組織運営に関わる職務を担うようになっていた。
1918年、ドイツ帝国は敗戦し、翌年の ヴェルサイユ条約 によって軍備を大幅に制限されたが、カイテル は、戦後も縮小されたドイツ軍に残った。
ワイマール共和国の軍隊
第一次世界大戦 後のドイツ軍は、ヴェルサイユ条約 によって陸軍10万人に制限された、Reichswehr ライヒスヴェーア。
カイテル は、この小規模な軍隊の中で参謀や行政部門の職務を経験した。
1920年代から1930年代初めにかけて、軍の組織、訓練、人事、軍備に関わる仕事を担当する。
1933年に ヒトラー が首相となると、ドイツは再軍備を加速させた。
1935年には徴兵制が復活し、軍は国防軍へ再編された。
Wehrmacht ドイツ国防軍。
カイテル は、軍の拡張と再編が進む中で、軍事行政の中枢へ進んでいった。
国防軍最高司令部の成立
1938年2月、ヒトラー は国防軍の指揮体制を再編した。
それまで国防軍の統括に関わっていた国防軍省は廃止され、ヒトラー自身が軍の最高指揮権を直接掌握した。
新たに設置されたのが、国防軍最高司令部である。
Oberkommando der Wehrmacht OKW / 国防軍最高司令部
カイテル は、その長官に任命された。
OKW は、ヒトラー の軍事的決定を受け、各軍への命令や軍事行政上の調整を行う機関だった。
ただし、陸軍・海軍・空軍にはそれぞれ独自の最高司令部が存在し、OKW がすべての作戦を一元的に指揮していたわけではない。
特に陸軍最高司令部( OKH )は、東部戦線を中心とする陸上作戦で大きな役割を担った。
ヒトラーとカイテル
カイテル は、ヒトラー の軍事的決定を実行に移すための重要な補佐役となり、OKW長官として、作戦指令、行政命令、各軍との調整などに関わった。
しかし、軍事戦略の最終決定権は ヒトラー にあり、カイテル が独立した最高司令官として戦争全体を指揮していたわけではない。
カイテル は、ヒトラー の判断に反対することが少ない人物として知られ、他の軍高官から批判されることもあった。
一方で、彼は単に命令を伝えるだけの存在ではなく、OKW長官 として命令の作成、署名、伝達、実施に責任を負う立場にあった。
戦争の開始
1939年9月1日、ドイツ軍は ポーランドへ侵攻 した。
この侵攻をきっかけに、イギリスとフランスがドイツへ宣戦布告し、第二次世界大戦 が始まった。
カイテル はOKW長官として、ヒトラー の軍事指令を各軍へ伝える役割を担い、1940年には、ドイツ軍がデンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランスへ侵攻した。
フランス降伏後の1940年7月、カイテル は陸軍元帥に昇進した。
OKWとOKH
ドイツ軍の指揮構造を理解するうえで、OKWとOKHの違いは重要である。
OKW : 国防軍最高司令部
ヒトラーの直属機関として、軍全体に関わる指令や調整を担当した。
OKH : 陸軍最高司令部
陸軍の作戦指揮を担当、独ソ戦では東部戦線の指揮に大きな役割を持つ。
1941年12月、ヒトラー は陸軍総司令官を兼任するようになり、陸軍への直接的な介入をさらに強めた。
戦争後半には、OKWが西部戦線などを、OKHが東部戦線を中心に担当する形が強まった。
このように、ドイツ軍の指揮体制は単純な一本の階層ではなく、ヒトラー を頂点として複数の司令部が並存する構造だった。
独ソ戦と犯罪的命令
1941年6月、ドイツはソ連へ侵攻した。
Operation Barbarossa バルバロッサ作戦。
独ソ戦は、通常の軍事作戦に加えて、ナチス政権 の人種政策や反共産主義政策と結びついた戦争となった。
カイテル は、捕虜や占領地住民の扱いに関する犯罪的命令の発出に関与。
1941年6月には、ソ連軍の政治将校を処刑することを命じた「 コミッサール命令 」が発出された。
また、占領地における民間人への報復、捕虜の扱い、抵抗運動への弾圧などに関する命令にも関与し、これらの命令は、国際法に反する殺害や虐待を引き起こす重要な要因となった。
夜と霧の命令
1941年12月、ヒトラー は西欧占領地の抵抗運動を弾圧するため、「 夜と霧 」の命令を発した、Nacht und Nebel 夜と霧。
この命令は、抵抗運動に関わったとされた人々を秘密裏にドイツへ移送し、その所在や処遇を家族などに知らせない制度を進めるものだった。
