荒川修作+マドリン・ギンズの著作をPCに打ち込みながら、脳内空間に坂と穴と凸凹道を作る -ガンバレ、場所細胞・格子細胞・頭頂連合野 !!-
ここ《養老天命反転地》は、藤井さんの使われる「空間・時間」の意味でできるだけ具体的にデモンストレーションするところでもあるのです。つまり、「もの」より「こと」の世界の問題ですね。だから、ここでは出来事を起こさせる条件、そして、その条件をまとめているであろう、特別なフィールド・・・・・・その環境自身との関係で「時空」といわれている現象を生みだしたり、殺したり、消したりする発生容器 (フィールド) だと・・・・・・少しコミカルに言えば、たくさんの「お化け」を発生させ、その「お化け」と同じ位置に、私等もいるんだということを知ること (笑)。しかも、この世界で、このフィールドを1人ひとり、個人的に知らない限り、新しい倫理をつくり上げることは不可能でしょう。だから、まずそうした環境のもっとも簡略化されたミニチュアである《養老天命反転地》でそれを体験する。そうやって実証が先にあれば、建設はあとからついてくると私は信じています。
そして、どのような状態から発生してくるのか、同時にここで経験させるためには、2つ以上の「似たもの」がどうしても必要になってくるんです。「新しいジオメトリー」の発見に向かっているのです。なぜなら、精神とか心といわれていた現象が価値をなくしてしまったからです。それが、お化けなんです。藤井さんは、それをパッサージュといわれているんじゃないですか。
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『千のプラトー』の「落書き」も第3プラトー「紀元前10000年----道徳の地質学(地球はおのれを何と心得るか)」まで巻き込まれてみて、渦巻き世界に対する悪い意味での慣れが出てきたような気がしてきた。ので、ちょっとひと休みして今回は久しぶりに「由無し事」を書いてリフレッシュを図りたい。
とはいえ、第3プラトー後半のホラー小説風の展開には何度読んでも引き込まれるのは確かである。というのも、多様体世界へ分子レベルで変態し、液状化していくチャレンジャー教授の身体を語る語り手(トリックスター)の言葉は、ホラーというジャンルに興味を持って以来、忌むべき恐怖にどうして引き込まれるのかを考える際に読み返してしまう場面だからである。
そこで、今回はホラーに浸るきっかけになった拙い昔噺から始めたい。
(※ここからはしばし、以前入会していた際の記事を現況に合わせて改稿して流用する。というのも、この過去記事の考え方には明らかに限界がある点を今回指摘したいからである。)
リーマンショックで株式・為替市場にブラックスワンが舞い降りて、下がり続ける数字に不眠の夜がしばらく続いた時期があった。FX取引を始めてから、初めて恐怖の大王が舞い降りた時だった。「たかが数字だ」と思っても、その数字は自分の資産を表している。身を削られるように感じる。この恐怖はどうにかならないのか、と相場系の心理学本を読んでも、動揺を他の経験者の言葉で慰めることは難しいことが分かっただけだった。
けっこうな授業料を支払って、ストレスフルな時期が少しずつ落ち着いてくると、パニックになっていた自分を振り返ることができるようになった。これってホラー映画やホラーゲームの中にいる感じに似ていないか? そう思って自分の記憶だけでなく、投資に関する体験談をいくつか再読すると、恐怖にさらされる側の言葉が、恐怖の片側だけしか語っていないことに気づく。
では、恐怖を与える側は恐怖をどう捉え、どう操作しているんだろう? そんなことが気になり始めた。そうして、恐怖をテーマとする情報が濃縮されたホラー映画や小説にたどり着いた。ホラー小説家やホラー映画の脚本家の話を読むと、恐怖を道具として操る側は、むしろ恐怖を操ることを楽しんでいることがわかった。なるほど、作り手目線で恐怖と付き合うのもアリだな。そう思って、恐怖の操り方を恐怖の中で考えるために、ホラー映画で擬似体験してみることにした、
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ホラーを浴びるように観たのは2010年くらいまでである。最近は観なくなった。というのも、耐性がついたからである。怖いと思ってもその後短い時間で立ち直るようになったというべきか。ホラーをさまざまなパターンのモジュールとして見るようになってから、怖さを予想して先回りするのが習慣になったのである。ザッとだが、以下のようなパターンを抽出したことを覚えている、、、
・主人公とその周りの人は恐怖に対して無知である。(が、耐性はある。)
・冒頭の場面に出てくる中高大学生のグループや仲良しカップルはほぼ死ぬ。
・恐怖の場所の鍵は必ず開いていて、人が入ると自然に閉まって出られない。
・バスルームやキッチン、トイレのような水場や地下室、屋根裏に行くと襲われる。
・集合写真で顔が切り取られ、歪み、傷つけられなどしている人は、死んでいるかこれから死ぬ。
・白い服を着ている女性は死ぬか、すでに死んでいる。
(男性はどんな服を着ていても死ぬ。)
・襲う側の女性(幽霊)のヘアスタイルはロングヘアである。
(襲う側の男性のヘアに統一性はなさそうだ。)
・エレベータは一人で乗ると死ぬ。(集団で乗ると死なない。)
・大事にしている人形には悪霊が宿りやすい。
・鏡、電話(ケータイ、スマホ)、TVは異界と繋がっている。
・ゾンビは噛むことで増殖するが、幽霊は噛まないので増殖しない。
・襲ってくる側(悪魔、悪霊、妖怪、鬼、幽霊)にも文化に沿った序列がある。
・緑っぽいフィルタを通した画面は水のシーンで怖がらせる。
・赤っぽいものが多い画面は血のシーンで怖わがらせる。
・暗い画面では音響効果が恐怖の対象をイメージさせる。
・場所にまつわる恐怖では、その場所から逃げる/逃げられないと物語も終わりになる。
・感染する恐怖では、拡散によって逃げ場がなくなり、終わりが見えなくなる。
・感染と拡散の恐怖の場合は、中高生がすでに噂をして広まっている。
etc.
