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16 日本は中国占領地のアヘンを撲滅しようとして専売化した

日本は中国占領地や満州でアヘンを蔓延させたというプロパガンダはよく聞くが、どうして日本がアヘンの売買に関与したのか、その理由は知られていない。


 日本は占領地のアヘンを、興亜院の専売品に指定して、供給を独占、計画的に供給量を減らしていき、最終的にアヘンを撲滅する目的で政策を実施した。これはケシの生産地を日本が占領し、国民党や中国共産党の収入源を断つという軍事的な意味、その収入を日本の占領政策に充てる財政的な意味があった。

1938年12月、興亜院という日本国の行政機関(アヘンの専売公社兼占領地調査機関)を設置し、供給を興亜院に一元化、医薬品扱いとなり、アヘンを買うには、原則として医師や薬剤師の発行する処方箋等が必要となった。

 これは1898年、台湾総督府民政長官に任命された後藤新平が、台湾総督府で実施した政策で、台湾では50年かけて撲滅に成功した政策であった。

 満州国のアヘン行政も同様の目的で実施されていた。
 掲げる理想は高かったのだが、残念なことに敗戦で終わってしまったので、需要に合わせて供給量を確保する段階で終わった。供給量確保の過程で、日本の特務機関
里見機関が中国のアヘンを牛耳る裏組織幇会(紅幇(ホンパン)、青幇(チンパン))と接点を深めることになった。

 なお、占領地に日本国直轄の行政機関である興亜院を設置したのは第1次近衛内閣のときであり、興亜院の設置は近衛の独断によるものと考えられる。日中の和平交渉を任されていた外務大臣の宇垣一成は、興亜院の設置は、講和の妨げになると強く反対し、大臣辞任の一因になったと言われている。また近衛内閣の呼びかけに応じて重慶脱出してきた汪兆銘に対しても、冷や水を浴びせるような政策となった。興亜院の設置を決定した近衛文麿は1939年1月4日突然辞任するが、近衛の迷惑な置き土産は、平沼内閣にも継続され、1942年、東条内閣下で興亜院は大東亜省に引き継がれる。

 ところで戦後、中華人民共和国がどのようにしてアヘンを撲滅できたのか、ネットで調べても何も出てこなかった。私見ですがもしかしたら、中華人民共和国は、日本の政策を密かに取り入れて、継続したからではないか。
 
このような知られていないエピソードが満載ですので、是非ごらんください。
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