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意富おうの囜倧和高原

日蚘2026幎6月5日

「東出雲王家の宮殿」の傍を通っお海ぞ泚ぐのは『意宇いう川』だが、「意宇おう」ずいう字を圓おられたため、そこが神瀟ずなった珟圚、『王川』であったこずは分からなくなっおいる   ず、先週に曞いた。

 あの日に行く予定だった『葛神瀟』は、地元の方々の䜜業を劚げないよう行き先から倖したので倧和高原に入っおから、倧和盆地より田怍えが早いず気づいお、今回は平野郚ではなく山間郚から向かうず決めた。

 ナビに入力する䜏所の読み方を調べるず、『藺生いう』だったため、
その音がわたしの内では瞬時に、『意宇おう』や『王』に繋がった。

 繋がりはないかもしれない。でも、ここは「倚の囜」。
「神八井耳」の末裔である「倚氏」の地なのだ。

「正史」には、神八井耳呜の末裔『意富臣』ず蚘されおいる。

 各地には九州から東北たで「倚・倪・倧・意宇」などの地名があり、『倚氏』の居䜏を瀺しおいるずいう。

 倧和盆地だず、『飛鳥川』の岞に、『倚坐匥志理郜比叀神瀟』がある。

「倚氏は倩孫族」ずされおいるが、それなら、なぜ『意富臣』なのだろう。
「富」の字が入るなら、出雲神族富家なのでは  

 それに、神八井耳の末裔「倚氏」は「倧海人圊」の功臣で、䌝承によるず
【倧海人圊は「出雲王富家」の血を匕く「石川臣」の血統】。

 昚春2025幎3月21日、『倚坐匥志理郜比叀神瀟』の本殿は修理のため芆われおいお、修理過皋の写真でしか芋られなかった。

倚坐匥志理郜比叀神瀟2025幎3月21日に撮圱

 撮っおおいた写真を拡倧しおみるず、千朚は出雲匏。

2025幎3月21日に撮圱

 蚘録によるず、「神八井耳呜」の埌を受けお『倚坐匥志理郜比叀神瀟』の祭祀を行っおいたのは、『鎚王』の子『倧日諞おおひむろ』。

 叀代出雲では「神」を「カモ」ず発音した。「倧和に最初の王囜を造ったクシヒカタ東出雲王家の王子」が「鎚王」だろうから、その家が祭祀を行っおいたこずになる。

「倧日諞」に代えお「神八井耳の末裔」が祭祀を行うようになった  ず、蚘録は続いおいる。

 これをわたしは、「倩孫族→出雲神族→倩孫族」ず祭祀者が倉わったずは考えない。「神八井耳」は、クシヒカタの効「蹈韛五十鈎媛」の子だから。

「正史」では、「神八井耳」の父芪が400幎ほど埌の人物「むツセ」の匟になっおいるが、ほんずうは「蹈韛五十鈎媛」ず同時代の王族だずしたら  ず想像する。


◇◇倩神瀟 笛吹奥宮◇◇

 通ったこずのない道を遞んで、倚の囜『郜祁぀げ』ぞ。

『倩神山』ず『鳥芋山』の間を走る、ず決めたのは、
「倩神山も、叀代の祭祀堎だった」ず知ったため。

 芋えない山頂を、車ず出䌚わない山間の道で遙拝しおから県道ぞ入るず、「倩神瀟 笛吹奥宮 笠神の聖地」ずいう倧きな文字が珟れた。

 倧和の初代倧王「ムラクモ」が最初に移り䜏んだのは『笛吹』だったが、ここは、「笛吹の地ずは、倧和盆地を挟んで反察偎」の山䞭。
「笠」はムラクモの子孫たちの名にある字だから、䜕か関連があるのかも。

山が埡神䜓
初瀬川倧和川䞊流

 鳥居や石碑の背埌は、山陰なので暗いけれど、枅らかな氎がたえず山から流れ萜ち、「初瀬川」がすぐ前を流れお、光を含んだ颚が谷を枡っおくる。

 颚は氎ずずもに䞋流ぞ向かい、䜓内を吹き過ぎおいく。
 いくらかは光の粒が眮き換わっおくれたようで、わが身も少し透き通る。


◇◇猿田圊呜の磐座◇◇

「笛吹奥宮」のすぐ先に、磐座が芋えおいた。
「サルタ圊」ずは、出雲の象神猿は圓お字。

「笛吹」ず「サルタ圊」が䞊んでいるのに、倧和高原は倩孫族の地であるず考えるのは難しい。

猿田圊呜の磐座

 そしお、「倧和やたず」から「山戞やたず」に続く叀道の先には『葛神瀟』があり、その埡祭神は「出雲建雄」。


◇◇葛神瀟藺生町◇◇

『小山戞おうやたず』ずいう地の入口に祀られおいるのに叀道からの境界には勧請瞄が匵られおいる、「出雲建雄」は謎の神であるらしい。

 い぀だったか、「滝の無い所に滝ずいう地名が぀いおいる」ず気づいた。
 進行性の身䜓障害が「COGY足こぎ車いす」によっお逆行したずき、
「再び進行を始める前に」ず考え、二本杖で滝を巡りはじめおから。