ホラー作品を読みながら、または鑑賞しながら、これらのパターンをこの後紹介する4つの大枠(マトリックス)に分類し、恐怖スポットや恐怖アイテム等の小枠にカテゴリー分類しながら次のホラーを観ていくことを続ける。すると、屋根裏に呼び寄せられるような主人公を観ると、「そこはまずいから行くな」と思うよりも、「どうなってるか観たいから早く行け」とせき立てるようになった。怖さよりも作りのうまさに目が行くホラー映画の主人公がいたらホラーにならないな、と思いながら笑うこともあった。
このやり方は学部時代にカナダ人の留学生と割り箸について調べた際に採用したものとほぼ同じだ。(以下の過去記事を参照。) 日本の落語を研究しに来た彼は怪談噺が特に好きだった。今思えば、日本的な恐怖の演出についてカナダ人目線から様々な質問が飛んできた当時を自分がホラーの世界に入り込んだような時期に思い出したのだろう。埃を被ったパターン認知の方法を無自覚に再演していたのである。
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上のような分類をしている最中、いい作りだなと思った作品は映画版『リング』(1998)だった。カナダ人の留学生が小説版で特に好きだった作品だ。公開当時、さほど怖いとは思わなかったが、何か残るものがあった。上のような分類をした後あらためて観ると、多くの項目がうまく配置されていることに気づいた。確かに、この映画の脚本を担当した小説版の作者鈴木光司氏はホラー作品を書くときは全然怖くないとどこかで語っていたことを思い出した。作り手側をシミュレートして観ると、このホラーは「上手い」作品だという感想が浮かんだ。
・冒頭に出てくる女子高生の一人(主人公の姪)はキッチンで死に、もう一人は狂う。
・集合写真の楽しげなメンバーの顔が歪んで写り、全員が死ぬ。
・主人公がどんどん水の場に近づいていく(東京都内から伊豆大島へ)。
・呪いのビデオを見終わるとすぐ、あちらの世界から電話がくる。
・呪いのビデオに出てくる貞子の母千鶴子は鏡を見て長い髪を梳いている。
・貞子は水底(井戸)から這い上がり、TV画面から出てくる。
・貞子は髪が長く白い服を着ている。
・最後の場面で、中高生が呪いのビデオを回避する方法について噂をしている。
恐怖スポットとしての水場、恐怖アイテムとしての写真、鏡、電話、TVという異界へのメディウム、恐怖ファッションとしてのロングヘアと白い服・・・。けっこう揃い踏みなのだ。が、『リング』が「上手い」と思うのは、そこにとどまらない。感心したのは、それらの項目を使って90年代末にはまだなかったストーリー展開を作り出したと思ったからである。
それは「最後の場面で、中高生が呪いのビデオを回避する方法について噂をしている」というところに現れる。このホラーは、ある事件が起きた場所に関わる者が死ぬという昔ながらのホラーではないことを、女の子たち(音声のみで登場)が語るからだ。彼女らは、呪いのビデオを見てしまったら、死を予告された一週間の間に他の人にダビングして見せれば死ななくてすむ、という。
死にたくないという気持ちがコピーを促し、コピーが無関係な人の手に渡り、拡散させ、場所も人も無関係に恐怖が拡大していく。インターネットがまだ普及して間もない当時としては、場所も人も選ばない拡散する恐怖は、新しい恐怖に見えた。この恐怖を昔からある場所に関わる恐怖と区別して、従来の場所に関わる恐怖を「古典的恐怖」、新しい拡散の恐怖を「現代的恐怖」としてラベリングしてひとまず分類することにした。マトリックスを作ると、以下のようになる。
A.「古典的恐怖」・・・場所に限定された恐怖/ローカル(局地的)/収束
B.「現代的恐怖」・・・場所に限定されない恐怖/グローバル(非局地的)/拡散
映画版『リング』は、伊豆という場所に貞子の恨みを鎮めるという「古典的恐怖」のパターンで終わったと主人公たちが思い込むと、それを裏切るようなエピソードを付け加える。そうして、コピーされた呪いのビデオが拡散していく「現代的恐怖」にシフトするのである。
(ちなみに「古典的恐怖」と名付けたのはジョーゼフ・キャンベルが古代の神話や英雄物語に見出した「出発-冒険-帰還」の物語構造をある「場所」に迷い込んで逃げ出すというパターンに当てはめることができたからだった。)
「古典的恐怖」での終焉の失敗から「現代的恐怖」に移るという『リング』のストーリーは、『着信アリ』(2003)に換骨奪胎されて、さらに拡散速度を増してその範囲を広げていく。『リング』と『着信アリ』は各シーンの配置から配置までほぼ類似している。違うのは、ビデオテープが携帯電話に置き換わった点だ。人の手から人の手へコピーされたビデオの手渡しでの拡散が、携帯電話内の「電話帳」から機械的に通信ネットワークに繋がって拡散するからである。
『着信アリ』ではまだ留守番電話が恐怖を、携帯電話内の「電話帳」が恐怖の拡散を担う役割だった。が、インターネット上でのSNSでの拡散までもう一歩である。「現代的恐怖」はネットワークが拡大しやすい恐怖である。逆に言えば「古典的恐怖」もネットワークが拡大しにくい限定的な恐怖と捉え直されるのである。(特定の場所からネットワークへと恐怖が「脱領土化」するのだ。)
ブロードバンド化に伴って、ネットワークに容易にアクセス可能なデバイスが身の回りに増えていくほど、この恐怖を扱う物語が量産され始めたのは確かだ。その合間に昔ながらの恐怖を織り交ぜて、ホラーは生き延びていくのだろう、と当時帰国したカナダ人とメールでやりとりしたことを思い出す。
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カナダ人に勧められて、『リング』と同じストーリーパターンかどうかを確認するためにハリウッド版『ザ・リング』(2002)を視聴した。日本版を丁寧に踏襲しているのにどこか違う。日本版『リング』が、日本の歴史上で起こった千里眼・念写事件を元に作られているので、歴史的な背景が違うのは当然だろう。貞子に相当するサマラが恨みを抱く背景には、当時日本のホラーでも見られるドメスティック・バイオレンスが原因となっている(この映画では里親からのDV)。
最後の場面で、主人公の元夫たちが貞子/サマラに睨まれて死ぬシーンがある。日本版では井戸から出てくる貞子の白い服は汚れもなく幽霊のようだ。が、同様に、井戸から出てくるサマラは汚れてボロボロの服で、ゾンビのように腐ったような肌をしている。そして襲われる主人公の元夫は、わざわざガラスが割れて手を傷つけて血を流した後に、呪いのこもったサマラの凝視によって死ぬのである。
