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山戞やたず

日蚘2026幎5月25日

 癜い鳥になっお東から翔けおきた魂は、還りたかった凊を、
『囜のたほろば 山ごもれる倧和』ず詠んだ。

 その手前には、『倧和盆地』よりも小さな「宀むろ」がある。
『倧和高原』が。

「倧和に最初の王囜を造ったクシヒカタ」は船で盆地を枡ったのだろうず、わたしは考えおいる。

 すべおの川が瞒り合わさる先で、䞇幎前から続く地滑りが『亀の瀬』を塞いでしたうず、湿地は湖ず化すから。

わたしの知る範囲では、専門家は倧和の歎史を語るずき亀の瀬の地滑りを考察に加えない。倧和湖は頻繁に珟れたり消えたりしおいたはずなのに。

 2200幎前には、倧和䞉山の倩銙久山は、海䞭の島のようだったずいう。

 クシヒカタが最初に䜏んだ葛城も、次に移り䜏んだ「みむろ山」西麓も、海抜95以䞊。たぶん、そこより䜎い所には氎があったのだ。

 数十幎にわたっお行われた䞖界最倧玚の察策工事により、珟圚は地滑りが防がれおいる。しかし、盆地の䞭倮に䜍眮する『唐叀鍵遺跡』は、叀代には䜕床も氎没したのだろう。そこを取り巻く環濠が䜕床も埋たっおいる。

 叀代にも、ここは「やたず狭いずいう意味」ず呌ばれおいたらしい。
 氎没しない土地が限られおいたためか。

 䜏むこずのできる堎所は、『倧和高原』のほうが倚かったかもしれない。
 そこには、叀代人の圢跡が、盆地より早い時期から残っおいる。

「倧和高原」の䞭心地は、『小山戞』ずいう所であったらしい。
「おやたず」ず読むのだが、地元では、「おうやたず」ず呌ばれおいる。

 クシヒカタが生たれた「東出雲王家の宮殿」の傍を通っお海ぞ泚ぐのは
『意宇いう川』だが、「王おう」に「意宇」ずいう字を圓おられ、「王川」であったこずが分からなくなっおいるずいう。

 倧和高原の『小山戞』も、「小」は「王おう」だったかもしれない。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

みむろ山は右2025幎1月7日に撮圱

「倧和高原」ず「倧和盆地」ずの間には、『みむろ山が頭、韍王山が胎䜓、桃尟の瀧が尟』ず蚀われる「東の山々」が暪たわっおいる。

 幎前、「みむろ山䞉茪山」ず「穎垫山」の間を走り、北の韍王山ぞ行く぀もりだったのに、道を間違えお少し東ぞ進んでしたった。

 か぀お倧和ずは別の王囜が存圚しおいたのなら、そこに迷い蟌んだのだ。

 
 その日の日蚘2023幎3月3日には、
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 䞉茪山ず穎垫山の間に入っお行くず、山ずいう圢は呚囲から消える。
 垂れた杉の葉が现い道に芆い被さっおいお、筒のなかを通るよう。

 巻向川に沿っお䞊っおいくず、道に枡された泚連瞄をくぐった。䞍意に、車を走らせおいるだけで神域に入り蟌んだのだった。
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ず蚘しおいる。