カイテル は、この命令の実施に関わる指令に署名した。
多くの被拘束者が強制収容所や刑務所へ送られ、過酷な環境に置かれた。
この命令は、占領地における恐怖と不確実性を利用した弾圧政策の一つ。
戦争後半の指揮体制
1942年以降、ドイツ軍は各戦線で次第に厳しい状況に置かれるようになり、スターリングラードでの敗北、北アフリカからの撤退、連合軍のイタリア上陸、ソ連軍の反攻などによって、戦争の主導権は連合国側へ移っていった。
カイテル は引き続き OKW 長官として、ヒトラー の軍事指令を各軍へ伝えたが、ヒトラー は戦況が悪化するにつれて、現場の指揮官の判断に直接介入することを増やした。
撤退の禁止、陣地の死守、反撃命令などをめぐって、軍の指揮官と ヒトラー の間に対立が生じることもあった。
カイテル は、こうした指揮体制の中で ヒトラー の決定を支持し、実行に移す役割を続けた。
1944年7月20日事件
1944年7月20日、ドイツ軍内部の反 ヒトラー 派による暗殺未遂事件が発生、20 July Plot 7月20日事件
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク 大佐が、ヒトラー の会議室に爆弾を仕掛けたが、ヒトラー は生き残った。
事件後、軍内部では大規模な捜査と粛清が行われた。
カイテル は、反ヒトラー派 の将校を軍から除籍する名誉法廷に関与した。
軍籍を剥奪された将校たちは、人民法廷で裁かれ、多くが死刑となった。
この事件は、ドイツ軍内部にも ヒトラー の戦争指導に反対する勢力が存在していたことを示している。
ドイツの敗戦
1945年春、ソ連軍はベルリンへ進撃し、西側連合軍もドイツ国内へ進入。
4月30日、ヒトラー はベルリンの総統地下壕で自殺した。
後継者となった カール・デーニッツ は、ドイツ軍の降伏を進めた。
1945年5月7日、アルフレート・ヨードル がフランスのランスで降伏文書に署名した。
翌5月8日、カイテル はベルリンのカールスホルストで、ソ連軍を含む連合国側に対する降伏文書に署名した。
これによって、ドイツ軍の無条件降伏が正式に確認された。
ニュルンベルク裁判
戦後、カイテル は ニュルンベルク国際軍事裁判 の被告となった。
裁判では、侵略戦争の計画・遂行、戦争犯罪、人道に対する罪などが審理された。
カイテル は、軍人として上官の命令に従ったことを弁明の一つとした。
しかし、裁判所は、違法な命令に従ったことだけでは刑事責任を免れないと判断した。
カイテル は、侵略戦争への関与や、捕虜・民間人に対する犯罪的命令の発出に責任を負うとされ、1946年10月1日、死刑判決が言い渡された。
10月16日、ニュルンベルクで絞首刑に処された、享年64歳だった。
カイテルが示す軍事指揮の構造
カイテル は、第一次世界大戦 から軍務を続けた職業軍人であり、ナチス政権 下では国防軍最高司令部の長官となった。
彼の役割は、ヒトラー の軍事的決定を、軍の命令や行政上の措置として実行に移すことだった。
その過程で、侵略戦争や占領地での犯罪に関わる命令にも署名し、実施を支えた。
カイテル の生涯をたどることで、ナチス・ドイツ の戦争が、最高指導者の決定だけでなく、司令部、参謀、命令文書、各軍の指揮系統を通じて実行されたことが見えてくる。
KEY POINT
Wilhelm Keitel / ヴィルヘルム・カイテル
1882年、ドイツ帝国に生まれる。
1901年、プロイセン陸軍に入隊。
第一次世界大戦で従軍し、参謀勤務を経験。
戦後もライヒスヴェーアに残る。
1938年、国防軍最高司令部(OKW)長官に就任。
1939年、ポーランド侵攻と第二次世界大戦の開始。
1940年、陸軍元帥に昇進。
1941年、独ソ戦における犯罪的命令の発出に関与。
1941年、「夜と霧」の命令の実施に関与。
1944年、7月20日事件後の軍内部の粛清に関与。
1945年5月8日、ベルリンでドイツ軍の降伏文書に署名。
1946年、ニュルンベルク国際軍事裁判で死刑判決を受け、処刑される。
カイテルは、ヒトラーの軍事的決定を国防軍の命令へ変える中枢に位置し、ナチス・ドイツの戦争指導と犯罪的命令の実行に責任を負った人物である。



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