主に欧米で製作されるホラーが、血やその色である赤を画面いっぱいに演出する傾向があるのは知っていた(スプラッタ映画というジャンルがある)。一方、日本で製作されるホラーは、主に水や濁った水のような緑っぽい色を画面に出すことが恐怖のサインだったことに気づく。貞子が沈められた水の色は濁った水の色だった。
動物と共に暮らす遊牧・牧畜文化が感染の恐れから血の不純を恐怖で彩るのに対し、農耕中心の文化は水害や飢饉を連想させる水の不浄で恐怖を彩るのかもしれない。その奥をじっと見ると、古来から死の恐怖をコントロールしてきた教会や寺社の宗教的権力が垣間見える。この違いをさらに先述したマトリックスに加えて、さらに仮のラベリングを施してみる。ちなみに「日本/西洋」という対立項は、うまくフィットしているとは思えないが、当時カナダ人の友人が用いた区別をそのまま踏襲している。
C.「日本的恐怖」・・・水のシーンで怖がらせる脚色/浄・不浄の価値観/仏教,神道的/農耕文化的
D.「西洋的恐怖」・・・血のシーンで怖がらせる脚色/純・不純の価値観/キリスト教的/遊牧文化的
前出のA「古典的恐怖」とB「現代的恐怖」に時間軸に沿ったおおよその区別、そしてC「日本的恐怖」とD「西洋的恐怖」は地理空間に沿ったおおよその区別という感じで座標化する。もちろん、これらは経験から引き出されたものである。ので、ラベルは仮のものであり、区別もザックリしたものに過ぎない。が、「不要な恐怖を減らす」という当初の目的からすれば、この程度で十分だった。マトリックスができればそれに合わせて恐怖に対処し、例外が出たら組み替えたり作り直せばいい。
当時のメールでの往復の中で、私もカナダ人も理論化する気はなかった。この恐怖の対処はあくまでホラー的な物語内に限定されることを十分意識していたからである。例外的事態が恐怖を引き起こすとすれば、パターンの抽出は常に事態が生じた後の遅ればせの対処に過ぎないのだから。
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ともあれ、このマトリックスで作り手側が恐怖を道具として扱うことをシミュレートすることができた。一方、恐怖を与えられる受け手の側がどう扱われているのかという点も見えてきた。『リング』の物語の下地となった1900-1910年代を騒がせた千里眼・念写事件を調べてみると、恐怖のキャラクターの作られ方の背景が見えるようである。
日清・日露の戦争で新聞に関する技術が発達し、ドット印刷で写真も新聞上に掲載できるようになると、写真は事実を写したものという通念が強化される。写真技術が不安定な時期はあちらの世界も写すかに思われた写真は、同じ世界の離れた場所で起こった過去の事実を表すように思われ始めた。この戦争の写真は中国で日本軍とロシア軍の戦争を伝えているというように。
そんな時期に、自分の念を写真の像に写せる者が現れたら、ジャーナリズムや国家の信用は失われかねない。実際、超心理学的な研究をした東大助教授福来友吉と彼の実験に参加した御船千鶴子、長尾郁子はバッシングされ、その後の高橋貞子らはオカルティズムとして退けられる。
福来を貞子の父、御船千鶴子を母、高橋貞子の名がつけられた貞子に始まる呪いの拡散の背景には、権力側の徹底した迫害がある。ホラーの作り手側に立つと、もしかしたら虐げられる者たちを反転させて加害者として描き、突き放そうとする権力側の教育物語が見えてくるように思えた。確かに、ホラー小説の源流と言われるイギリスのゴシック小説は、産業革命で土地を失った者たちが亡霊となって新たに土地に住むことになる者たちに恐怖を与えるという話があった。
産業革命以後のイギリスの資本主義の発展を書いたカール・マルクス『資本論』は、ゴシック小説っぽいレトリックが散りばめられている。マルクスを通してゴシック小説を読むと、亡霊たちは農奴や土地から追いやられた者、追いやったのは資本家や貴族ということになる。そして文字を駆使できる追いやった者たちがゴシック小説を後世に残した。
安価なDietz版で昔ドイツ語でこの本を読んだ時ふと、資本に関する修辞がホラーっぽいな、と専門域には素人ながら思ったことがある。(引用は日経BP版から)
貨幣が「生まれつきの血痕を頬につけて世に出てくる」ものであれば、資本は頭のてっぺんからあの先までのあらゆる毛穴から、血と脂を滴らせながらこの世に生まれてくるのである。
貨幣は王族の横顔がデザインされているが、彼らは民衆の血を絞るようにしてその家系を保ってきた。同様に資本家も全身民衆の血を滴らせた資本を蓄積する、というのである。血で怖がらせる「西洋的恐怖」に分類したくなる記述だ。この文が含まれる24章は「いわゆる原初的蓄積について」とタイトルされている。
『資本論』の仏語版序文では「原初的蓄積」について、交換から始まる古典派経済学を揶揄するエピソードがあったように記憶している。先生が生徒に、「あなたはなんでお金持ちなの?」という問いと、生徒が「お父さんがお金持ちだから」答える。「じゃあお父さんはなぜお金持ちなの?」「おじいさんは?」と先生が遡りながら質問すると、生徒は最後に「奪ったから」と答えて終わるお話だ。
産業革命時に行われたエンクロージャー(囲い込み運動)によって土地が奪われる側を際立たせ、奪った側が資本を「原初的」に「蓄積」して資本主義が回り始めたことを垣間見せるエピソードなのだろう。経済は暴力にはじまるという主張を読むうちに、「資本」という言葉が恐怖という言葉に二重写しされる。そうして、奪う者が被害者となり奪われた者が加害者となってホラー小説の原型が作られるように思えてくる。
振り返ると、資本家と労働者のように、恐怖に関しては作り手(作者、製作者)と受け手(読者、観客)にも極端な格差があるということにも思い至る。作り手だから怖くないという作者の言葉は、ホラー作品が恐怖を与える者と与えられる者の極端な不均衡という前提に立って語られていたのかもしれない。
確かに、感染と拡散で資本を増殖させる「現代的恐怖」に覆われた現在では、資本と恐怖はウェブ世界でも実世界でも見分けづらい双子のように見えていた(今も変わらないが)。ともあれ当時は、不要な恐怖が土地を整地してフラットにし、サイバー空間にまでそのノッペリした時空を広げたからこそ効果が発揮できる、ということを知ることができればそれで十分だったのである。
