【みおとあおい】第百三十二章:消費税―預り金万華鏡―
第百三十二章:消費税―預り金万華鏡―

―言葉を重ねるほど、消費税が見えなくなる―
夜。
みおは、机の上にスマートフォンを置いていた。
画面の中では、片山財務大臣が消費税について答えている。
納税義務者。
消費者。
益税。
何度も聞いた言葉だった。
けれど、今日はうまく通り過ぎてくれなかった。
みおは動画を止め、隣に開いていた政府の答弁書を読んだ。
そこでは、消費者が法律上納めるべき消費税を事業者が納めず、益税にするという事象はない、と整理されている。消費税法上の納税義務者は事業者だからだ。
「……あおい」
「なに?」
「消費税って、お店が預かってるんじゃないの?」
あおいが椅子を寄せる。
みおは、答弁書の別の箇所を指した。
そこには、消費者の納税すべき金銭を事業者が法的に預かったわけではない一方、対価に含まれる消費税相当額が納税まで事業者の手元にあるため、預り金的性格を持つ、という説明があった。
「預り金ではない」
みおが言う。
「でも、預り金的性格」
もう一度、画面を見る。
「……“的”って何?」
あおいは、すぐには答えなかった。
代わりに、一枚の古いポスターを開いた。
1.最初の鏡
青い背景。
赤いベレー帽。
大きな数字。
4月1日から、3%。
その横には、こう書かれていた。
消費税は、消費者の方々に、ご負担いただくものです。
国税庁の租税史料では、平成元年、1989年の「消費税導入のポスター」として紹介されている。
「これは分かるわ」
みおは言った。
「買う人が負担するってことでしょう?」
「そう説明しているね」
「難しい言葉、何もないじゃない」
最初の鏡は、単純だった。
買い物をする。
代金を払う。
その中に、消費税がある。
みおがずっと思い浮かべてきた景色と、よく似ていた。
「じゃあ、次を見ようか」
あおいが、もう一枚を置いた。
2.《預り金ポスター四兄妹》
二枚目のポスターには、買い物かごを持つ人がいた。
消費税を払っているのに、それを預かる人が税務署へ納めないのは許せない――。
そんな怒りを、見る人へ語りかける広告だった。
この広告は、2003年3月25日の国会でも取り上げられている。池田幹幸議員は、東京国税局と税務署が1999年から2000年3月にかけて電車内に掲示した広告として紹介した。
みおは、ある言葉で目を止めた。
それを預かる人。
「今度は、預かってる」
「うん」
三枚目。
いかりや長介さんを起用したポスターのコピーとして、次の文言が記録されている。
オレが払った消費税、あれっていわば預り金なんだぜ。
「いわば?」
「いわば」
「預り金なのに、“いわば”が付いたの?」
みおは、二枚目へ目を戻した。
そして四枚目。
とめないで! 私の払った消費税。
このコピーも、同じ2003年3月25日の国会で取り上げられている。池田議員は、その時点の広告として示していた。

