40年間の末路 第37章 墓前にて ドキュメンタリー小説|自叙伝|50代
離婚した年の夏、三度目の挑戦でようやくリラクゼーションセラピスト一級の資格を掴み取った。
翌年3月には介護を理由に宇都宮の店舗を退職。20年住み慣れた街に別れを告げ、35年ぶりに住民票を茨城の実家へと戻した。
仁美や光太郎たちと音信不通になって3カ月。仁美らの動向を知るには、いわきの仁美の実家を訪ねるしかなかった。
事前にアポを取れば拒絶される恐れがある。僕はあえて、お彼岸の時期を見計らい、仏花を手に「アポなし」でいわきへと向かった。
そして訪問前に仏花を持っていわきの墓参りをした。墓誌に刻まれた文字をなぞるように見ていた僕の手が、ピタリと止まった。
——留吉。
新しく刻まれた元義父の名前が、そこに生々しくあった。離婚した年の12月、85歳で他界していた。
学生時代に妊娠が発覚し、震える足で挨拶に行ったあの日、
「こんなわがままな娘ですが……」と頭を下げてくれたあの姿。
東日本大震災の日、津波警報のなかで
「俺のコメが!」と叫び狂ったあの姿。
破天荒だが憎めなかったあの人の記憶が、一気に脳裏を駆け巡った。
そんな留吉は離婚する数年前に脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの、後遺症で言語障害を患っていた。
墓参りを済ませ、元義母・雅子を訪ねた。玄関先に出てきた雅子は、目を丸くした。
「あら!佳弘さん!お久しぶりです!よく来てくれたわね」
雅子は笑顔で招き入れてくれた。
「御無沙汰しております。お元気そうでなによりです。
ところで、留吉さん、昨年亡くなってたんですか?」
「え?お墓参りしてくれたんですか?
そうなのよ。最後は糖尿病の合併症でねぇ…
仏壇にも線香あげてくださいな」
そう言って、雅子は仏間に案内してくれた。
仏壇に線香をあげ、手土産をお供えし、手を合わせた。
「愛里たちにも留吉さんのことは連絡していなかったんですか?」
振り返って、雅子に訊ねた。
「仁美に口止めされていて……」
「仁美や光太郎たちは葬儀に来たんですか」
「去年の夏に一度来ただけで、お金がないからと言って、
それっきり葬儀にも来ないのよ。
それが悲しくて、悲しくて……」
雅子はハンカチで涙を拭いた。
昨夏に来た理由を聞くと、お金を貸してくれという相談だったという。
貸せるお金はなかったが、雅子自身のリウマチが悪化して、車を運転できなくなったため、仁美に車を譲渡したらしい。
そこでピンと来た。雅子が光太郎に車を譲渡したほぼ同時期に、光太郎から借金返済の一部として約20万円が振り込まれていた。
譲渡された車を売却して、その一部を借金返済に充ててたのだろう。
返済があったのはその一回だけだった。
埼玉からいわきまで行く交通費がないとしても、栃木の愛里または群馬の義兄・基彦に頼めば済むはずだった。
それすら言えないほど、仁美たちは全ての身内との繋がりを遮断していた。
生活苦を理由に、親の葬儀にも参列しない。あまりにも自己中心的で、親不孝だと思った。
それでも雅子は仁美と時々電話で話しているという。
そして雅子さんの口から出たのは、思いもよらない言葉だった。
仁美が若年性認知症を発症したという。
「……やっぱりそうだったのか」
離婚前、バイト先のスーパーのバックヤードで迷子になり、半日で辞めてきたあの時から兆候はあった。
自ら通院を拒み続けたツケが、最悪の形で回ってきたのだ。
激しい怒りや憎しみの果てに、あまりにも早く狂い始めた仁美の歯車。
もしかすると調停期間中には既に発症していたのかもしれない。だから調停離婚では不戦敗を選んだのかもしれない。
もしあのまま離婚していなければ、今頃僕は仁美の介護という「新たな牢屋」に囚われていたに違いない。
ゾッとするような安堵と、言葉にできない虚しさが胸を突いた。
しかも光太郎はまた失業して、家族3人で生活保護を申請中だという。 光太郎自ら「自立する」と言いながら、「決別の道」を選び、僕という経済的支えも失った結果、一気に奈落の底へ落ちていったのだ。
まるで若い頃の仁美と同じ道を辿っていた。
帰宅してから、愛里と真那に留吉の他界を伝えた。
「え、いわきの爺ちゃん亡くなってたの?
私たちに教えてくれないなんて、ママはサイテー!」
愛里は大声を出さずにいられなかった。愛里たちに訃報を知らせなかったのは、離婚を後押しした愛里への逆恨みだったのかもしれない。
「子は鎹」と言うが、長年夫婦関係を繋ぎとめてきた愛里が、遂にその役割を放棄した。
愛里によって始まった結婚生活は、愛里によって終わった。
新盆を過ぎた8月下旬、僕は茨城の両親と愛里・真那の家族を引き連れ、総勢12人でいわきに向かった。
墓参りを終えて、雅子宅を訪ねた。
玄関を開けた雅子の目が、みるみる潤んだ。愛里の娘たち、真那の息子と、初めて対面する双子のひ孫たち。総勢5人のひ孫に囲まれ、雅子は喜びと悲しみが入り混じったようにすすり泣きした。
しかしこの輪の中には、実の娘はいなかった。だが雅子の周りには、命の絆が溢れていた。
そして2025年の2月、離婚してから満二年が経過した。
実は仁美と調停離婚する際の財産分与の中で、敢えて触れなかったことが一つあった。
それは年金の「3号分割」だ。仁美から質問や要求があれば、説明するつもりで、資料だけ手元に用意していた。
だが不戦敗を選んだ仁美からは何もなかった。
友だちからやり直すための猶予期間を「二年間」とした理由は、「3号分割」の時効があったからだ。万一仁美が「3号分割」請求した後に復縁を求めてきた時に、復縁を断るための一つの条件だった。
結局認知症になった仁美からなんの連絡も3号分割の申請もなかった。
これで年金分割の請求権は時効となった。仁美が65歳になった時、期待通りの年金が貰えなくなってから、仁美や光太郎がは気づき、そしてきっとこう言うだろう。
「なんで調停のとき年金の話をしてくれなかったの。そんなのズルい!」
と、自分たちの無知を棚に上げ、他人のせいにするいつものやり方で。
泣きわめいても、もう後の祭りだ。
散々人を欺き、他人のせいにして生きてきたのだ。
その報いは、これからの孤独な人生の中で、嫌というほど思い知ればいい。
これが仁美の40年間の末路だった。
第1章はこちらから
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