米国の軍事行政史でプログラム予算が始まるまでの道のり

現在、日本では防衛力の抜本強化が進められていますが、同時に物価の上昇という問題も起きています。これは政府支出の増加と物価水準の抑制という相反する要求を同時に満たす政策を組み立てる必要があることを意味しており、効率的な予算管理の手法が必要となります。1960年代にプログラム予算という仕組みを導入しており、予算配分の最適化に努力してきました。

デイヴィッド・ノービック(David Novick)は「費用分析の父」として知られている研究者であり、ライフサイクル・コスティング(lifecycle costing)の研究を通じてプログラム予算の発展に貢献しています。今回は、ノービックの視点から見たプログラム予算の前史を見てみたいと思います。

ノービックはヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した翌年の1940年にアメリカ政府が着手した産業動員の準備業務に従事していたことがあります。フランクリン・ルーズベルト大統領は、政府の下に1940年の夏に計算機科学者ヴァネヴァー・ブッシュが委員長を務める国防研究委員会(National Defense Research Committee)を設置し、軍事目的の機械・装置の開発、製造、仕様に関する科学的な研究を統括・監督させました。ノービックはこの委員会の下でプロジェクトに加わっていました(Novich 1968)。

どのようなプロジェクトでも活動が始まるとさまざまな問題が発生するものですが、ノービックは1941年に起きた生産割当が混乱したことがあったことを述べています。1940年から1941年の夏までは軍需生産の拡大を図るため、生産設備の建設工事が進んでいましたが、軍需品と民需品の優先順位の設定が複雑であったため、一部で需要を上回る過剰な供給が発生するようになり、生産活動の浪費が報告されました。このとき、ノービックは応急的な対応として策定された「製造所要計画(Production Requirements Plan)」に携わり、生産の優先順位と資源配分を最適化しようとしました。

1941年12月に日本軍の真珠湾攻撃を受け、アメリカも産業動員を本格化させましたが、そこでも同じような問題が起きました。1942年2月にルーズベルト政権は経営者ドナルド・ネルソンを委員長とする戦時生産委員会を設置し、軍需品の大量生産に必要な優先順位と資源配分の最適化を担当させていますが、ここでは複雑な計画作業を処理する必要がありました。軍隊の作戦を準備するために多岐にわたる膨大な軍需品を供給しなければなりませんが、その製造ばかりを追求すると民需品が不足してしまうため、絶えずバランスを図りながら需給管理を実施する必要がありました。ノービックは、当時の仕事の複雑さを次のように紹介しています。

「我々は入手可能な全ての航空機を必要としていたが、全ての航空機が同等に重要だったわけではなかった。ある時点では、2000機目の戦略爆撃機B-17用のローラーベアリングよりも、市立病院の冷蔵庫用のローラーベアリングの方が重要度が高かった。また、ある時点では特定型式の1000両目の戦車よりも、兵士や民間人に牛乳を供給する上で欠かせないステンレス製牛乳桶の方が重要であった。その結果、戦時生産委員会は重みづけと評価手法の必要性を学び、これが1942年末の「統制物資計画(Controlled Materials Plan)」の導入につながったのである」

統制物資計画は厳密に述べれば予算編成の仕組みではないので、プログラム予算と無関係に見えます。ただ、ノービックは統制物資計画で主要目標を特定し、各主要目標をプログラムごとに分割した上で、軍事・非軍事、陸海空共通の枠組みで需要と供給を均衡させる体系的な分析を実施したことを指摘し、それが後のプログラム予算(program budget)の原型になったと述べています。

第二次世界大戦が終結してから、陸軍軍人ヘンリー・アーノルドダグラス・エアクラフト社の一部としてランド計画(Project Rand)を設置し、1948年には非営利の研究機関としてランド研究所が発足します。戦後、ノービックはこのランド研究所に移り、核兵器時代におけるアメリカ空軍の資源をどのように最適化すべきか検討する仕事に従事しましたが、その過程で物資配分の最適化を図るために費用負担を計算することが必要でした。それにもかかわらず、当時の空軍の財務データはこの費用分析に適した情報を提供できないことを問題視しています。

ノービックは1954年に発表した「新たな予算編成と会計手順を通じた政府の効率と経済(Efficiency and Economy in Government through New Budgeting and Accounting Procedures)」では、国防総省が採用する予算構造では、あるプログラムの費用を分析し、どの支出が有用であるのか、どの支出が無用で削減可能であるかを評価できない問題があることを指摘しました。

通常、軍隊の装備品は調達するときに一度だけ発生する費用よりも、その装備品を運用、整備する過程で発生する費用の方が大きくなります。そのため、ノービックはプログラムの全実施期間を通した費用を浮き彫りにする管理会計の仕組みを提案し、国防総省のある特定のプログラムを開始した時点で一度だけ発生するコストと、繰り返し発生するコストを区別できるようにしようとしました。これがライフサイクル・コスティングの基本となり、長期的な観点から最適な戦力組成を実現するための管理手法の発展に繋がりました。

アメリカ空軍としては、このような提案を歓迎しませんでした。しかし、ランド研究所では研究の意義が認められ、経済学者などが中心となって多くの研究が行われています。ジョン・F・ケネディ大統領が政権を発足させた1961年にロバート・マクナマラが国防長官として入閣しますが、ここで国防改革の手段としてプログラム予算が取り入れられ、計画策定・プログラミング・予算配分作成システム(planning‐programming‐budgeting system: PPBS)として採用されました。ノービックは、民間部門にまで広げて時代をさかのぼれば、プログラム予算の考え方は1920年代のデュポンの取り組みにまでさかのぼることができると述べていますが、公共部門で定量的手法に基づく管理手法を導入した意義は大きかったと評価しています。

その後、PPBSは国防総省を超えて全省庁に適用されることになり、行政活動の効率化のために利用されるようになっています。ちなみに、政治学という学問分野から公共政策分析(public policy analysis)、あるいは政策科学(policy science)という分野が成立したのも、このような管理手法の導入があったためでした。日本の防衛行政ではアメリカのように目的ベースでプログラム予算を組むことができてはいません。この方面で改革すべき点は多く残されていると思います。

参考文献

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