(※過去記事の改稿部分はここまでで。)
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さて、恐怖という毒を少し飲んで、生命の恐怖に対処するためのホルミシス効果は、明らかに限定的である。確かに、マスメディア的な恐怖の演出に、このパターンは応用できるところもあるだろう。が、地震や気候変動から起きる自然災害が突発的に出現する例外的恐怖については、どんなにパターンを予測しても近似することすらできない。というのも、ホラーのように恐怖の作り手を指定することなどできないからである。
とはいえ、パターンを知ったことで、身の丈に起こる恐怖は常に例外的であり想定外であって、むしろ、ホラー的恐怖のパターン化作業が自分の身の丈の恐怖とは別ものとして区別でき、身の丈の恐怖をどうすべきか? という課題に目を向けることができるようになった。身の丈の恐怖にどう対処するかという課題は、リーマンショック後、3.11からコロナ禍を経て、ますます切迫していた。
そこで、長い間、荒川さんから禁じられていたことを破った。2010年、この世界に荒川さんと呼ばれていた身体が偏在(世俗的には「死去」と呼ばれる)していたのもあった。そして、3.11後、被災した出身地を自分の天命反転地として考えるようになった、という経緯もあった。
出会ってすぐ、唐突に「君はボクの作品だけを体験するんだ。ボクが書いた文字は読むな。」と言われ、どういうわけかそれを掟のように守り続けてきた。もちろん、荒川さんに会いにフェアモント・ホテルに行った時や催された講演では生の言葉を何度も聞いた。図録にある文章をつい読むこともあった。が、できるだけ作品に描かれた単語と下に添えられたキャプション以外は読まないように努めた。それを破ったのである。(読まないと決めたものの、本棚の奥には出版された著書や対談を収めた書物が図録も含めて50冊以上になっていた。)
それだから、たとえば、ノーム・チョムスキーの言語観で、イネート・アイディアとイネート・ファンクションというのがありますね。もしイネート・アイディアを彼の言うようにとるなら、何も言わなくてもよかったはずです。イネート・ファンクションの、赤ちゃんの例について言えば、あの泣き声は全然違った意味があるんですよ。ぼくらは否でも応でも、イネート・ファンクションをとらなくちゃならない立場をとってきた。そうすると、恐怖がつくられる。恐怖があったのではなくて、この世界に、恐怖はつくられつつあるわけ、肉体に向かって。それに対してどうするかを言うためには、似ていなくてもいいし、アフィニティもなくてもいいけれど、それと同等な恐怖をわれわれ自身でつくり上げるほかはない。そうしないかぎり、その恐怖がどこから発生したか、いわゆる自然とは何かということもわからない。それでいま、まったく新しいモデルの発生が始まりつつあるということは、真に人工的につくり上げた恐怖によって自然をつくり上げつつあるということでもあるんです。エドガー・アラン・ポーは、それをやろうとした先駆者です。それにどこまで近づけるかという試みをやったのです。環境、雰囲気、それはまだ自然の一部です。だけど、「私」も入れての自然と、「私」を入れない自然とに、小林[康夫]さんがさっき言われた違いがあるのではなくて、「私」が入れてある思想と、「私」がいつも外側にいる思想とがある、ということですよ。
上の引用を読んで、恐怖が反転するような感覚が不意に起こったと言えばまったくのウソになる。何度も読んでいるうちにそんな感覚に開かれるようになってきたというのが正直なところだ。何度も読み返す中で、作品を体験してきた身体の経験値と呼びたいような、運動感覚に触発されたイメージ群が作動するのをふと感じることがあった。そうして上の一節に何度目かに出会った後、ホラー作品の恐怖の分類作業と荒川さんの言葉が、かすかだが、リンクしたような感覚が湧き起こったのである。
「生得的観念」(イネート・アイディア)と「生得的機能」(イネート・ファンクション)というのは、幼児の言語習得の驚くべき迅速さから、これまで通り赤ん坊がまっさらな白紙のような状態から知識を得ていくと学習速度はもっとゆっくりしたものになる、と考えたチョムスキーが、この迅速さが可能になるには、学習以前つまり生まれながらの知識(観念)とそれを機能させる能力があるのではないか、と仮説した際の主要な2つの考えを指す。一般にチョムスキーの「普遍文法」(UG)は「生得的機能」にあたる。いわゆる「言語器官」が存在するという仮説だ。
(※チョムスキーの著作では未邦訳の「Rules and Representations」があるが、邦訳では以下の入門書がわかりやすい。)
「生得的機能」(イネート・ファンクション)としての言語というチョムスキーの仮説から、荒川修作は「恐怖は作られつつある、肉体に向かって」と解釈する。チョムスキーが初期の有限オートマトン構造と関係していることを考え合わせると、荒川の指摘はとても興味深い。言語習得をアルゴリズムと捉えれば生得的観念をコード、生得的機能をプログラムと置き換えるような解釈もできるだろうからだ。
もちろん生成文法の構想時点ではコンピュータ同士がインターネットでアクセスできるという考えはなかっただろう。が、チョムスキーの仮説をインターネット時以後の時代で拡大解釈してみると、生得的な観念と機能がセットされれば、ハッキングやサイバー攻撃に晒される可能性を伴う構造を人間自身が引き受けることになる。そんなことをセキュリティ部門で実務をしていた時に上の引用を読んでふと思いついたのである。(こちらの勝手な解釈だが。)
その勢いでさらに注目したのは、荒川が「肉体に向けて」とわざわざ付け加えている点である。複雑な肉体の構成をアルゴリズムの単純な計算過程が線状化・平坦化すると、外部からの攻撃も一気に波及しやすくなるというイメージが出てくるからである。このSF的イメージは、人間の体内もコンピュータ・システム化された世界で、そのセキュリティー・ホールを突くウィルスが侵入すると崩壊が訪れるという伊藤計劃の作品が二重写しされて出てきた。(特に『虐殺器官』はチョムスキーの「言語器官」仮説をベースにしていたので。)