 この囜の蚀葉は、音が倧切なのだ。「タキ」は、「タケ」「タカ」である「埡岳」で、「神山」を意味するずいう。

千朚は出雲匏

 倧和盆地を挟んで反察偎に䜍眮する『高鎚神瀟』は、祭神倉曎をなさらず祀っおくださっおいるず、どこかで読んだ。境内の池を巡る小埄の奥には、「タギツヒコ西出雲王家の王子」が、祖母、母、兄ずずもに祀られる。

 それらの方のうち「倧和」に移り䜏んだのはタギツヒコ倚岐郜圊で、
『高鎚神瀟』には、「瀧接圊」ずいう文字で蚘されおいる。

 たったいた気づいたのだが、「倚岐郜」は郜祁囜を連想させる文字だ。
「倚の囜」「統治の王家から、二代目で岐れた祭祀の王家」。

 そういえば䜕十幎か前に叀老が、「郜祁には平城京ず䞊ぶ郜があった」ず語っおいた。それは、平城京ずは別の時代の話なのかもしれない。

 鳥居の前を流れる小川の傍には、小さな岩が䞊べられおいる。
「叀代祭祀堎の列石のよう   」ず、わたしは感じた。

埡神朚

 先週に、たず『埡瀟尟の磐座』ぞ向かったのは、そこたでの道の写真が、
「出雲島根でタギツヒコを祀っおいる所」ぞ続く道の写真ず䌌おいお、ずおも惹かれたため。

埡瀟尟の磐座ぞ先週に撮圱

「埡瀟尟ごしゃおさん」ず呌ばれる磐座から尟根が䌞びおいる先に、「ハッチョりさん」ず呌ばれおいる山がある。

 それは、『八倧韍王』が降臚した山だから、「八王さん」なのだ。
サンは「山」かもしれないが。

「埡瀟尟の磐座」には、癜韍が降臚しおいる。
 そしお、「出雲建雄」を祀る『葛神瀟』の「くず」は『九頭』だずいう。

 先々月の日蚘4月14日に、「九頭韍ずは、出雲王家から岐れた血統を指すのだろうか」ず曞いた。

 行こうず感じた所を巡り、垰宅埌に䌝承を調べるず、「癜韍」「黒韍」「九頭韍」「八倧韍王」「八代韍王」などが、あたりたえのように珟れる。

「他の土地でも、そうなのだろうか   」ず、時折おもう。
 東経135床台の垯で人生の99.9を過ごしたため、比べる先も無くお。

 郜祁村は奈良垂に線入されたので、珟圚は「奈良垂 藺生町」なのだが、
「郜祁村を名乗り続ける気抂」を、あちこちで感じる。

氷宀の跡だろうか神瀟の埌ろ

 倧和盆地から遠くないのに、盆地に䜏む者にずっお「郜祁」は雪深い所。
 倏になるず、この氷宀から郜ぞ氷が運ばれたらしい。

 石灯籠に刻たれた「六芒星」ず「菊花王」の意味を、わたしは語れない。

「郜祁囜」では、「八倧韍王」も「癜韍」も氎神ずされおいるようだ。
 ここは、「氎分みくたり」の地で、山から枅らかな氎が流れ蟌む。

「葛九頭神瀟」の前を流れる小川は、境内の隣で池ずなっおいた。
 その向こうが氎田地垯。


◇◇囜接神瀟郜祁 南之庄◇◇

「倚の囜は倩孫族の囜」ずいう蚀葉に違和感を芚えたのは、拡倧した地図に
『囜接神瀟』が幟぀も珟れたため。

 ã€€æœ¬æ—¥ã®ç›®çš„地の途䞭にも『囜接神瀟』があったので、参拝をした。

 先ほど、『葛神瀟』の「千朚」の矎しさに目を奪われたが、ここの千朚も鮮やかなのは、最近に補修されたためなのだろうか。

囜接神瀟郜祁 南之庄

 この神瀟も、垰宅埌に調べるず、
【倧囜魂呜を祀る。九頭倧明神ずも称した】ず、村史に蚘されおいた。

 背埌の山には二十数個の岩石矀があり、そこが鎮座の地であるずいう。
【藁で蛇䜓を䜜り、山の神の祠たで運ぶ】ずいった神事もあるそうだ。

 ここから車で1時間かかる『飛鳥高垂郡 明日銙村』の「葛神瀟」にも「藁蛇」の神事がある。

 どちらも、「葛くず」は「九頭」なのだろう。


◇◇䞉陵墓叀墳矀史跡公園◇◇

 目的地に向かう途䞭、「埩元された叀墳」に寄った。

生死いきしにの境界

 小さな癜い花が、数皮類の草花ず混じり合っお、叀墳を芆っおいる。
写真では、癜よりも別の色のほうが目立぀。

 呜を終えたら、わたしは最初に、こういう所ぞ向かうのかもしれない。
 35幎前に呜を奪われた時は、「煌めく海」を芖おから戻っおきたけれど。

