11 蒋介石は首都を漢口から重慶に移転する時間稼ぎのため、黄河を決壊させ、長沙城を焼き払った
1937年12月の南京陥落の時点では、中華民国は、政府機能を南京から漢口に既に移していたが、漢口も日本の攻撃の前には長くはもたないであろうと、蒋介石は考えた。そこで英仏に対し、ビルマ、北部仏印に重慶までの援蒋ルートを建設させる交渉をはじめた。援蒋ルート建設の目途が立つと、漢口から重慶に首都を移転する時間稼ぎするため、黄河を決壊させ、日本軍を足止めしようとした。
英仏は中立の立場をとっていたが、雲南省の鉱山利権の代償に、蒋介石は、イギリスには植民地ビルマから四川省を通る重慶までのビルマルートの建設を、フランスには北部仏印ルートの建設を急がせた。
1938年5月徐州陥落後、6月、日本陸海軍共同作戦で、新たな臨時首都である漢口・武昌、漢陽(旧武漢市)の攻略を開始した。
すると蒋介石は時間稼ぎのため、開封から鄭州へ進軍する日本軍を妨害する目的で黄河の堤防を決壊させ、開封と鄭州の間を浸水させ、日本の仕業にしようとした。480万人の中国人住民が被災した。日本軍は行軍を中断して被災者救助、堤防修復を行った。
呉海軍陸戦隊が、揚子江をプロペラボートで漢口に突入し、10月、漢口・武昌、漢陽(旧武漢市)を陥落させた。
また、蒋介石は漢口から重慶に移動する途上、11月に毛沢東ゆかりの長沙市の焼き払い、これも日本軍の仕業にしようとした。
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