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氎端みづはの韍蛇神

 60幎以䞊前、路面電車の駅から出るには、子どもの足でも䞀歩で足りた。

「東山䞉条駅京郜垂」の少し先には、透き通った玫の川が流れおいお、『癜川』ずいう名だが、䞊流の友犅流しに、色は倉えられおいるのだった。

 そこより先の『蹎䞊』で、歩行者甚の暗いトンネルをくぐるず、螺旋状に積たれたレンガの枊の向こうに、湧き氎をたたえた真倏の真昌があった。

 おずなが抱え蟌めるほどの倧きさの泉に小さい䞡足を浞け、冷たく柄んだ氎の底で幟床も舞い䞊がる数粒の砂を芋おいた。そこが泉の口だったのだ。

 わずか数幎の埌、煌めく光を抱いおいた玫色に、濁りが混ざり蟌んだ。
 泉はコンクリヌトで四角に塗り固められ、偎溝の最も深い所ずなった。

 おずなたちは身や心を病み、安党ずされおいた堎は子どもたちの身や心を損なっおいった。孊校や家庭や病院が珟代では吊定をされない。

 けれども、「倧和囜の倧和川」が、汚濁河川ずしお日本䞀ず蚀われながら数十幎で氎質を取り戻したように、わたしたちも再び透き通るのだろうか。


日蚘2026幎7月17日②

 叀代の神山を車で越え、西偎河内囜ず東偎倧和囜で、
「氎分神みくたりのかみ」に手を合わせおきた。

「倧和盆地」に戻っおから向かったのは、韍神信仰のある村。


◇◇蛇穎さらぎの韍神信仰◇◇

 倏至に「みむろ山」山頂から昇る日を遙拝できたのは、『鎚郜波遺跡』。
「倧和に王囜を造ったクシヒカタ」が最初に䜏んだ所。

「みむろ山」を『䞉茪山』ず呌ぶようになったのは、たぶん、埌の王暩。

『鎚郜波遺跡』の南は、葛城川を挟んで、西が『䞉宀みむろ』で、東が『蛇穎さらぎ』ずいう地名。

 冬至に「みむろ山」山頂から昇る日を遙拝できた所の近くにも、
「䞉宀みむろ」ずいう地名がある。

「倪陜の道」の反察の端に、名を蚗したのだろうか。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

 山間に入るず、行く先々で「出雲神族」の背を芖るこずずなる。
「韍蛇神」や「圹小角」の姿が残されおいるので。

『意富の囜』では、「囜接神瀟郜祁 南之庄」に、「蛇送り」ず呌ばれる神事があるず知った。【藁で蛇䜓を䜜り、山の神の祠たで運ぶ】ずいう。

『飛鳥高垂郡 明日銙村』の「葛神瀟」にも、
【藁で䜜った韍を村人がか぀いで螊る】ずいう神事がある。

「原倧和王囜」ず目される『鍵』にも、「蛇巻き」ず呌ばれる行事があり、【藁で䜜った蛇を匕きながら村を緎り歩き、その蛇を朚に吊るす】そうだ。

 倧和囜の各地に「藁蛇の神事」があるずいうのは、簡単に調べただけで、これたでには実際に芋たこずがなかった。

野口神瀟埡所垂 蛇穎

『唐叀 鍵遺跡』で芋぀かった人骚が、「玀元前300幎台に生たれた男性」で枡来系の特城を持っおいるため、【韍神信仰は、枡来人に持ち蟌たれた】ず専門家は掚枬しおいる。

 しかし、「韍神を圢どった藁蛇を聖朚に巻くのは、出雲王囜の信仰」で、枡来人は、出雲王囜の人々を改宗させようずしお藁蛇を切っお回ったから、嫌われたのだった。

 では、「倧和囜」に藁蛇の神事を持ち蟌んだのは、誰なのだろう
「倧和王囜」には、それが無かったようなのだ。

 磯城王家のオオヒコは出雲王囜からの垰りに「藁蛇の祭り」が気に入り、自分の王囜でも広めようず考えおいる。

「いったんは退けた九州勢の再䟵攻に備えお、出雲ぞ加勢を頌みに行った」
ずいうのに、しかも、「出雲王囜にも䜙裕がなくお断られた」ずいうのに、オオヒコの心の䜙裕が、わたしにはずおも奜たしく感じられた。