みおは四枚を見渡した。
「消費者が負担する」
指を動かす。
「それを預かる人」
もう一枚。
「いわば預り金」
最後の一枚。
「私の払った消費税を、とめないで」
しばらく、黙った。
「……全部、消費税?」
「全部、消費税」
「同じ家族みたいね」
「ポスター四兄妹だね」
「四人とも、ちょっとずつ話し方が違うんだけど」
あおいは、四枚の横に小さな紙を置いた。
預り金的性格。
「まだいるの!?」
3.「的」が付いたら、何になる?
「この言葉、最近になって突然出てきたわけじゃないんだ」
あおいは、古い国会会議録を開いた。
2003年。
先ほどの広告を問われた小林興起財務副大臣は、預り金的な性格という説明をしながら、広告については、あまりよい広告ではないという趣旨の応答をしている。
「じゃあ、その頃から“的”がいたのね」
「うん」
さらに、2025年4月18日の国会。
財務省は、法律上預かった金銭ではないことと、納税まで消費税相当額が事業者の手元にとどまることを区別して、預り金的性格を説明している。
みおは紙を見た。
「預り金ではない」
次の紙を見る。
「でも、預り金的性格」
「法律上の扱いと、性格を説明する比喩を分けているんだね」
「……説明されたら、区別は分かるわ」
「うん」
「でも、ポスターを見たとき、そんなふうに分けて読んだ?」
あおいは、買い物かごのポスターへ目を向けた。
みおも、その文字を見つめる。
それを預かる人。
「私は普通に、お店が私の税金を預かってるんだと思ったわ」
4.今度は「受け取った」
机の上には、古い言葉が並んでいた。
みおはスマートフォンを手に取った。
「じゃあ、今の説明を見ればいいのよね」
国税庁のインボイス制度のページを開く。
そこでは、納付税額の計算が、次の言葉で説明されていた。
売上げ時に受け取った消費税額
そこから、
仕入れ等の際に支払った消費税額
を差し引く。
「……受け取った」
みおが呟く。
「今度は、“預かった”じゃないのね」
「そうだね」
「でも、受け取ったのは――消費税額」
みおは、画面とポスターを交互に見た。
「買う人が消費税額を支払って、お店がその消費税額を受け取る」
「そういう受払いの言葉で説明しているね」
「そして昔は、それを“預かった”と説明していた」
「うん」
みおは二つの言葉を見比べた。
「……じゃあ」
少しだけ声を落とす。
「“預かった”を“受け取った”に変えて、何が変わったの?」
5.一枚ずつなら、分かる
あおいは、机の端に散らばった紙を整えた。
「ここは、一度だけ分けよう」
「何を?」
「誰が負担することを予定している税なのか。誰が法律上納めるのか。そして、買い物で払うお金をどう説明するのか」
消費者への価格転嫁を予定する説明。
事業者の納税義務についての説明。
代金の受払いを使った計算の説明。
これらは、同じ制度の違う面を扱っている。政府も、法律上の観点と経済的な観点を区別して説明している。
「だから、違う言葉があるだけで、直ちに矛盾になるわけではないんだ」
「うん」
みおはうなずいた。
「そこは分かった」
一枚ずつなら、読める。
説明を聞けば、区別もできる。
けれど。
みおは、もう一度四枚を見渡した。
「でも、全部を同じ買い物の話として読むと……」
言葉が止まった。
預かる。
受け取る。
払う。
納める。
預り金的性格。
法律上の預り金ではない。
どこで、説明の見方が切り替わったのだろう。
みおは、机の中央を見つめた。
「……私、ずっと同じ意味だと思って読んでた」
6.鏡が回る
黒い羽根が、一枚落ちた。
みおの指先の、すぐ横へ。
「……え?」
紙の上に、細い影が走る。
何もない空間に亀裂が入り、鏡の縁が現れた。
その向こうに、赤い瞳があった。
「また……」
みおが椅子を引く。
反転の悪魔は、みおを見なかった。
机に並んだ言葉だけを見ていた。
細い指が、鏡に触れる。
それを預かる人。
鏡が回る。
いわば預り金。
もう一度。
預り金的性格。
さらに。
受け取った消費税額。
そして、別の面。
法律上の預り金ではない。
「……同じ消費税なのよね」
返事はなかった。
鏡の中で、文字が重なる。
消えるのではない。
前の文字が薄く残ったまま、次の文字が映っていた。
反転の悪魔が口を開いた。
「言葉を重ねれば重ねるほど――」
感情のない声だった。
「同じものを見ているはずなのに、輪郭だけが曖昧になっていく」
みおは鏡を指した。
「それが、預り金万華鏡ってこと!?」
反転の悪魔は、何も答えなかった。
ただ、手の中の鏡を。
無造作に、くるくると回した。
7.怪異《預り金万華鏡》
一枚の鏡には、消費者がいる。
別の鏡には、納税する事業者がいる。
さらに別の鏡には、受け取った金額と支払った金額がある。
一つずつなら、景色は整っていた。
けれど、重ねた途端に、みおは立つ場所を見失った。
消費者として読めばいいのか。
事業者として読めばいいのか。
法律の言葉なのか。
比喩なのか。
「……どれを見ればいいのよ」
反転の悪魔は答えなかった。
救うつもりも、困らせるつもりもないようだった。
ただ、見えているものを映している。
やがて、鏡が止まった。
一つの面が、正面を向いたのではない。
小さな鏡が扇のように開き、全部の言葉が同時に見えた。
みおは息を止めた。
「あ……」
同じ言葉だと思っていたものが、同じではない。
違う説明だと思っていたものが、同じ制度を指している。
一枚ずつなら、分かる。
全部並べると、分からなくなる。
それが、みおの見た《預り金万華鏡》だった。

