4 満州事変の原因は張学良が、大隈内閣と袁世凱との条約を破棄し、朝鮮人の農地の権利を奪ったから
昨今、世界中が軍事紛争で騒がしいが、軍事行動を仕掛けた側を一方的に断罪する短絡的な論評が多い。しかし軍事行動の原因となった紛争を掘り下げると、もっと複雑で全く違った印象を抱くことになる。
満州事変は、張学良が一方的に、日本が袁世凱北京政府と締結した条約を破棄する内容の命令を公布し、排日暴動によって、当時日本人として満州にやってきた朝鮮人を追放しようとしたことが原因であることは、あまり知られていない。
日本(大隈内閣)は中華民国(袁世凱大総統)との間で1915年、21箇条の要求等のうち第1号から第4号までを2条約及び13交換公文という形で条約等が締結される。(加藤外務大臣は袁世凱に頼まれて、元老らに相談せず最後通牒の形で第1号乃至4号の要求書を交付した。)
2条約及び13交換公文のうち南満州および東部内蒙古に関する条約によって、南満州及び東部内蒙古における日本人の移動、営業、居住の自由、在住者の土地賃貸借が認められた。それまでは日本人は租借地と鉄道付属地にしか住めなかった。(当時の日本では、外国人でも日本の土地の権利を取得できたのであるから、この条約は相互主義的であり、不平等条約ではない。)
この条約締結以降、農業目的の入植者、特に日韓併合後日本人となった朝鮮半島からの入植者(間島問題)が増大した。
張学良が1931年、この「南満州および東部内蒙古に関する条約」等を破棄する内容の命令「懲弁国賊条例」を公布し、租借地、鉄道付属地以外の日本人(朝鮮人を含む)の土地の権利(農地の権利)を奪い、日本人を狙った排日暴動を起こしたが、結果として主に朝鮮人(万宝事件))が狙われ逮捕され、満州から追放されそうになったことが、満州事変の原因のひとつである。(このほか張学良は、租借地や鉄道付属地の即時返還を要求をしている。)
張学良の革命外交の実態は、中華ナショナリズムによる過激な排外主義である。排日暴動や張学良の挑発行為(中村大尉殺害事件)に対する関東軍の反撃という形で、満州事変が発生する。
関東軍は、柳条湖事件のような余計な小細工をせずとも、満州の日朝居留民の生命財産の保護のために軍事行動を起こしたと説明すれば、不戦条約違反にはならなかった。(もちろん、参謀本部の了解なく軍事行動を起こしたこと、朝鮮軍が天皇の裁可なく国境をこえたことは日本の国内法をないがしろにした行為である。)
このような知られていないエピソードが満載ですので、是非ごらんください。
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