そんな稚拙なリンケージではあったのだが、荒川が「恐怖は作られつつある」と進行形で語っていた点では身に迫るものがあった。実際、2000年代にネットワークがデスクトップからウェアラブルになって、チョムスキーの「樹木状」の領土化(『千のプラトー』)が自らの身に起こっているという切迫感があったからである。(上の引用での荒川の発言は90年代であり、当時はSF以外で体内に埋め込まれるナノ・コンピュータのイメージはまだ広まっていなかった記憶はある。)
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もしも荒川の言う「赤ん坊」の「泣き声」が、この世界に生まれたことへの恐怖から発せられたとするなら、それは肉体の複雑さを平坦にして自らの権力を隅々にまで領土化する言語の権力が「作りつつある」恐怖に対する赤ん坊の肉体の泣き叫び声だったのかもしれない。そう考えると、成長して社会生活を営む私が言葉を発するごとにこの叫び声を周縁に追いやってしまっているのだとしたら、ホラー作品の数々に感じる恐怖は、その複雑さを奪われた肉体が周縁に棲む異形のものたちに形を変えて訴えかけていたように思えてくる。
そんなふうに考え直してみると、リーマンショック後、恐怖をパターン化しようとした自分の行いが、さらに恐怖に脆弱なシステムを自らの身体が属する世界に作り出してしまう可能性があったことに思い至った。コードを作り、そのプログラムが実行可能なほど、この肉体を含む世界は作られてはいない。そんな思いが一方にあって、ホラー作品群やマスメディアに見られる恐怖の作り方を自らの身体が属する世界に安易に転用しないよう思いとどまらせてくれたのだろう。
おそらく恐怖は死への恐怖に収束するのだろう。ホラーのパターン化に勤しんでいた時期にも、それらパターンが宗教的なものに辿り着くことからそんなことが出てきたことは覚えている。だが、その恐怖が本能的なものではなく、「作られつつある」という方向に舵を切ることはなかった。否、作られたものだということはわかっていた、人間が作った作品なのだから、と思い込むことで。そうして、現実世界の恐怖もまた作られているかどうかと考えることを放置していたのである。
世界を分割し対象化する言語的思考がもたらす恐怖が作られている、ということだけを荒川が言っていたのなら、恐怖に密接な死に抗う「死なないために」という言葉を主張し続けることもなかったはずだ、と思うようになってきたのは最近である。死ななければ恐怖はない、または恐怖がなければ死なないというようなことを荒川は考えていたのではないか? 文字として残った荒川の言葉をたどりながらそう考えるようになった。
この妄想は、泣き声を上げる赤ん坊が生まれても泣かないような肉体の状態があるとしたら? と考えると出てくる方向にも伸びていった。そんな不可能な状況が出てきたとしたら、肉体は恐怖を知らないと同時に死も知らないのではないか? 否、知らないと言うよりもないのではないのか? 死と恐怖は、言語的な知が肉体を分割し、生を操作してきた権力が張り巡らした意識という閉域の閾に過ぎないのではないか?というように。。。
この妄想については言わずにおく方がいい、と思った。が、ふとしたことでその感覚が湧き出ることがある。古代遺跡、教会、寺社仏閣のような死と生を繋ぐような宗教的な場に入り込むと、ここは死なないための入り口なのではないか?と思い始めている自分が出てくるようになった。建築と死/不死の関係を改めて考えるようになった時、以下の引用部分を読み返してみるようになったのである。
あなたも言われた通り、レオナルドは晩年も水の流れの現象を研究し、相当の量のスケッチも残しています。波のうねりの渦巻くデッサンなどは、たしかに普通の状態ではありませんね。どうしてあれほど自然の動きや現象を観察し、研究したのでしょう。私の考えでは、レオナルドは有機体についての構築を、「類似」と「似ている」から始めたようです。「生命」についてはいまだ、私たちは何も知りませんからね。(笑) 無限に生きようとしたレオナルドは、亡くなる前に、アンボワーズで、フランソワ一世に、1センチ幅で長さ10センチくらいの小さなものまで (運河) から、10メートル幅で長さ50メートルぐらいあるものまでを、人間の細胞のように建設し、その上に街を立て、運河をコントロールすることによって、家が上がったり下がったりするから、それを見た時には、「レオナルド」と呼んでください、と言い残して消えていったようですね。(笑) いずれにしても、質量を明確に測れる水から質量の測れないエナジーをつくり、その使用のしかたで、「レオナルド」という「生」を、その場所に託そうとしたようです。
ダ・ヴィンチがこのような言葉を残したのかは確認していない。だが、荒川が建築に死/不死を重ねていることは初読の際にも理解はできた。そして、死/不死が、古来からの肉体の可滅/魂の不滅に関するものでも、近代になって主流となった意識の消失という考えに関わるものでもない、ということも。ただ何度も読むと、「何か」というようにイメージするような、人間側に都合よく対象として掴まえられるものでもないのだろうと想像するようになる。すると、ダ・ヴィンチが「類似」によって「生命」に接近したと荒川が言っていることがようやく腑に落ちるようになった。(冒頭のエピグラフの最後にも間接的な「相似」の重要性が力説されている。)
間接的な手続きを厳密にしていくことが「生命」への近道のようなのだ。「急がば回れ」のその回り方自身を試行錯誤する。そんな過程はどこか直線のひらけた道よりも凸凹や坂や獣道、あるいは道にならない場を進むようなイメージを思い浮かべるようにこちらに強いて来るかのようだった。そうだった、私は自分の作品を体験せよ、という荒川さんの言葉を定言命令のように反芻していたのだった。じわじわと作品を目で、あるいは身体で歩き続けた身体の記憶がものを言い始めた。そんな感覚が湧き出てきた。
身体の属する時空を建築(作られたもの)として考えてみると、今まで住んでいた都市や建築物がずいぶん四角くて直線が多くて平たくできていることに違和感を持つようになる。脳内にも数字で区切られた直線的な時間と平坦な空間が敷き詰められているのを意識するようになる。突発的な出来事が起こって怒ったり戸惑ったりする時、この時空が乱れて歪んでいることを意識するようになる。過去と未来、始まりと終わりを区切りやすく、戻ったり先取りしやすい時空になっているのである。終わりとしての死をセットした時間とそれに近いていくことが容易な平坦な空間に囲まれているのだ。