8.反転の悪魔は、何も変えていない
「あなたが、やったの?」
みおが尋ねた。
赤い瞳が、わずかに動く。
「何を」
「分からなくしたの」
反転の悪魔は、鏡に指を添えた。
「私は何も変えていないわ」
古いポスター。
国会会議録。
現在の説明。
そこにある言葉は、彼女が作ったものではなかった。
「私が見ているものを、あなたにも見せただけ」
それきり、彼女は黙った。
鏡の向こうに、部屋が映っている。
机。
スマートフォン。
四枚のポスター。
そして、それを見ているみお。
何も増えていない。
ただ、別々に見ていたものが、同じ場所にあった。
みおは、ようやく気づいた。
分かったつもりでいたことと、見比べたことは、違う。
「あおい」
「うん」
「これ、言葉の数だけ覚えても駄目なのね」
「そうだね」
「誰に向けて、何を説明している言葉なのかも、見ないと」
あおいがうなずいた。
そのときには、もう鏡はなかった。
机の上に、黒い羽根だけが残っていた。

9.みお、街を見る
翌日。
みおは、あおいと街を歩いていた。
コンビニ。
小さな飲食店。
美容室。
配送車。
いつものスーパー。
昨日と変わらない街だった。
入口でかごを取る。
豆腐を入れる。
卵の値札を見て、少し迷う。
買うつもりだったものを一つ戻し、別の商品を手に取った。
「こっちにするの?」
「うん。今日は、こっちでいい」
レジへ向かう。
店員が商品を通した。
ピッ。
財布からお金を出す。
お釣りとレシートを受け取る。
そこには、いつものように消費税の数字があった。
昨日までは、それで終わっていた。
消費税。
知っている言葉。
分かっているつもりの数字。
でも、今日は違った。
預かる人。
いわば預り金。
預り金的性格。
受け取った消費税額。
法律上の預り金ではない。
みおはレシートを見つめた。
「……名前だけなら、ずっと知ってたのに」
あおいは隣に立っていた。
「うん」
「知ってる言葉が増えたのに、簡単には分からなくなっちゃった」
「たぶん」
あおいは言った。
「今まで通り過ぎていたところで、立ち止まったんだよ」
みおは、レシートを折りたたんだ。
店員は、次の客の商品を通している。
その人にも買い物の予算があり、帰る家がある。
レジの向こうの人にも、仕事と暮らしがある。
言葉をどう呼ぶにせよ、ここで動いているのは、その人たちのお金だった。
みおは買い物袋を持ち直した。
街は何も変わっていなかった。
ただ、見る側だけが変わっていた。
背中で、また音がした。
ピッ。
その音は今日も、誰かの生活を削る音だった。

史料・画像について
本稿は、消費税に関する広報・制度説明の言葉を比較した創作です。みお・あおい・反転の悪魔の会話は創作であり、公人の実際の発言とは区別しています。
《預り金万華鏡》は本稿独自の比喩です。表現の違いだけをもって、法的な矛盾や意図的な欺瞞を証明するものではありません。また、広告の滞納防止という趣旨と、免税制度の適用とは別の問題です。
《ポスター四兄妹》は本稿内の展示上の呼称です。四枚の直接的な系譜や、判決を原因とする表現変更を確定したものではありません。
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