冷戦期の米国における民間防衛の問題を検討したCivil Defense Begins at Home(2000)の紹介
ラウラ・マッキナニー(Laura McEnaney)の『民間防衛は家庭から始まる:1950年代の軍事化と日常生活の交錯(Civil Defense Begins at Home: Militarization Meets Everyday Life in the Fifties)』(2000)は1950年代のアメリカで核戦争の脅威が迫る中、民間防衛プログラムがどのように展開されたのかを記述した歴史学の文献です。
アメリカは1945年の時点では核兵器を独占していましたが、4年後の1949年にソ連が核実験を成功させて独占を崩しました。それ以来、アメリカは核兵器で本土が攻撃される事態を想定する必要に迫られ、民間防衛プログラムを発展させることになります。しかし、政府が実際に機能する民間防衛体制を構築することは非常に困難だったことを著者は明らかにしています。
1950年、アメリカ政府は本土が核攻撃を受けた場合の住民の被害を最小限度に食い止めるため、ハリー・トルーマン大統領( 1945年 – 1953年)は民間防衛の計画と実施を管轄する連邦民間防衛局(Federal Civil Defense Administration)を創設しました。これはアメリカで民間防衛プログラムを発展させる第一歩でしたが、著者はさまざまな理由からプログラムは有効ではなく、ソ連軍から核攻撃を受けていれば、アメリカ社会は甚大な被害を覚悟しなければならないはずだったことを明らかにしています。
その大きな理由は、連邦民間防衛局が核戦争という事態に対処する際に、住民の自己責任(self-help)を前提としたことにあります(McEnaney 2000: 23)。そもそも民間防衛という概念は第一次世界大戦の最中に草の根運動から自然発生的に生じたもので、これが第二次世界大戦に引き継がれていました。つまり、民間防衛は本土が核兵器で攻撃される事態を想定していた概念ではなかったのですが、慣習的にそれぞれの市民が自発的に取り組むべきものであるとされていました(Ibid.)。
連邦民間防衛局の担当者としても、国民の自己責任を強調することによって、戦時に政府からの支援を過度に期待させたくないという思惑がありました(Ibid.: 24)。もし核攻撃を受ければ、その甚大な被害を政府が防止することは技術的に非常に困難なことであると考えられていました。そのため、連邦民間防衛局に連邦議会は最低限度の予算しか認めていません。数値を上げると、1951年から1953年までの間に政府が議会に請求した予算の総額は15億ドルでしたが、議会が認めたのは1億5300万ドルだけでした(Ibid.: 25)。
このような政治状況から、アメリカの民間防衛は個人の資源を利用するものになりましたが、特に家族を民間防衛の行動単位として位置づけており、これに依存していました。著者は第3章でそのことを特に詳しく説明しています。
「民間防衛の戦略家は、近代家族を近代戦争のために構築することを求めた。彼らは家族を二つの基本的な機能を発揮できるように希望したのである。一つは物理的な防護(シェルターあるいは避難)であり、もう一つは自助努力を促進する価値や行動の教化である」
核戦争を想定した民間防衛プログラムを構築するとき、家族を一つの単位として位置づけることによって、国民全体が実行すべき行動方針を標準化しやすくなるという利点がありました。1950年の秋に連邦民間防衛局が作成したマニュアル『核攻撃におけるサバイバル(Survival Under Atomic Attack)』では、核爆発で巻き上げられた放射性降下物(フォールアウト)が地上に落下し、しばらくの間は人体に有害な放射線を発するため、被爆を避けるためにシェルターに留まる必要があることなど、具体的な対策が解説されました(Ibid.: 74)。

こうしたパンフレットとは別に1953年に発行された『家庭防護演習(Home Protective Exercises)』と題するマニュアルでは、政府の支援を受けなくても行動できる準軍事的単位として家族を訓練することが目指されました(Ibid.: 76)。それぞれの家族の構成員は軍隊のように各々のタスクを遂行することが期待されており、男性の配偶者を指揮官のように見立て、整然と行動することが求められていました(Ibid.: 77)。
しかし、実際に民間防衛に伴う業務を引き受けるのは女性の配偶者の役割とされており、当局は第二次世界大戦と同様に女性を勤労動員することを検討していたと著者は指摘しています(Ibid.: 89-90)。このような民間防衛のプログラムには実効性がほとんどなく、家族生活の実情を無視した非現実的な内容になっていました。
連邦民間防衛局は国民の理解と協力を求め、核攻撃に関する啓発運動で教育展示を巡回展示するトラックを走らせるなど、さまざまなキャンペーンを実施しましたが、1960年になってもアメリカ国民のほとんどが自宅にシェルターを建設していませんでした。民間防衛の効果を高めるために、社会の実情を踏まえた施策を設計する必要がありますが、そうすべき理由は本書の中で具体的な事例と共に示されています。
当時の国際情勢において、核戦争のリスクは否定できず、民間防衛の強化は必要でしたが、あまりにも政府当局が過大な要求を示すと、国民はそれに協力できなくなります。本書では、それ以外の論点として、当時のアメリカ社会における人種隔離の問題が公共シェルター建設の障害になったことなどを取り上げ、社会状況が民間防衛の施策を困難にした事例を数多く提供しています。
民間防衛の政策体系を構築する上で考慮すべき事項が包括的に検討されている研究であり、日本でも国民保護に関する議論を深める上で参考になるものだと思います。
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