それなら、その歪んで乱れた時空はどんなふうになっているのだろうか? ちょっとそこに留まってみることがあった。東日本大震災で区切りやすいこの時空が崩壊し、見分けのつかない凸凹になってしばらく後も、脳内にこの時空が残っていることがわかったからである。時間は進んでいるのに2011年3月11日に戻ってしまい、今ここの自分が生きていることを忘れるような状態が続いた(軽度の心的外傷の状態が続いた時、被災した出身地の方を自分の生きる現在にしようと無理やりのように決意したのは以前の「由無し事」に書いたことがある。)
その第一歩として、この乱れて歪んだ時空イメージをダ・ヴィンチの「渦巻き」(確率空間だとピンとこなかったので、層流が乱れる際に生じる乱流のイメージ)にそのつどスイッチングすることを試み、習慣化するようにつとめた。この「渦巻き」イメージが、「D/Gに巻き込まれる」とタイトルされた一連の「落書き」で私が迷い込む渦巻き世界のベースになった(ベルクソンの円錐図を経由するという手続きを取っているが。)。

◆
『千のプラトー』にあらためて注目したのは、この世界を「平滑空間」Espace lisseと「条里空間」Espace striéの「二重鋏み」として捉えていたからだった。この本の邦訳が出て集中して読んだ90年代中盤、荒川修作+マドリン・ギンズ「養老天命反転地」が完成した際に、この本を持って丸一日その凸凹の場で動き回ったことがあったことは以前書いたことがある。帰途、新幹線内でこの本を開くとスラスラ読めるように気づいてから、「平滑空間」が荒川の言う「位相」と重なるようになった。
平坦で分節可能な「条里空間」に慣れ親しんだ身体が分割不能で凸凹だらけの「平滑空間」または「位相」寄りに重心移動したのを身体側から訴えかけられたのだろうか。この感覚が3.11以後、日常においても時折湧き上がり、または一定期間継続するようになったのである。
そうですね。
「極限で似るものの家」が「建築の意味」の歴史で、どこに位置づけられるかということです。ミースのファンズワース邸もル・コルビュジエのサヴォワ邸も「建築の意味」から説明を試みることが必要になってきたと思います。
まともな「建築」の概念がないこの国で、これらについて話し合うことは簡単に出来ることではありません。サヴォワ邸は、近代の合理主義を突き抜けた美学といってもいい。
つまりまだ「美学」というものが最高の価値で、そこに人が住むという条件のもとに構築された建築物なんですね。だからこれは私にとっては、古いタイプの美学、ヘーゲルの美学をそのまま受け継いでつくり上げられたものです。その代表的なものです。使用をとおして思想を具現化した建築ではありませんね。
それに比べるとミースのファーンズワース邸は遙かに遠くに位置しています。この構築物は人間の身体や行為などをまず対象としていないということ、もちろん美学的なところはル・コルビュジエに似ていますが・・・・・・。家の形をしているけれど、人を入れることはできても、楽しく生活のできる場所、環境ではありませんね。
そこには彼が考え続けていたこと、つまりこのどうしようもなく透明でわからない「空間」とか「時間」とかいう現象を人間の規模で考えてなんとか出来ないかという、根源的な問いかけがあるように思うんです。人に住んでくれというようなものはまったく見受けられない。それをたまたま家のようにつくり上げてしまったものだから、話がややこしくなる。
もし住むとしたら、私たちが人間の小さな似姿になって、その人間の大きさに空間を住まわせることしかない。永久に非人称であるはずの人間の大きさというものを、この地球のなかに収めてしまおうとしたのだから、ル・コルビュジエのサヴォワ邸からは遙かに極北に動いていたと思うんですね。まさに近代建築が始まった第一歩と言える。
上の引用でのヘーゲルは、弁証法によって論理に運動をもたらしたにもかかわらず、まだ目的論と終末論を保持している、という点で批判されている。18世紀の人間の時代に出てきた西洋の「美学」(元々は「身体の学」の意,Aesthetics)は、この終末論にまで引き延ばされた時間と空間をそのまま採用し、そこに人間を置くことをその本質とすると荒川は考えているようだ。
この時空概念をそのまま採用した建築として、人間を建築単位にした「モデュロール」によって建築物を近代的に構築しようとしたル・コルビュジエのサヴォア邸も、「ユニヴァーサル・スペース」(均質空間)をという自らの概念を実現しようと試みたミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸も批判される。『千のプラトー』で「条里空間」と呼ばれた側に過度に偏向する人間中心主義が、生きた人間をそこに封じ込めてしまうことに荒川は抗っている。そんなふうに見える。


「極限で似るものの家」はまさに「養老天命反転地」という「位相」の入り口にある。斜面に建てられたこの「家」は特定の出口や入り口というものがなく、またはたくさんの出入り口があって、ソファやキッチンやベッドも斜めに設置してあり、壁に半分めり込んでいたりする。人はそこを出入りしながら、多少の不安定さの身体に課すようになる。そのようにして「条里空間」から「平滑空間」へと重心移動を促していく場となっているのである。

すると「極限で似るもの」、類似的な思考が働き始めるのだろう。類似によって極限まで接近するのは分割不能な「生命」、死で分割されることのない「生命」だと荒川修作は考えているようだ。近代建築が忌避してきた不安定性を導入すると、西洋人の成人を基準とした人間概念は、ようやく頭を支えるほどの子供の身体を持つことになる。子供になること。。。
『となりのトトロ』のメイちゃんのような童話的世界に入り込んだ身体は、凸凹で分割不能な多様体世界に生きる死なない人間(トランス・ヒューマン)に「極限で似るもの」になるのかもしれない。

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3.11後、建築や都市に「位相」または「平滑空間」を見出すことは容易になった。凸凹や坂のある山に似た場所を見つけると、歩行しながら今起きていることに集中するようにマインドフルネスを始める。海のような流動的な場所なら砂浜に座ったり、水に浮いたりするだけでそれを感じられる。だが、住空間についてはそう簡単ではない。住む場所こそ平坦な空間と直線状の時間のパッケージでできているからだ。加えて、そこで長い時間を過ごす私の脳内もこの近代の時間と空間が敷き詰められている。ノマドのように移動せよと言われても、そう簡単ではない。
