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栄養素で周波数は変わる。エネルギーの観点から栄養療法のことを書いてみる

私がこれまで生きてきた中で学んできたことは色々あるが、その生きてきた前提ごと大きく覆してくれたのが量子力学だった。

詳しく語れるほどの語彙力は持っていないのだけど、全ての物質がエネルギーでできていることや、観測したものが形になることを初めて知った時はとても興味深くて、

見えているものだけが現実ではない、というの世界への理解がそこから始まっていったように思う。

私のnoteでは、栄養系の話を中心に書いてきた。

それは病気をきっかけに栄養療法に出会ったからだったわけだが、この病気→栄養療法という流れに行き着いた時、量子力学(エネルギー)が関係するとは思ってもみなかった。

そもそも病気が栄養素で治るということ自体も、出会う前には結びついていなかったところでもある。

だけどそれらが体験として私がその流れを通過した今感じているのは、結びつくのはとても自然なことだった、ということなのだ。

その話をする上での前提として、少し量子力学のことに触れておきたい。

量子力学の分野で著名な村松大輔さんによると、

“意識や感情には実体があり、フォトンという素粒子でできていることが明らかにされている。私たちは普段から無意識にフォトンに意識や感情という情報を載せて発振、つまり波を飛ばしている”

“フォトンが波として飛んでいくと、「共振」といって、同じような周波数の波が反応して返ってくる”

という。

いわゆる引き寄せの法則として、知っている人も多い話ではないかと思うが、今回私が触れていくのはこの周波数のことである。

先ほどの村松さんの言葉にあったように、私たちは普段無意識に波を飛ばしている。

そして人間は、「1日1万2千〜6万回の思考をしているが9割は昨日と同じ」というふうにも言われている。

感情は思考から生まれることを踏まえると、

大きなイベントが365日起きることはないように、ほとんどの日常はだいたい同じような行動をしているから、感情も9割方同じということになる。

つまり人は、だいたい日々同じ周波数の辺りを生きている。

この周波数は、感情によって高くなったり低くなったりするが、高い低いに優劣はない。

単に言葉で説明をする際に数値で表すとしたら、という話ではあるけども、

周波数が高い時というのは喜びに準ずる現実を見るし、逆に低い時は苦しみに準ずる現実を見る。

これはスピリチュアルというよりは、天才発明家のニコラテスラも言うように物理法則の話で、私自身も知識としては理解していた。

私はこれまで基本的にはあまり後ろ向きに考える方ではなかったけど、それならとその後は意識的に、日常で良い感情でいられるように思考を整え、意識して努めようとしてきたのである。

しかし病気になった時、状況は一変した。

この“意識して努めよう”としてきた事の全てが出来なくなり、先ほど書いたような「だいたい同じ周波数の辺り」の日常が180度変わってしまったのだ。

これまで良い方向に持っていけていたのが嘘のように、自分の思考や感情をどうやってもプラスに向けることができなくなった。

以前の自分が好きで見ていたものにも、心が動かず面白いと思えない。それどころか楽しいものや素敵なものを見ると眩しくて、見るのが辛くなった。

症状の酷い時期に誕生日が重なっていたのだけど、かけてもらうお祝いや温かいメッセージもありがたいのに、本来なら喜びで受け取れるはずなのに、

その周りの祝福が温かいからこそ居心地が悪くて仕方なくて、いてもたってもいられず、一日がとにかく早く過ぎ去ることを願っていた。そんなことを思ってしまう自分が、ただただ悲しかった。

その時期はずっと泣きそうな困った表情が顔に張り付いていたのが自分でも分かっていたけど、本当に、どうしようもなかったのだ。

思考や感情的にはかなり悲惨な状態ではあったが、記憶がなくなっているわけではないので、

その時にぼんやりと考えていたのは、やっぱり周波数が違うと同じ場所にはいられないんだなあ、ということだった。

以前から私が“意識して思考を整える”時のツールとして、よく使っていたのがエイブラハムの「感情の22段階のスケール」というものなのだけど、

言葉の言い回しが翻訳によって少し違ったりはするが、概ねこんな感じで表されている。

自分の感じている今の感情がどこにあるか、というのを把握するのに便利なのだ。

エイブラハムの教えとしては、自分の今いる場所から少しずつ上がっていけるといいよね、というものになる。

例えば今、イライラすることがあって気分が悪くなったな、と思えば、いらだち…ああ、10番目にいるのか、と一旦認める。その上でそれがマシに思える思考はできないか?と自問する。

