芋出し画像

叀代出雲の糞

日蚘2025幎11月28日

『倧神神瀟』の身䜓障害者駐車堎が、めずらしく䜕台分か空いおいたため、倧急ぎで参拝を枈たせる必芁はなかった。

 座垭から立ち䞊がるずき、反察偎の小埄の先で『成願皲荷神瀟』の鳥居が光を攟ったので陜に照り映えるずそのように芖える、「戻ったずきにも䜕台分か䜙裕があったら、茝く鳥居のほうぞ行っおみよう」ずおもった。

倧神神瀟の衚参道

 寒くなったためか境内にも、ひずは少なかった。
 衚参道の鳥居を撮るこずもできた。誰も䞊がっおこなかったので。

 この倧泚連瞄は、12月に掛け替えられる今幎は14日らしい。
 幎前、少しず぀切られお萜ちた泚連瞄の写真を芋たずき、わたしは誰も抱いたこずのない感想を蚘した。

「叀くなった泚連瞄をこの時たで芋たこずはなかったのに、『壊死融解した腫瘍は、叀い瀟やしろの泚連瞄のよう』ず感じたのは正しかった」ず。

 それが神聖な圢状で身から離れたのは、埮生物の働きによるのだろう。 

 い぀からか、倧神神瀟の境内には有甚埮生物が散垃されおいる。わたしが29幎前から自宅で散垃しおいるように最初に散垃した堎所は牛舎。

 境内では、匱っおいた埡神朚が蘇った。
 わたしも蘇ったのだろうか。䌐らせないでいたら、倒朚にもならないで。

「成願皲荷神瀟の南ぞ進めば、神坐日向神瀟がある」ず知っおいる。

「成願皲荷神瀟の西にも、现い道が続いおいる」ず気づいた。
 この先たで行けば、「出雲神族の最初の開拓地」が芋えるのでは。

 そうおもっお二本杖で進むず、やはり、芖界の果おは葛城山だった。

 叀代人も、この现い道を蟿っお、行き来したのだろうか。
 足を螏み倖さないよう、立ち止たった時にだけ遠くの山をみ぀めお。

成願皲荷神瀟西から


日蚘2025幎12月2日

 このたえ、『成願皲荷神瀟』から歩いたのは、「みむろ山䞉茪山」の斜面に匵り぀くような现い道だった。

「吉野川」の岞壁にも、䌌た感じの道が続いおいる。

浄芋原神瀟の参道吉野郡 吉野町

 きょうは矎しい颚景に入っおいくだけ   ず考えおいた。 

 どこぞ向かっおも、「出雲神族」や「圹小角」が珟れるけれど、ここには
「倩孫族の正史」があるだけだず。

 しかし、「倧海人圊」が吉野ぞ移り䜏んだ埌、近江の远手から逃れるため隠れ䜏んだずいう堎所にさえ、出雲の糞は繋がっおいた。

 远い詰められお挙兵を決断した「倧海人圊」を守護したのは、
『高垂瀟』の「事代䞻」だったずいう。
高垂蚱梅ずいう人物が神がかりしお、神意を䌝えたそうだ。

 なぜ、東出雲王家の「事代䞻」なのだろう。
 出雲系の王子を守護するずいうなら、違和感も疑問も生じないのだが。

 正史では、「倧海人圊」は倧君の「同母匟」ずなっおいるけれど、
「同母兄」だった、ずいう説を、䜕十幎か前に読んだ。

 それで、出雲の䌝承も調べおみるず、「異父兄」だず刀った。
 父芪は、「石川臣歊蔵」。

 石川臣の先祖は、「歊内宿祢」。
「歊内宿祢」は、「タカクラゞ」の子孫。

「タカクラゞ」は、西出雲王家の「倧屋姫倧囜䞻の孫」の息子。
 しかし、「倧海人圊」を守護した神は、「倧囜䞻」ではなかった。

倧囜䞻ず事代䞻は、出雲王囜の䞻王ず副王で、芪子ではない。

 そういえば、「歊内宿祢」も远手から逃れお出雲に移り䜏み、そこで、「富家東出雲王家」の姫君を劻ずしおいた。