そのような住空間にあって、自分の脳内に、「養老天命反転地」へと重心移動させるような「極限で似るものの家」を作れないだろうか?と考えて試行錯誤するようになった。フィジカルスペースをサイバースペース化することが推奨化されるような現在から逆行する妄想に、今も取り憑かれ続けている。そこで仕事の時間を多く占めているサイバースペースを凸凹にすることが効果的だろう、と思いついた。自分の脳内空間を凸凹にするような本を、キーボードを通してゆっくり時間をかけて打ち込み続ける。そんな作業を継続してみることにしたのである。
コロナ禍の最中、ベイトソン『精神の生態学へ』やドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』を全文打ち込んだのは、そのような私的な動機からだった。仕事上、速読を習得してしまった脳内空間は、戸外での活動を制限される状況でのリモートワークで終日サイバースペースに接続されることで、ますます「条里空間」化が強固になった。そんな脳内空間では、この状況がいつまで続くのかという不安が繰り返し吹き上がる。終末論的なこの空間に脳内が支配されていた。モニターに映し出される情報もその複雑なトーン、言葉の語調やコンテクストが意味によって背景に押しやられていく。翻訳なら言語の違いからさらに複雑化するこれらの凸凹を一気に取り払って平坦な意味空間に整列させてしまうのだ。
ところが、打ち込みの速度をある程度遅くすると、文字が凸凹を作るように感じられてくる。息遣いや疲れすら感じるようになる。(打ち込みの速度を落とすためにアルファベット入力を慣れないかな入力に変えたが、これが効果的だった。) サイバースペースを歪めるように凸凹になって蠢いているような文字の群れを打ち込みを続けた。そうしているうちに、そろそろ本丸に入っていく時だろう、とコロナ明けに始めたのが荒川修作+マドリン・ギンズの著作だった。
彼らの2つの主著『建築する身体』、『死ぬのは法律違反です』の凸凹の時空に振り回される度合いは『精神の生態学へ』や『千のプラトー』の比ではなかった。英語原書と対照し、邦訳を校正し、と両著を3度放浪して、少しずつだが、脳内の「条里空間」からシフトするスイッチができてきたような感覚は育ってきた。そうして移住後にマドリン・ギンズが荒川修作とヘレン・ケラーを出会わせるような本、『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』の全文打ち込みを始めたのである。その冒頭は以下のように始まる。まず目線を文字に落とすだけでふと気づく、ヘレンはW・ジェイムズの手紙を直接読むことはないのだな、と。
「要するに、あなたは神からの賜り物だ。もし、そうでないと言う者がいたら、わたしが、そいつの息の根を止めてやる」----ウィリアム・ジェイムズ (ヘレン・ケラーへの手紙)
「目に見えないものと、知覚できないものとか、同じだと思ってはならない」----著者不明 (盲聾者)
あの午後は素敵だった。夕方のすべてを包み込むような雰囲気や、柔軟な幾何学的な配列を含めて。
わたしは確かに1936年7月6日に生まれた。いや1880年の6月27日だったかもしれない。それとも、1941年の11月7日だったのか?
フォームが、その枝角を、ささやかな木々に擦り付ける。もし投影された様々な包みこむものが、信憑性があるかの如くに動かなければ、世界は存在しなくなるだろう。わたしという空。
ヘレン・ケラー。大事なことで決して変化せず、忘れてはならないこと、それはわたしの2つの感覚が、永久に閉じられていること。見ることと聞くことに関しては、わたし----このような条件のもとにあるならば、どのわたしでも----は、いつでもブランクを描く。
これが現状で、これ以外の状況はありえなかっただろう。そもそも、わたしがヘレン・ケラーには絶対にならないように取り計らったような、全面的な状況変化があったら別だが。
つまり、まったく別の状況であったら、わたしがヘレン・ケラーにならなくてもよかったということになる。
同じような条件に制約されるとしたら、他の人もわたしと同じ名前を生きるかもしれない。そして、このわたしの名前と関連づけられている一連の事象と同じようなことを生じさせることで、他のなにものでもない、このわたしという空を創り出すかもしれない。
たとえば、わたし前には、この良い香りをさせながら広がっている精密にして繊細な標本、焼きたてのパンの塊があるが、それが----その全体の大きさや、それを構成しているあらゆるかけらが----わたしには見えないものとしてあることを知ってもらいたい。あなたにとっても、このパンは、この一瞬には、見えないものになっているかもしれない。
実際、わたしの知覚のすべては、他の人たちが「見えない」と考えている領域で生じる。「見えない」という言葉は、視力のある人々の世界からわたしが持ち込んできたものだ。それは、外界を永続性のある映像に形作れるようにと----わたしのため----まるでそんなことがわたしにもできるかのように----他の人たちがわたしに話してくれた、わたしに注入してくれた数々の物語の1つにすぎない (わたしの心に刻み込まれたもののいくつかは、主に記憶、かなり昔の記憶からもたらされたものかもしれない。と言うのはごく幼い頃、生後19ヵ月までは、わたしも目が見えたからである)。
だが、実際はわたしが知覚したもののなかには、本質的に「見えない」ものなどないと思う。視覚のない人々の世界では、あらゆるものが不-可視である。だから、これも見えないとか、あれも見えないとか指摘するのは下らないことだ。視力を持たない人々にとっての「見えない」と言う言葉は、視力のある人々に礼儀正しく (多くのねじれた輪を使った風変わりな構造の) 橋をかける言葉にすぎない。たとえば、うやうやしくお辞儀をしたて言う言葉「さようでございます」のようなものだ。そのような他者の声で語っていないときのわたしは、物事を直に知覚し、自分の能力を最大限に生かし、それをてきぱきと処理できる。