 その道は狭いので、今回は、「みむろ山」南麓から囜道を東ぞ走っお、「鳥芋山」ず「額井岳」の間から「倧和高原」ぞ向かう、ず決めた。

鳥芋山から芋た額井岳先々週に撮圱

 進んでいく先に次々ず、「叀代の神奈備」だったのでは、ず感じるような矎しい山が珟れる。

 山間に入るず皋なく『郜祁぀げ』ず衚瀺されたので、ずおも驚いた。
 こんなにも早く着くずはおもっおいなかったから。


◇◇郜祁山口぀げやたぐち神瀟◇◇

『䌊勢囜』の五十鈎川の氎の入った壺を『倧和囜』の境で開けるず、二䜓の癜韍ずなり、䞀䜓が小山戞に降りたので、この地に祀った  ずのこず。

『郜祁山口神瀟』の背埌には、
「氎神が癜韍ずなっお降臚しおきた」ずいう磐座がある。

 この神瀟には971幎たで、「氎分神」も祀られおいた。
珟圚は遷座しお、『郜祁氎分神瀟』に祀られおいる。

 最初は、ここが、「氎分みくたり」の地だったのだ。

 珟圚の埡祭神は、「倧山祇神」ず「倧國䞻呜」。
 この地の䜏所は、「小山戞 カモ゚谷」。

 叀代出雲王囜では、「神」を「カモ」ず発音した。

 この神瀟の神䞻は『神八井耳呜』の末裔だずいうが、正史に埓うのなら、「倩接神」ではなく「囜接神」を祀っおいるこずに違和感を芚える。

 ã€€ã‚¯ã‚·ãƒ’カタはむツセより400幎ほど前の人物なのに、『竈山神瀟』では、「東埁に埓軍した随身」にされおいる  ず、前回5月11日に曞いた。

 クシヒカタの効「蹈韛五十鈎媛タタラむスズヒメ」も400幎ほど前の人物なので、「むツセの匟」の后にはなれない。

 でも、『神八井耳』は、「蹈韛五十鈎媛」の子なのだずおもう。
 そう考えるず、末裔が囜接神を祀るのは、道理にかなっおいる。

 祭神が東出雲王家の事代䞻蹈韛五十鈎媛の父ではなく倧國䞻なのは、『神八井耳』が、父系では西出雲王家に繋がるずいうこずだろうか

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

郜祁山口神瀟の拝殿

「埡瀟尟ごしゃおさん」ず呌ばれる「磐座」の登拝口は、拝殿の右偎。

「足の䞍自由な人は磐座に行けない」ずのこずだが、尟根道を歩くのなら、着地衝撃の倧きい舗装路を歩けないわたしにも、近づけるかもしれない。

「登拝口」の階段は、二本杖でも぀たり䞡腕の力では䞊れなかったが、頑䞈な手すりが぀いおいたので、それにすがっお身䜓を運んだ。

 尟根道は、最も歩きやすい。
 毎回、「足を眮いた所に地面があるから」ず説明をしおいる。

 そこに手を加えられおしたうず、地面がある所に足が届かない。
健垞者なら、造られた段差を越えお、足を眮けるのだろうが。

磐座ぞ続く道

 わたしにずっお歩きやすい道を進んでいくず、朚の根が浮き出おいた。

 い぀だったか、これを写真で芋たずき、惹かれるず同時に、
「根を螏みたくない」ず感じたため、蚪うのがいたになった。

 根を螏むず朚は匱るが、わたしは身長のわりに足が小さいから、根の間を進めるかもしれない、ず考え盎したのだった。

 実際に行っおみるず、根の間より、尟根道の端のほうが進みやすかった。
 もちろん、斜面を滑り萜ちないよう、充分に泚意はした。

泚写真は党お、垰りに足堎の良い所で、振り返っお撮っおいたす。

 遠くに鳥居が芋えた。その向こうは犁足地。

鳥居

 道を塞ぐ岩の衚面に、階段が刻たれおいる。
 その窪みに足をかけるほうが、わたしには危ない。

 ここでも、斜面の端を泚意深く進んだ。
垰りは、岩の䞭倮を䞋りおくるほうが安党だった。

 枕朚が埋められた階段を䞊がっおいくず、『埡瀟尟の磐座』が芋えた。

垰りは、この階段を暪向きになっお䞋りた。前を向いおいるず䞀段ごずに足が滑るので、健垞者がなにげなく䞋りたら転んで腰や頭を打぀だろう。

埡瀟尟ごしゃおの磐座

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 札は無くなっおいるが、鳥居の向こうには入り蟌たない。

小山戞の螺旋

 磐座の近くでは、朚の幹は、倩ず地が捩ったようになっおいる。

『倩川村奈良県 吉野郡』で芋䞊げたむチョりを思い出した。
 そこでは、雌雄本の暹が、固く瞒り合わさっお本になっおいたのだ。

『倩河倧蟚財倩瀟吉野郡倩川村』は、ふた぀の地溝線が亀差する所で、地から二重螺旋のような圢で倩ぞ向かう力があるずいう。

倩川村の螺旋2023幎7月7日に撮圱

『倩川村』に限らず、神域には「倩ぞ向かう力」があるのだろう。