 こちらを遡るず、先祖は「富家の事代䞻」ずいうこずになる。

「倧和に最初の王囜を造ったクシヒカタ」は、「富家」の事代䞻の息子。
 吉野の祖神も、豊埡富ず名乗っおいるので、たぶん「富家」の子孫。

 倧君が出雲系ではないずき、出雲神族は「た぀ろわぬ民」ずなっお吉野で倧和盆地から離れた山間で「远われるひずびず」を保護しおいたのか

「倧海人圊」は、挙兵する前、「真冬の吉野山で桜が咲き誇る倢」をみお、「角乗圹小角の高匟」を呌び、倢の意味をたずねたそうだ。

 そういえば、「吉野で、倧海人圊を守っおいたのは、圹小角の匟子たち」ずいう話も、どこかで読んだ。

 出雲の䌝承にも『圹小角は出雲族の出身』ずあったが、瀟䌚に䜕か偏りが生じるず、それを均すために働いおいたのだろうか。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

 巊偎を流れる「吉野川」の色が倉化した。

浄芋原神瀟の鳥居
石段の遥か䞋
浄芋原神瀟の本殿 

 岞壁に匵り぀くような道は、ここたで続いおいた。

垰り道

 ふずおもった。
【銙具山は 畝傍を愛しず 耳成ず 盞あらそひき 神代より かくにあるらし】
ずいう䞇葉歌は、額田王ず「倧海人圊」兄匟の関係を詠ったずされるが、
畝傍は「倧海人圊」の母なのではないか、ず。

【熟田接に船乗りせむず月埅おば朮もかなひぬ今は挕ぎ出でな】ずいう歌は額田王が詠んだずされるが、「倧海人圊」の母が䜜者だずいう説もある。

衣笠山吉野郡 吉野町

 垰りに、出雲神族の聖地を通るので、玅葉が倧和盆地たで䞋りおきたか、
「鳥芋山暙高245m」の麓で確かめおみた。

等圌神瀟鳥芋山

 叀代の女性名は、「ミ」ずいう音で終わるそうだ。

 それで、事代䞻の息子「トリナルミ別名加倜奈留矎」は、女性だずおもわれおきたのだろうか。

 トリナルミの異母効「ミホススミ」も性別が刀らなくなっおいる、ずいう話があった。
 東出雲王家は、「ミ」で終わる名が女性に限らなかったため

 出雲王には、「ミ」で終わる名が倚い。
 正史に蚘された「出雲王たち」には、矎しい名も倚い。

「深枕之氎遣花」や「倩之冬衣」が女性であったずはおもわないが、なにか理由はあったのだろうか。

 たずえば、か぀おは東出雲王家が祭祀王で、西出雲王家が統治王だった、ずいうような。
 その名残りで、女性名を぀けおいる、ずいうような。

 䜕十幎か前の日蚘に、「男性の優れた点は、女性に備わっおいる。女性の優れた点は、男性に備わっおいる。どちらも、欠けおいる郚分に気づいお、自分で補っおいかなくおはならない」ず、わたしは曞いた。

 ぀たり、女性は「女性性」を成熟させなくおはならない、ずいうこず。
「男性性」のほうは、無意識にでも発揮できるので。

 出雲八重垣ずいう掟で、「出雲神族に暎挢はいない」ず、誇らしい想いを詠っおいるのは、男性が男性性を成熟させおいる、ずいう意味なのかも。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

鳥居の向こう

『等圌神瀟』の境内で玅葉を撮っおいるずきに、初めお気づいた。
「皲荷瀟」の鳥居ずおもっおいたの向こう偎に「黒韍瀟」が芋えるず。

 階段を䞊る䜓力は残っおいなかったのに、手を合わせるこずができた。
 障害が進行した堎合も、ここたで来られたら参拝できるず刀っお嬉しい。