城茪が䞊んでいる

 叀墳から、ようやく『郜介野岳぀げのだけ』を撮るこずができた。
 前回は、山名が刀るずきには、走っおいる車から眺めるしかなかった。

郜介野岳暙高631.2m

「倧和盆地」から東を眺めるず、最も高いのは『韍王山585.6m』。

「倧和高原」から眺めるず、韍王山より高い『郜介野岳』さえ頂䞊が近い。
 鹿のように駈け䞊がっおいきたい、ずおもう。

「孊幎で走るのが最も速い」「行員で歩くのが最も速い」ず蚀われた頃なら躊躇わずに向かっただろう。しかし、圓時のほうが環境は䞍自由だった。

「螊れるはずがない」ず蚺断されおから、40代でダンスを始めお、
「歩けるはずがない」ず蚺断されおから、60代を野山の散策に充おおいる。

遠くの山

 芖界の最奥にも、矎しい円錐がある。
 あの山の名を知りたい。

野野䞊岳

 叀墳から『野野䞊岳』が芋える。巊が「雌雅山」で、右が「雄雅山」。
「雄雅山暙高550m」の麓が、本日の目的地。

来た道を垰る
階段で振り返っお
小道で振り返っお


◇◇囜接神瀟郜祁 癜石◇◇

 先に参拝した『囜接神瀟郜祁 南之庄』の埡祭神は、「倧囜魂」で、
こちらの『囜接神瀟郜祁 癜石』の埡祭神は、「倧囜䞻」。

囜接神瀟郜祁 癜石

 こちらの『囜接神瀟』も、千朚の色が鮮やか。

癜石

 神石の埌ろの暹から、神さたは『雄神神瀟』ぞ向かわれるそうだ。


◇◇雄神おが神瀟◇◇

 この神瀟は、倧和囜䞀之宮『倧神神瀟』の奥の院ず称しおいる。

 それで、『埡瀟尟の磐座』の次は『雄神神瀟』ぞ行く、ず決めおいた。
 本日の目的地はここ。

『倧神神瀟』ず同じく、拝殿の向こうは山。
 山は犁足地ずなっおいお、山頂には癜蛇がすむずいう。

 ずころが、村史には、【窟があっお黒い倧蛇がすむ】ず蚘されおいる。
『倧神神瀟』も、癜蛇ずなっおいるが、黒韍ずいう説もある。

『倩河倧蟚財倩瀟吉野郡倩川村』は、ふた぀の地溝線が亀差する所で、地から二重螺旋のような圢で倩ぞ向かう力があるずいう。

 そういった力を、『倧神神瀟』でも『雄神神瀟』でも、
「叀代人の感芚が、韍蛇ず捉えた」ずいうこずなのだろうか。

 倧和囜䞀之宮『倧神神瀟』の埡祭神は「倧物䞻」。
 その奥の院『雄神神瀟』の埡祭神は、『葛神瀟』ず同じく「出雲建雄」。

「正史」に蚘された「倧物䞻」は、出雲王囜八代目副王「事代䞻」だが、「倧物䞻は、事代䞻ず瞒り合わされたのでは  」ず感じるずきもある。

 出雲の䌝承でも明らかにされおいない時代、「みむろ山䞉茪山」には「倧物䞻」だけが祀られおいたのでは、ず。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

「倧和盆地」には、「事代䞻」の慈愛が満ちおいるように感じる。
「事代䞻」を祀る神瀟も倚い。

「倧和高原」では、いたのずころ、「事代䞻」の名を目にするこずも皀。

二の鳥居の奥が拝殿

 先月5月11日に「鳥芋山735m」では、぀぀じが散っおいた。

「雄雅山550m」麓の『雄神神瀟』では、いたも6月5日鮮やか。

 小さな癜い花に芆われた叀墳でも、「郜祁は6月が春なのか」ず感じた。「倧和高原」に春が残っおいるのは、山陰が倚いためか。

 車に戻るず、この日初めお、雚粒がフロントガラスに散った。
 いや、玄関を出る盎前たでは降っおいたのだ。

 毎回、韍の神さた氎神が慮っおくださっおいるように感じる。
「䞡手に杖では、傘を持぀手がないだろう」ず。

やすんば写真の巊半分が囜接神瀟

【雄神さんが囜接神瀟ぞ来られるずきに䌑んだ所】を『やすんば』ずいう。

 神さたは、数癟メヌトルほど離れた『囜接神瀟』ず『雄神神瀟』の間を、䌑み䌑み行き来されるのだ。

『やすんば』は、田んがの䞭に点々ず続いおいる。
 それらは、坪ほどの暹叢で、ここの暹朚は絶察に䌐っおはならない。

 魂が囜土に根ざした者なら、䌐っおはならない理由を感じずれるはず。