すると10番目より上の8番目に退屈、というのがあるので、イライラするよりも退屈をゴールにする、みたいな感じである。そして少しずつ段階を上げていく。

最初から1番上の方を目指さないのがポイントで、数字が大きい場所からいきなり上に上がることは、基本的にはかなり無理があると言われている。

これを知っていると、その時に感じた思考の場所から離れられ、気持ちを比較的スムーズにラクにしていくことができるのだ。

病気になる前の自分は、客観視も思考を観察することもまあやっていたので、私の普段の“周波数の辺り”はだいたい6(希望)〜10(不満)くらいをウロウロしていたと思う。

それが病気になった後のデフォルトは、18(復讐心)〜22(絶望)辺りになった。

かつてやれていたはずの建設的な思考も、客観視して自分に言葉をかけてみても、のれんに腕押しで全てが通り抜けていくような感じだった。

更にネガティブな波というのは、周りの人も暗い気持ちに引きずり込んでいく渦みたいで、ものすごく引力があるようにも感じていた。

当時一つ悟ったのが、身体の状態が悪くネガティブな思考に引力が出るほど強くなってしまった時、

思考を意志の力で上向きにしていくことは、よっぽど強靭な精神力がないと無理だ、ということだった。そんな精神力は私にはなかったし、奮い立たせても出てこなかった。

知識が頭にあって、意味が分かっていて実際にやってきていたとしても、太刀打ちできない心身状態というものがあるのだと身をもって知った。

もし栄養療法に出会えていなければ、今も私は症状を抑えるために、何種類もの薬を飲んでいたんじゃないかと思うのだ。

薬を飲むことを否定するわけでは一切なくて、当時の状態の自分を考えてみた時に、そこから抜け出せそうな自信が全くないほど、症状が強烈だったから。

だけど、顔がこわばり酷い顔で横になるしかできなかった日でも、過呼吸が何度も起きた日でも、プロテインやサプリメントを飲むことならできた。

そしてこの記事でも書いたように、不安感が小さくなっていくのを体感し、他の症状も少しずつ回復していった。

すぐに変わったわけではなかったけど、感じた手ごたえを励みに日々を過ごした。

強力なネガティブな渦は、徐々に台風が過ぎ去っていくように穏やかになっていって、気づけば笑顔になれる自分が戻ってきていた。

私がやったことはただ、栄養素を飲んだことだけだ。

意識なんてできなかったから、していない。それでも周波数は、勝手に上がっていってくれた。

身体の栄養が満たされていくにつれ、苦しい思考が湧いてこなくなる。気づけば落ち込むことは少なくなっていた。

それからしばらくすると、その状態が保たれるようになる。身体の症状はあっても、気分の波はあっても、気持ちが落ち着いて冷静になって考えることができるようになり、

そのうち以前の周波数では経験したことのない感覚が出てくるようになった。

それが前回の記事に書いたような「安心」や、4番目(前向きな期待、信頼)の感覚である。

スケールの中に単語として安心という言葉はないのだけど、おそらくこの感覚は4以上のどこかには該当するものだと思う。

そして私自身完全に元通りになったとまでは言えないものの、その頃になかった感覚を体感するようになった時、

果たしてこれまで自分がいたと思っていた“周波数の辺り”は、本当にそうだったのだろうか、という疑問も湧くようになった。

確かに思考は前向きだった。だけど心の奥底には、何とも言えない漠然とした不安や、自分を信じられない気持ち、無価値感…

22段階の下の方にあるネガティブな思いたちも、勢力がないだけで、確かにあったのだ。

そういう思いや気持ちに対し、以前は思考を持っていくことや考え方を変えることで、頑張って意識改革をしたり向き合ったり、何というか…

すごく“取り組んで”きたと思う。

例えば昔、私の中に「自分のことを恥じる気持ち」というのがあったのだけど、これは22段階中、21の周波数にある。

で、その当時はこの恥じるという感情がどこから湧いてきているか、どんな過去の経験からそう思うようになったか、みたいなことを掘り下げて昇華する、というようなことをよくやっていた。