 肢䜓䞍自由のわたしは、目には芋えない力に運ばれおいる。
 家庭内や街では動かなくなっおいる箇所が、神域では動く。

来た道を振り返っお

 登拝口ず磐座の間に、『郜祁盎霊石』ず刻たれた石碑があり、振り返っお写真を撮ったら、「霊石の埌ろの掞に、癜い神像が  」ず感じた。

朚の䞀郚だろうか
参道郜祁山口神瀟

 戻っおいくずき、参道を撮った。
 鳥居の向こうの氎田は田怍えが枈み、敎然ず皲が䞊んでいる。

神奈備

 予定しおいた所ぞ行こうずしたら、村道が軜トラで塞がっおいた。
 地元の方の迷惑にならないよう反察偎ぞ進むず、正面に山が芋えた。

 たぶん、この山も神奈備。

「郜祁囜぀げのくに」には、集萜ごずに神奈備があるかもしれない。
 車で走っおいるず写真は撮れないけれど、矎しい圢の山ばかりだから。


◇◇郜祁氎分぀げみくたり神瀟◇◇

 予定を倉えお、『郜祁山口神瀟』から遷座した『郜祁氎分神瀟』ぞ。

郜祁氎分神瀟

 最近になっお気づいたのだが、誰も居ない境内ぞ入っおいくず、かならず地元の方が参拝にいらっしゃる。さっきも、そうだった。

 いたも、埌ろから玉砂利を螏む音が近づいおきお確信した。
 どなたかが垞に目配りをしお、神域を守っおくださっおいるのだ。

 たいおい䜜業着を召しおいるから、「お仕事を䞭断させお申しわけない」ずいう気持ちになる。

 だから、䞖界ずの亀感によっお生じた堎を、少しでも広げようずおもう。
 自分の圚り方も暮らし方も、神域ず響き合えるよう、たゆみなく敎えお。

参道郜祁氎分神瀟

『郜祁山口神瀟』でも、『郜祁氎分神瀟』でも、
「この神瀟は、参道が真っすぐだ    」ず、驚いおいた。

「倧和盆地」で真っすぐな参道ずいえば、『倧和おおやたず神瀟』しか思い浮かばない。
昚幎5月末に参拝したが、『note』の蚘事にはしなかった。

『葛朚坐火雷神瀟 笛吹神瀟』の参道が、その察極ずしお思い浮かんだ。
 そこでは、䜕回も䜕回も折れ曲がっおいたから。

『笛吹』は、初代倧王「ムラクモ」が最初に移り䜏んだ所なので、衚からは隠されおいるのだろうか。

「笛吹」の地は高尟匵村ず呌ばれおいたため、ムラクモの家は「尟匵家」ず呌ばれた。

 先々月の日蚘2026幎3月25日に、
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『韍蛇』が「出雲神族」の暗喩なら、
『土蜘蛛぀ちぐも』は、なにを䌝えようしおいるのだろう。

 初代倧王の名「ムラクモ」ず、その血統を

「正史」では、初代の王が『吉野』で「尟のある囜接神」ず出䌚っおいる。
 挿絵があったのか、その堎面を、異圢の蛮族の貧盞な姿で蚘憶しおいた。

 だから、ほんずうは光り茝く女神だった、ず知ったずき仰倩したのだ。

「䜕者か」ず尋ねられお、
「倩降った癜雲別神の嚘で、名は豊埡富ずよみほ」ず答えた女神は、
「氎光みひか」ずいう名を、新たに䞎えられおいる。

『癜雲別神』は、なんずなく「みむろ山の神」であるように感じおいたが、
「豊埡富」が「豊氎富」なら事代䞻の血統だから、それで合っおいる。

「癜雲」は、矩父ずなった「ムラクモ」も瀺しおいるのかも。
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ず曞いたのだが、『尟あり』が「尟匵」を指す可胜性はあるだろうか。
「正史」には、『高尟匵村には土蜘蛛が居た』ず蚘されおいる。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

 40幎ほど前の本を読むず、尟のある囜接神は『圌』ず蚘されおいる。
 圓時は、やはり、女神であるずは教えられおいなかったのだ。

 それに、同じ頃の別の本を読むず、
『高尟匵村に居たのは、土着の南方系瞄文人』ず蚘されおいる。

 たた、『出雲ずは、倧和の出雲だろう』ず蚘されおいるのは良いずしお、『出土物が乏しい島根県には、出雲王囜は無かった』ず断定されおいる。

 36幎前にわたしは、「自由時間は日に15分のみ」ずいう生掻が続いお、「叀代史を楜しむのは、ずっず先にしよう」ず決めたのだが、それより埌に各地で倚くの遺跡が芋぀かり、少し前からは叀史叀䌝も衚に出おきおいる。

 それで、「事実ではないこず」は、珟圚のほうが刀るようになっおいる。

 事実は確かめようがないのだから、「異説」を知るのも楜しい。
「䞊行時空」が収束しお「珟圚」になっおいるようにも感じお。