論文紹介 総力戦の時代に発達した英国の国民登録制度の意義と限界
20世紀初頭のイギリスは、ドイツやフランスなどと異なり、国民に兵役の義務を課していませんでした。1914年に第一次世界大戦が始まり、志願制度で確保できる兵士では戦争遂行が困難であることが認識されてから、イギリスは徴兵業務の制度化を進めなければならず、行政はさまざまな課題に直面しています。その課題の一つとして、全国民に識別番号を付与する国民登録(national registration)の制度化がありました。
国民登録制度は第二次世界大戦で徴兵業務、配給業務にも利用され、イギリスの戦時行政において重要な意義がありましたが、戦後に廃止されました。この制度の歴史については不明な点が多く残されていましたが、行政学者のクリスティーヌ・ベラミー(Christine A. Bellamy)は「自由国家における国民登録のパラドックス(The Paradox of National Registration in a Liberal State)」でその経緯を明らかにしています。
Bellamy, C. (2019). The Paradox of National Registration in a Liberal State: The Case of Wartime National Registers in Great Britain, 1915–52. The English Historical Review, 134(570), 1196-1227. https://doi.org/10.1093/ehr/cez293
冒頭で述べたように、イギリスで最初の国民登録簿が編製されたのは第一次世界大戦が始まった後の1915年であり、当時の西部戦線の戦況として塹壕戦が始まり、戦争が想定した以上に長期に及ぶ可能性が懸念されるようになっていました。国民登録制度を管轄する地方自治庁(Local Government Board)のウォルター・ロング(Walter Long)長官は議会での説明で登録は徴兵の準備として実施するものではないと言っていましたが、内閣での説明として登録が徴兵業務を支援できると想定していました(p. 1199)。
しかし、国民の個人情報を把握することはロングが考えていたほど簡単なことではありませんでした。当初、国民登録では全家庭に戸別訪問を行い、登録が完了した者に登録証明書(Certificates of registration)を発行するという制度が設計されていました(p. 1201)。しかし、総登録局バーナード・マレット(Sir Bernard Mallet)局長は、統計実務の経験から、これが実行困難であることを危惧し、国民健康保険委員会の職務に当たっていた専門家のシルバヌス・ヴィヴィアン次席事務官も有効な登録簿を維持することは困難だと考えていました(p. 119)。
当初、政府は戸別訪問を担当する登録官に警察権を認める検討も行いましたが、その条項は国民登録法案の審議の過程で削除されています(p. 1201)。登録用紙の保管業務は中央政府に集約されず、費用節約のために地方政府に委任されました(Ibid.)。国民は登録後に転居する場合、住所変更を申告する義務がありましたが、それが履行される可能性はわずかでした(Ibid.)。国民登録法では雇用主に従業員の個人情報を地方自治庁に提出させる義務を課していますが、この権限は一度も発動されませんでした(Ibid.)。結局、1915年から1916年の冬にかけて実施された登録だけでは、第一次世界大戦で徴兵業務を支援できるほど正確なデータを提供できませんでした。
イギリスが1916年1月に兵役法(Military Service Bill)で徴兵制度を導入した時点で、国民登録簿と実態にはかなりの乖離が生じていました。そのため、徴兵が開始される前の1915年10月に陸軍省で徴兵業務の運営にあたったエドワード・スタンリー部長は11月から12月にかけて潜在的な徴兵対象者に志願を呼び掛ける活動に取り組んでいます(p. 1203)。その後は徴集者を招集する業務に重点を移したものの、多数の登録漏れがあったため、一軒ずつ戸別訪問を実施して登録証明書を確認する作業が必要になり、その戸別訪問にかかる費用の負担をめぐって国と地方自治体の間では政治的対立が起きました。
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