MVP ARCHIVE CIVILIZATION | RIGHTS : Petition of Right 1628 / 権利の請願 - 国王は、議会と法を無視して統治できるのか

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権利の請願
国王は、議会と法を無視して統治できるのか
1628年、イングランド議会は国王チャールズ1世に対して、一つの重要な文書を提出、Petition of Right|権利の請願 である。
議会の同意なしに課税しないこと。
理由を示さず人を拘禁しないこと。
住民へ兵士の宿泊を強制しないこと。
平時に戒厳令を恣意的に用いないこと。
議会が主張したのは、国王であっても既存の法と臣民の権利を無視することはできないということだった。
1215年の Magna Carta|マグナ・カルタ から約400年。
王権を法によって制限するという原理が、近代イングランドの政治対立の中で再び前面へ現れた。
チャールズ1世と戦費
1625年、Charles I|チャールズ1世 がイングランド王に即位した。
当時のイングランドは、スペインやフランスとの戦争に関与していた。
戦争には巨額の資金が必要になる。
しかし議会は、国王が要求する資金をそのまま認めなかった。
そこでチャールズ1世は、議会の正式な承認によらない方法でも資金を集めようとする。
代表的なのが、Forced Loan|強制借款 だった。
国王は臣民に資金提供を求め、拒否した者の一部を投獄した。
国王は議会の同意なしに臣民へ金銭を要求できるのか、そして、その要求を拒否した者を、明確な法的理由を示さず拘禁できるのか。
という国家権力の境界が争われたのである。
Five Knights' Case
1627年、強制借款を拒否して投獄された5人の騎士が、自らの拘禁の合法性を争い、Five Knights' Case|五騎士事件、あるいは Darnell's Case と呼ばれる事件である。
彼らは、拘禁の具体的理由を示すよう求めた。
しかし国王側は、国王の命令による拘禁であることを理由として主張した。
この事件は、国王が国家上の理由を掲げれば、臣民を自由に拘禁できるのか
という問題を鮮明にした。
議会では、マグナ・カルタ をはじめとする過去の法的伝統を根拠として、国王の権力にも限界があるという主張が強まっていく。
Edward Coke
この議論で重要な役割を果たした人物の一人が、Edward Coke|エドワード・コーク である。
裁判官や下院議員を務めた法律家で、コモン・ロー の権威として大きな影響力を持っていた。
コークらは、国王へ新しい権利を要求するというより、イングランドの臣民がすでに持っている法的権利を確認する という形で議論を組み立てた。
その重要な根拠となったのが、マグナ・カルタ だった。
つまり権利の請願は、Magna Carta → Common Law → Petition of Right
という法的連続性の中で提示されたのである。
1628年 権利の請願
1628年、議会はチャールズ1世へ 権利の請願 を提出した。
中心となった要求は大きく四つに整理できる。
議会の同意なき課税の禁止
国王は議会の承認なしに、強制借款などによって臣民から金銭を徴収すべきではない。
これは後に、No Taxation without Parliamentary Consent という議会による財政統制へつながる重要な原則となる。
恣意的拘禁の禁止
自由人を、具体的な理由を示さず投獄してはならない。
国家権力による身体拘束にも、法的根拠と手続が必要という考えである。
兵士の強制宿泊への制限
政府は一般家庭へ兵士を強制的に宿泊させていた。
議会は、臣民の意思に反したこうした負担を問題とした。
戒厳令の恣意的運用への制限
平時に軍事的な法を適用し、通常の法制度を迂回して処罰することも問題とされ、ここでも核心にあるのは同じだった。
非常時や国王の必要性を理由に、通常の法を無制限に停止できるのか、という問いである。
国王は受け入れた。しかし対立は終わらなかった
チャールズ1世は最終的に 権利の請願 を受け入れた。
しかし、それによって王権と議会の対立が解決したわけではない。
翌1629年、国王は議会を解散する。
その後11年間、議会を召集せずに統治する Personal Rule|親政 の時代へ入った。
財政問題、宗教政策、王権の範囲をめぐる対立はさらに蓄積していく。
1640年には再び議会を召集せざるを得なくなり、政治対立は急速に激化。
そして1642年、English Civil War|イングランド内戦 が始まる。
権利の請願 は王権と議会の対立を終わらせた文書ではない。
むしろ、両者が何を争っていたのかを明確に示した文書だった。
Magna CartaからBill of Rightsへ
権利の請願 の歴史的位置は、単独で見るより前後を接続すると明確になる。
1215年の Magna Carta では、王権にも法的制約が存在するという原理が歴史に残った。
1628年の Petition of Right では、それが近代国家の課税、拘禁、軍事権力という具体的問題へ適用された。
その後、English Civil War|イングランド内戦、Glorious Revolution|名誉革命 を経て、1689年の Bill of Rights|権利章典 へつながっていく。
そこで王権と議会の関係は、さらに制度として明確化されることになる。
権利とは、権力の境界でもある
対象となった社会も、権利を持つ人々の範囲も現代とは異なる。
臣民に権利があるということは、国王に「できないこと」が存在する ということでもある。
一方が成立すれば、もう一方には境界が生まれる。
1215年に示された王権制限の原理は、1628年にはより具体的な国家権力の問題へ進んだ。
権利の請願とは、イングランドの政治史において、「 王も法の下にある 」という原理を、現実の統治権力へ突きつけた重要な接続点なのである。
Archive Data
名称 : Petition of Right|権利の請願
成立 : 1628年
国家 : Kingdom of England|イングランド王国
国王 : Charles I|チャールズ1世
主要人物 : Edward Coke|エドワード・コーク
主要背景 : 対外戦争による財政問題、Forced Loan|強制借款、Five Knights' Case|五騎士事件、国王と議会の対立
主要原則 : 議会の同意なき課税への制限、恣意的拘禁への制限、兵士の強制宿泊への制限、平時の戒厳令の恣意的運用への制限
前史 : Magna Carta|1215年
後世への接続 : English Civil War|1642–1651、Glorious Revolution|1688、Bill of Rights|1689、Rule of Law|法の支配、Constitutionalism|立憲主義
歴史的接続 : Magna Carta → Petition of Right → English Civil War → Glorious Revolution → Bill of Rights → Constitutional Government

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