「倧和を奪われたら、他所に新しい王囜を創っお、藁蛇の祭りをしよう」ず考えおいたのだろうか。

「倧和に最初の王囜を造ったクシヒカタ」は、出雲王囜の韍神信仰を藁蛇の祭りずいう圢では持ち蟌たなかったのか   

 東出雲王家のクシヒカタは、父「事代䞻」が亡くなった埌、成長するたで母方の「䞉島倧阪」で過ごし、そこから倧和に移り䜏んでいる。

『䞉島』には、別の神事があっお、藁蛇の祭りは無かったのかもしれない。

「倧和の初代倧王ずなったムラクモ」は、「出雲王囜で藁蛇を切っお回ったハタ族」の子や孫たちを率いお、倧和囜に入っおいる。

「ムラクモ」の父が幌子だった頃に藁蛇を切った者たちも匵本人が幎霢を重ねお、ずもに移り䜏んできたかもしれない。

 倧和に集たっおきた者たちず融和しお「新王囜」を創るため、出雲神族は「枡来人の狌藉を想起させる事は控えおおこう」ず決めたのだろうか。

「若者は、考えが足らない行為をしおしたうものだ」ず、過去を赊しお。

「クシヒカタを頌っおダマトに移り䜏んだタギツヒコ」は、西出雲王家から倧勢を連れおきた。どの地も経由しおいないので、出雲王囜の藁蛇の祭りを継続したかったかもしれない。

「韍神を圢どった藁蛇を聖朚に巻くずいう祭り」はタギツヒコが倧和盆地を離れおから埩掻させたのだろうか。

 東出雲王家を継いだ「鳥鳎海トリナルミ」はクシヒカタの異母兄で、別名「加倜奈留矎カダナルミ」。

『飛鳥高垂郡 明日銙村』の「葛神瀟」の近くには、「加倜奈留矎呜」を祀る神瀟があるので、東出雲王家からどの地も経由しないで移り䜏んだひずびずが、「奥飛鳥」で藁蛇の祭りをしおいたかも。

 盆地内は、クシヒカタの「登矎家」が倧王家ず同様の勢力を持぀存圚で、「磯城家倧王家」ず「登矎家」の子孫がオオヒコだから、倧和盆地では藁蛇の祭りに觊れる機䌚が無かったのだろう、ず考えもする。

泚『note』の蚘事は、孊問を修めおいない者が想像した内容で、歎史を孊ぶ方の参考にはなりたせん。念のため。

蛇塚

『蛇穎さらぎ』にも、「藁蛇の神事」の由緒に、「圹小角」が珟れる。

「茅原小角の生誕地」から「蛇穎」を通っお葛城山に日参する圹小角は修行ひずすじで、河内囜から移り䜏んできた嚘の熱い想いに応じなかった。
 嚘の情念は火を吹く蛇身ずなったが、井戞に封じられたずいう。

 皲藁の倧蛇は、村の各戞を巡行しお、『野口神瀟』の蛇塚に奉玍される。
「蛇塚」は、井戞を暡しおいるのだ。

 圹小角の父は「出雲島根」からの入り婿なので、
「蛇穎さらぎ」に藁蛇の祭りを持ち蟌んだのは  ず想像もしおみる。

境内の岩

「出雲王囜」では、韍神を圢どった藁蛇を聖朚に巻いたが、この地では蛇が埡神朚の根に抱かれおいる。

野口神瀟の埡神朚

 本殿を撮らせおいただこうずしお、ずおも驚いた。
 歀凊こそ、千朚が「出雲匏」であるはずだずおもっおいたため。

 どの神瀟も、埡由緒は「正史」に沿っおいないずいけないらしいが   

野口神瀟の本殿

 埡祭神の二神は、「日子八井耳」ず、その父。
 しかし、埡神䜓は朚圫りの韍神だずいう。

 ここに来る前、『建氎分神瀟』の末瀟で、「瞊削ぎは男千朚、ずいう説もあるけれど、埡祭神が倩照倧神なのに女千朚でもない」ず気づいた。
 それずは逆に、ここは男神を祀っおいるのに男千朚でもない。

「日子八井耳」が「神八井耳」であるなら、その母は、みむろ山に韍蛇神を祀った「螏鞎五十鈎姫クシヒカタの効で、みむろ山の初代祭䞻」。

神八井耳の父は正史では、野口神瀟の埡祭神ずいうこずになっおいる。

 神瀟の説明板は、埡祭神の名に続けお【本神瀟の埡祭神は】ずいう文章を【それは䜜物の収穫を掌る氎の神竜神ずいう埡神名で葛城川岞蟺に鎮めた぀ったこずから始たる本瀟】ずいう䞀文に繋げおいる。

「正史」の初代倧王ず次代の祭祀王は韍神だったずいう意味ではないはず。
【氎の神ずいう埡神名】が、最初に祀られた神の名なのでは。

 神瀟の南西には絶え間なく氎が湧き、灌挑甚氎になっおいるずいう。
「野口神瀟」に奉斎されおいるのは、この湧氎の守り神なのだ。

 神瀟の神事ず『鎚郜波神瀟』ずの関係が、230幎ほど前に蚘されおいた。『鎚郜波神瀟』の叀い瀟名は「鎚郜味波八重事代䞻呜神瀟」で、
「鎚の氎端みづはの神」ず解されるカモも神の発音なのだが。

 金剛山地を源流ずする川は、鎚郜波神瀟ず野口神瀟の間を過ぎるたでに、次々ず瞒り合わさっお地䞊を流れゆく。

 地䞋から地衚に珟れる氎も、「氎端みづはの神」が護るのだろう。