打ち込むと細かいところに気づくようになる。引用した冒頭のページに1ページ前に荒川修作の作品「Infant's Ambit (1987-88) 幼児の周囲」の図版がある。しかもこの図版は原書『Helen Keller or Arakawa』にはない邦訳独自のものである。さらに、邦訳での著者は「マドリン・ギンズ+荒川修作」とあるが原書ではMadeline Ginsの単著となっている。一方、原書の表紙は点字で表示されているが、邦訳は荒川修作の写真にヘレン・ケラーの写真を上から貼り付けて一緒にいるように見せる細工をあらわにした加工が施された写真になっている。そんなことに気づく。
細部にこだわる場合、ここが違っているけれどここは同じだという考えを基準とする(同一性と差異)。例えば、この本では各章の1ページ目だけがフォントサイズがやや大きめで2ページ目から小さめになる(英語原書も邦訳版も同様)。この場合、どちらかを基準(同一性)にして大小の比較(差異)が生じている。ところが、全文を打ち込むという作業を始めてから、特に、この本を打ち込みながらはっきりしてきたのは、同じものと思われてきたものの中にも多数の差異が充満しているということだ。複数性、多数性、多様性という言葉でうまく飼い慣らしてきたと思われていたこの差異の充満が世界を作っているとしたら、作者、読者、そして本も一つでありながら複数で多様であってもいいのだろう。英語原書という言い方もやめて、多数多様なバージョンの中の英語バージョンと日本語バージョンがある、と考え方自体も改める必要がありそうだ。
作者が荒川なのかギンズなのか両方なのか戸惑いながらページをめくると、上の引用で「わたし」というのは誰なのだろう?という問いからどうして「わたし」が1人だと思い込んでいたのだろう?というふうに問いが変わる。彼我の境を曖昧にする自由間接話法(『千のプラトー』でだいぶ振り回された例の話法だ)が縦横無尽にページを埋め尽くし始めるような予感がする。すると、文字は生まれた日付も歴史上の任意の複数の時点を曖昧にさし示している、という具合なのだ。(『千のプラトー』での「自由間接話法」については以下の記事を参照。)
そうして、読む者は盲聾者の側から健常者の視覚優位な不自由さを告発する側に変わり始めている。確かに文字を読んでイメージすることは、目の前に見えている文字を見ることではない。見えない世界をイメージしているはずなのだ。なのに、その世界を見えているものに置き換えて見ていると錯覚する、とこの本の「わたし」は読む側に指摘していく。それにしても、この「わたし」とは誰なのだろう?と時折立ち止まって悩んでいると、その記述は時折荒川の作品に言及したり、欄外に作品名を差し挟んだりながら、その大胆な自由間接話法を縦横に繰り広げるのである。
会話の部分も考えると奇妙だ。ヘレンがニールス・ボーアと日本に向かう船上で対話し、アルプスの麓でアデルバート・エイムズと議論する記述が出てくる。同時代人で確かに接近することもあったが、歴史上では「会話」したことはなかったとされる人たちが「会話」をしている。しかもヘレンとの会話は指に文字を書く指語でないとおかしいはずだ。会話の領域が広がると音声を中心とし文字に複写されると信じ込んでいた意味のメカニズムが視聴覚を超えて他の感覚領域へと拡張されているのがわかる。「会話」はこのようにして成り立つのだ、とでも言うかのように。否、言われているのではなくそう感じる、それが「会話」になるのだ。
どうやらこの本は「極限で似るものの家」を私の脳内に建てつつあるのかもしれない。というのも、「私」とは誰なのだろう? などという問いも忘れてしまいそうになるからだ、。
◆
荒川修作+マドリン・ギンズの作品をめぐっていると、語りたい「私」が夥しいほど出てくる。(ニコライ・フョードロフに始まるロシア・コスミズムの不死概念との比較について話したい私(私たち/彼ら)もたくさんいる。) そんな私(私たち/彼ら)に任せていたらこの「由無し事」が終わる気配はなさそうだ。そこで何番目かのこの「私」で、ここでの文字の羅列をひとまず切り上げたい。
ホラーから始まったこの「由無し事」は、恐怖と死を連携させる「条里空間」(そこは分割しやすいように直線状の時間と平坦な空間でできていた)に囲まれた世界へと移っていった。と同時に、それに抗うもう一方の「平滑空間」が不死の時空でできているということも実感できるようになった。都市や住環境と同様、平坦な脳内空間も凸凹にして見たらどうか、と3.11からコロナにかけて試み始めたのが、全文打ち込みという愚直な実践となった。そんなことをダラダラと書き連ねた。
実は、最近この続きが出てきた。移住地に住み始めて3ヶ月、自分にとってはだいぶ広めの庭を維持管理する仕事ができたというのがまず凸凹の場所への最初の日常への誘いだった(おかげで直根(ラシーヌ)/側根(ラディセル)/根茎(リゾーム)たちにも日々出会えるようになれた)。さらに、庭に続く土地にもう一つある家(元々は借家として建てた空き家)を解体することに決めた。そして、その跡地を高齢の母が歩く運動路を中心に、ささやかな「天命反転地」にしようという妄想が湧き上がってきた。荒川修作+マドリン・ギンズの仕事をリハビリテーション分野の宮本省三氏が取り上げた事例もあることだからと思い立ち、素人考えに留まらない程度でこの妄想を具体的に実行に移す準備を始めたところである。
高齢者用にバリアフリーに改修された古い母屋に住む母に、「借家を潰したらその跡地は少しだけアンチ・バリアフリーの庭にしてもいいかい?」と「養老天命反転地」の図版を見せて、その凸凹と傾斜の場所を歩くように想像するよう、促してみた。すると、困惑気味に「いくつになっても、この子は・・・」とでも言いたげな呆れ顔で笑う母の顔から、私が知る由もない幼い頃の母の笑顔が浮かんだ・・・ような気がした。
もちろん、高齢の母の身体に合わせたこの「天命反転地」は、なだらかな傾斜とちょっと凸凹がある運動路を一部設置し、小さな丘を少し作って植物を植える程度のものになるだろう。だが、室内でも歩行器の補助で歩いている母が庭を歩くと、束の間でもメイちゃんになれるとしたら・・・母はその時、死へ向かう時を逆行するゆえに不死なのではないか?・・・そんな「天命反転地」が目の前にできるのを日々妄想している。

追記:
グレゴリーベイトソン/メアリー・キャサリン・ベイトソン『天使のおそれ』が岩波文庫で再刊された。全文打ち込みしたい本がまた1つ増えて喜ばしいかぎりである。
※見出し画像は「養老天命反転地」内にある「極限で似るものの家」Critical Resemblance House。(画像は以下を参照した。)
