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MVP ARCHIVE CIVILIZATION | RIGHTS : Bill of Rights 1689 / 権利章典 - 王もまた法によって統治される

Bill of Rights 1689 / 権利章典 - 王もまた法によって統治される

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権利章典

王が法を与えるのではない。王もまた、法によって統治される

1689年、イングランド議会は Bill of Rights|権利章典 を制定した。
その前年、Glorious Revolution|名誉革命 によってジェームズ2世は国外へ逃れ、議会はウィリアム3世とメアリー2世へ王位を提示していた。

17世紀のイングランドはすでに、

Petition of Right|権利の請願
English Civil War|イングランド内戦
チャールズ1世の処刑
共和政と護国卿体制
Restoration|王政復古
Glorious Revolution|名誉革命

という激しい政治変動を経験していた。
問われ続けていたのは、国王は何ができるのか、議会は何を決めるのか。
そして臣民には、どのような権利があるのか。

権利章典 は、この長い対立から生まれた原則を具体的な制度として示した。
王政は残る、しかし、王が議会と法律を超えて統治する政治へは戻らない。
ここにイングランドの統治構造を大きく変える境界線が引かれた。

名誉革命から権利章典へ

1685年、カトリックであった James II|ジェームズ2世 が即位した。
ジェームズ2世 は国王の権限を使い、議会が制定した法律の適用を停止・免除しようとした。

さらにプロテスタントを中心とする政治勢力との対立が強まる中、ジェームズ2世 の娘 メアリー と結婚していたオランダ総督、William of Orange|オラニエ公ウィレム へ介入を要請する。

ウィリアムは軍を率いてイングランドへ上陸、ジェームズ2世の支持基盤は崩れ、国王はフランスへ逃亡した。

王位を議会が提示する

1689年、Convention Parliament|仮議会 が召集され、ジェームズ2世 が王位を放棄したものと判断、そしてウィリアムとメアリーへ王位を提示した。

議会が王位継承の決定へ直接関与、さらに議会は新しい君主へ Declaration of Rights|権利宣言 を提示する。

ウィリアムとメアリーはこれを受け入れ、共同統治者として即位した。
同年、権利宣言の内容を基礎として制定されたのが、Bill of Rights 1689|権利章典 である。

法律を勝手に停止できない

国王が議会の同意なしに、法律やその執行を停止することは違法とされた。
法律を制定しても、国王が自由に停止できるなら、議会による立法には実質的な意味がなくなる。
王自身も制定された法の枠内で統治する、という原則が明確になった。

議会の同意なしに課税できない

課税は、チャールズ1世の時代にも、「 王は議会を通さず臣民から資金を徴収できるのか 」が大きな争点となっていた。
権利章典 では、議会の承認なしに国王が金銭を徴収することが違法とされ、国家の財政を動かすには議会が必要になる。
これは議会が王権を制御する強力な基盤となった。

平時の常備軍にも議会の同意が必要

軍事力は国家権力の中でも特に強力な手段である。
ジェームズ2世 が常備軍を維持し、カトリック将校を登用したことは政治的な警戒を強めていた。
そこで 権利章典は、平時に議会の同意なく王国内で常備軍を維持すること
を違法とし、財政だけではなく、国王が自由に軍事力を保持することにも議会の統制を置いた。

議会そのものを守る

権利章典 は、議会が独立して政治活動を行うための原則も示した。

Free Elections|自由な議会選挙

議会議員の選挙は自由であるべきだとされた。
国王が議会を自分に都合よく操作することを防ぐための原則である。
ただし、この時代の選挙権は現代の普通選挙とはまったく異なり、政治参加できる人々は限定されていた。

それでも、議会を構成する過程そのものを王権から守る という原則が示されたことは重要だった。

Freedom of Speech in Parliament|議会内の言論の自由

議会での発言や討論について、議会外の裁判所などで責任を問われるべきではないという原則も示された。
現在もイギリス議会制度を支える Parliamentary Privilege|議会特権 の重要な基礎である。

議員が国王や政府を批判するたびに処罰されるなら、議会による権力監視は成立せず、政治的討論を守ることが、権力を制御する制度の一部となった。

臣民の権利

権利章典 には、議会制度だけでなく臣民に関する規定も含まれている。
国家権力が臣民に対して何をしてもよいわけではない という境界が具体化されたことである。

ただし、宗教、財産、性別、政治参加などには当時の社会制度による大きな制限が存在し、権利の対象と範囲は、さらに拡張されていくことになる。

ParliamentとCrown

国王は依然として重要な国家権力を持っていた。
国王は議会を無視して統治できない。
国王の権力に明確な境界が設定された。

その後、議会による財政統制や内閣制度が発達し、イギリスの Constitutional Monarchy|立憲君主制 が形成されていく。

Magna Cartaから続いた474年

権利章典 だけを見ると、1689年に突然王権制限が生まれたように見える。
しかし、その前には長い歴史がある。
マグナ・カルタ から474年。
何世紀にもわたる衝突と制度変更が積み重なっていた。

アメリカへの接続

北米植民地の人々も、自分たちがイングランド臣民として伝統的権利を持つと考えていた。

18世紀になると、本国議会による課税や統治をめぐる対立の中で、権力には法的制約がある という英米法の伝統と、John Locke|ジョン・ロック などの自然権思想が接続する。

そしてアメリカ独立革命を経て、United States Bill of Rights|アメリカ合衆国権利章典(1791)へと別の形で展開していく。
名称が同じ「 Bill of Rights 」であることも偶然ではない。

権利を守ることは、権力を設計することだった

臣民に権利がある、議会にも権限がある。
それなら当然、国王には越えることのできない境界がある。
権利保障 と権力制限は、同じ構造の表と裏だった。

そして17世紀イングランドが到達したこの構造は、後に ロック、モンテスキュー、アメリカ革命 などを通じてさらに展開されていく。

誰が王になっても、権力が一定の境界を越えられない制度を作る。
1689年の 権利章典 は、その長い形成過程における重要な到達点だった。


Archive Data


名称 : Bill of Rights|権利章典
正式成立 : 1689年
国家 : Kingdom of England|イングランド王国
君主 : William III|ウィリアム3世、Mary II|メアリー2世
直接的前史 : Glorious Revolution|名誉革命(1688)
基礎となった文書 : Declaration of Rights|権利宣言(1689)
主要内容 : 国王による法律停止権への制限、議会の同意なき課税への制限、平時の常備軍への議会統制、自由な議会選挙、議会内の言論の自由、国王への請願、過大な保釈金・罰金への制限、残酷で異常な刑罰への禁止
歴史的重要性 : 王権への制度的制約、議会の地位強化、立憲君主制形成の重要な基礎、近代立憲主義への接続
前史 : Magna Carta|1215Petition of Right|1628English Civil War|1642–1651Glorious Revolution|1688
後世への接続 : Constitutional Monarchy|立憲君主制、Rule of Law|法の支配、Constitutionalism|立憲主義、American Revolution|アメリカ独立革命、United States Bill of Rights|1791
歴史的接続 :
Magna CartaPetition of RightEnglish Civil WarGlorious Revolution → Bill of Rights → Constitutional Government

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