自分に向き合う、というのはそういうものだと思っていたから。

そうすることである程度までは考え方が変わり、乗り越えられたことはいくつもある。

だけど私の中でこの取り組みを続けても、全く辿り着けなかったのが「委ねる」とか「信じる」という部分だった。

どうしても、自分に言い聞かせているような感じが抜けなくて、そうしている風、になってしまう。

どうやったらその境地に行き着けるのか不思議で仕方なかったけど、

今はその境地が、分かるようになった。

壁を乗り越えるためにせっせと筋トレをしていたら、気づけば高台からその壁を眺めていたような感じだろうか。

離れられたら、

ただの風景になった。

振り返ってみると、当時なぜそんなふうに思っていたのだろうとは思わない。

その周波数帯にいれば、そう思ってしまうのは当たり前だからだ。これまでそこから上がれなくてたくさんの「方法」を探してきたし、考え方だって取り入れてきた。

だけど身体が整ってきた時、私で言えば“自分を恥じる”という思いや“自信がない”というような気持ちは、自然と湧かなくなることを実感した。あったとしても、自ら選ばなくなるのだ。

その周波数に合わない思いは、そこに存在できないのが摂理だと痛感する。

そして改めて思った。勝手にそうなってくれるって、すごくラクだ。

これまで悩んで一生懸命に向き合い、取り組んできたことは、そもそも最初から湧かないようになるとは思っていなかった。

そして以前の自分が分からなかった知識を今見た時に、このことを言っていたのか、と思うことが最近はすごく多いのだけど、

私にとって学びが本当の意味で腹落ちした、と感じるようになったのは生きてきて今が初めてだと感じるし、

「どう考えても分からなかったこと」が分かるようになることには、嬉しい驚きがある。

今回の内容を書こうと思ったのも、私自身が色んな教えを学んで内面のアプローチをしていく中で、

全てはうまくいくとか、大丈夫みたいな言葉がどうしても気休めに思えたり、自分のものにならない気がしていた状態の時に、

図らずも栄養面で身体からのアプローチをしたことで思わぬ成果を得た、というのが目から鱗だったことを伝えたかったからだった。

元々、祈りや気づきによってそうなったり、ガンが笑いによって消えたとか、そういう人智を超えた現象が起きることはいつだってあるというふうに考えていて、

栄養面からのアプローチも、あくまでも1つでしかないと思っている。

ただ、私は内面系のことを取り組んでいる時に、一生懸命頑張って意志の力を持って、気をつけながらコントロールをしてきたというのは、改めて大変なことだったのだなと思ったのだ。

どうしようもなく感情が抑えられなかったり、衝動的な部分やメンタルの不安定さがある時、

意識の中で取り組むことや、薬などで外側から抑えるということで解決できなかったことでも、身体を栄養面から満たしていくことでそのフェーズごと底上げできたりする。

身体も器であり波であるとしたら、そこからだってアプローチできるのは当然だったのだよな、と今は思うのである。

今回は身体に栄養を満たすと周波数が上がるということを中心に書いてきたけど、この身体からのアプローチという面で言うと、実はもう一つ大事だと思っていることがある。

それは、睡眠だ。

普通によく眠れることは全てにおいて重要だと思うし、周波数が上がるという点で言えば1番簡単かもしれない。

しかし私が病気になってから、1番苦労したのが睡眠でもあった。ここで書いた便秘とも迷うけど…やはり睡眠に軍配が上がる。

栄養をいくら気をつけたところで睡眠がきちんとれていなければ元も子もない、と思いつつ、眠れない日々は結構長く続いていた。

試行錯誤を繰り返し、ようやく解消することができた時は本当に嬉しかった。ずっと書きたいテーマでもあったので、次回は不眠とか中途覚醒とかの睡眠系でいこうと思う。



つづきます。

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