速さと軽さで街を撮る — 2014年Lyon カメラ1台とレンズ3本(1,228g)のストリート装備 OLYMPUS OM-D E-M1

最近カメラは軽くて小さいのが売れているようだ。2014年のフランス出張の時に撮影。メインはNikonD4なのでお気軽はOLYMPUSかFUJI。その時はスピードと強力な手ぶれ補正のOLYMPUS OM-D E-M1 E-M5を持って行った。軽さは武器だ。カメラは撮る道具なのであまりスペックにこだわらない。ペット、野生動物、野鳥はSONYのスピードと軽さが必要。それでもNikonより軽い。ヘビー級NikonD5は現役で使っているが限られた撮影のみ

主要な特徴とスペック
リヨンの街角、光の回転木馬 リヨンの中心、ベルクール広場。 そこには、街の景色に溶け込むクラシックなメリーゴーランドがある。 M.ZUIKO 12-40mm F2.8 PROを手に、広角12mmで広場の開放感を切り取り、40mm側で精巧な装飾のディテールに迫る。 F2.8の明るさは、夕暮れ時に灯るカルーゼルの電飾を美しく、かつシャープに描き出してくれる。 OMデジタルソリューションズ OMデジタルソリューションズ +1 ヨーロッパの日常に息づく、回る芸術品。 この1本があれば、リヨンの空気感まで残せる気がした。

夕暮れ時のリヨン、ダウンタウン。 夏至の時期は21時を過ぎても空に蒼さが残り、街灯が灯り始めるこの「ブルーアワー」が最も美しい。 M.ZUIKO 12-40mm F2.8 PROを広角12mm(換算24mm)に合わせ、空のグラデーションと広場のメリーゴーランドを一枚に収める。F2.8の明るさは、三脚なしでも石畳の質感をシャープに描き出し、活気づく人々のシルエットを情緒的に捉えてくれる。 日本とは違う、長く、濃密なヨーロッパの夕暮れ。 このレンズなら、肉眼で見たままの「光の余韻」をそのままnoteに閉じ込められる。

「写真を撮って」と、あどけないフランス語で話しかけてくる少女。 フランス人の従兄弟が通訳してくれたその言葉に、僕は思わずシャッターを切った。 舞台はリヨンの旧市街(ヴュー・リヨン)。 中世の面影を残す石畳の路地、琥珀色の壁が夕日に照らされる。 M.ZUIKO 12-40mm F2.8 PROの40mm側(換算80mm)は、背景を程よく整理し、少女の屈託のない表情を浮かび上がらせてくれた。 日本とは違う、夏至の長い夕暮れ。 見知らぬ誰かと心が通う、そんな一瞬のきらめきを。 このレンズの解像度は、彼女の瞳に映るリヨンの街並みまで、鮮明に記憶へと刻んでくれた。

リヨン市内の喧騒を離れ、山あいの静かな村にある叔父の家へ。 夕暮れ時、テラスで火を囲みながらBBQを楽しむ。フランスの豊かな食卓に、自然とワインが進む。 ここで頼りになるのが、M.ZUIKO 12-40mm F2.8 PROだ。 このレンズの強みは、ズーム全域で最短撮影距離20cmという驚異的な寄りの強さ。椅子に座ったまま、テーブルの上の肉の焼き目や、グラスに注がれたワインの輝きにぐっと迫れる。 広角で村の静かなパノラマを、望遠側で料理のマクロ撮影を。 一本で旅のすべてを完結させてくれるこの機動力こそ、リヨンの夜に最高のスパイスを添えてくれる。

リヨン市内の従兄弟の旦那の兄弟の家へ。 高台ではないが、街の喧騒から切り離された静かな時間が流れている。 旅に出ると、ふとした瞬間に日本に残してきた猫が恋しくなる。

ふと見渡せば、どこまでも統一された街並み。 リヨンでは建物の外壁や屋根の色が法律で厳格に定められているという。 かつて訪れたシドニーもそうだった。景観を守るための「色の約束」が、この街特有の落ち着いた気品を生んでいる。 今回の相棒は M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PRO。 高解像なこのレンズは、パステルカラーの壁が重なり合うリヨン歴史地区の奥行きを、隅々まで鮮明に描き出してくれる。

坂の街、シルクの記憶 リヨンは、かつて絹織物職人たちが急な坂道を往来した「繊維の街」だ。 その歴史を物語るように、今も街中には息を切らすような坂が続く。 そんな坂道で、ふと目に留まった電話をする女性。 レンズを M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8 に切り替える。 換算150mmの圧縮効果と開放F1.8が生み出す深いボケが、繊維のように繊細な街の空気感の中に、彼女の存在だけを鮮烈に浮かび上がらせた。

街角で、タバコを吸う女性の姿に目が止まった。その佇まいが、あまりにカッコよかった。フランスの休憩時間は驚くほど短い。サッと吸って、パッと仕事に戻る。 その分、週35時間労働制が守られたこの国では、ダラダラと働く執着がない。短く集中して、早く帰る。社会主義官僚国家日本とは全く違うね。「日本型社会主義」と揶揄されたシステムがまともに機能していたのは、人口が増え、右肩上がりで成長していた高度経済成長期(1950年代〜70年代)という特殊な時代だけ。今は1世紀くらい遅れている感じがする

太陽の角度(高緯度) ヨーロッパは日本(例えば東京)に比べて緯度が高いため、太陽の高度が一日を通して低くなります。 斜光: 太陽が斜めから差し込む時間が長いため、建物や人々の影が長く伸び、立体感が強調される

自由には自己責任が伴う。そんな欧州的な「個の自律」を目の当たりにすると、日本という国がいかに「管理」に縛られているかを痛感する。 高度経済成長期という、右肩上がりの時代だけに最適化された「日本型社会主義」。その機能不全に陥ったシステムの中で、私たちは未だに1世紀前の亡霊のような同調圧力に、大切な時間を削り取られてはいないだろうか。 レンズ越しに見た彼女の凛とした佇まいは、管理から解き放たれた、人間本来の自由なリズムを刻んでいるようだった。 リヨンの強い光が作り出す深い影の中に、私は日本が置き忘れてきた「自律」という名のカッコよさを見た気がした。

リヨン市内のダウンタウン。 そこでは、数十年前の古い車やバイクが、ごく自然に石畳を走っている。 丁寧に手入れされ、街の風景の一部となった鉄の塊。 ふと、日本の「使い捨て文化」を思い出す。 一定期間が過ぎれば高い税金を課して排除し、新車への買い替えを強いる。 住宅も同じだ。30年も経てば資産価値は消え、ただの「ゴミ」として壊されるのを待つ。 「ものを大切にする」という言葉とは裏腹に、制度がそれを許さない。 常に新しいものを買わせ、管理し続けることで回る日本のシステム。高度経済成長期の幻想を追い続けるその構造は、自律した個人の「財産」を育むことを拒んでいるかのようだ。そして徴収した税金は天下り先のポッケに入る

リヨン市内、ダウンタウン。 ストライキが日常のこの街では、地下鉄が止まれば人々は一斉にキックボードやスケートボード、ローラーブレードで走り出す。 インフラに依存せず、自らの足で移動を完結させる。その姿は、国に管理され「使い捨て文化」に甘んじる日本への鮮やかなアンチテーゼだ。 古い車やバイクを大切に乗り続け、住宅も100年単位の資産として育むリヨン。 一方、増税で買い替えを強引に促し、30年で家がゴミになる日本。1世紀は遅れていると感じざるを得ない。

リヨン市内、ダウンタウン。 石畳に覆われた歴史ある街並みだが、驚くほど緑が豊かだ。これも都市計画法(PLU-H)などの厳しい法律で、開発時の緑地化が義務付けられているからだという。 30年で価値が消える日本の住宅地が、効率を優先して木を切り倒してきたのとは対照的だ。100年先を見据えた「緑と石の共存」には、明確な意志と哲学がある。

リヨン市内のダウンタウン、ふと目に留まったワイン屋の洒落た装飾。 歴史ある繊維の街らしい、繊細で気品あるディスプレイが道行く人の目を引く。 ここで頼りになるのが、M.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8 PROだ。 このレンズの真骨頂は、ズーム全域で最短撮影距離20cmまで寄れる「近接撮影能力」にある。椅子に座ったままでも、あるいはショーウィンドウ越しでも、ワインボトルのラベルの質感や、アンティークな装飾の細部までマクロレンズのように鮮明に切り取れる。
