40年間の末路 第36章 真っ白な再スタート ドキュメンタリー小説|自叙伝|50代
1時間後、自宅に戻ると光太郎の車が止まっていて、リビングのソファに光太郎夫婦が座り、対面の椅子に父・康雄が座り、沙穂ちゃんと雑談していた。
「ただいま。お待たせしました」
「おかえりなさい。
急にお邪魔して申し訳ないです」
沙穂ちゃんが礼儀正しく挨拶したが、光太郎は無言だった。
「外で話そう」
「ここでも大丈夫ですよ」
沙穂ちゃんが気遣った。
「いや、両親に心配かけたくないので、
近くのファミレスで話したい」
半ば強制的に光太郎夫婦を連れ出し、車で5分のファミレスに移動した。
17時前だったので、ファミレスはガラガラで、一番奥の窓際の席に着いて、メニューを手に取った。
「軽く食べながら話そう」
と、先に軽食とドリンクバーを注文した。
ドリンクバーからホットコーヒーを持ってくると、
光太郎たちもウーロン茶やジュースを持って席に戻ってきた。
「さて…
決別したはずなのに、どうして何の連絡もなく、家に来たの?」
本題に入る前に、突然の訪問の理由を訊いた。
「事前に連絡したら、居留守使われてパパが逃げると思ったから」
ここで光太郎が口を開いた。
「パパから逃げたのはオマエの方でしょ?
パパはオマエから逃げる理由は何もない」
「あっそ…」
光太郎は不服そうに呟いた。
「で、なんの話をしに来たの?」
「ママと離婚した時の財産分与の件なんだけど…
僕が借りたお金はどうなるの?」
やはりその件だったか。
「オマエに貸したお金も預貯金と同じで、
財産分与に含まれるよ」
「離婚したらチャラになるってこと?」
「離婚しても債権は放棄しないから、
オマエの債務はチャラにはならないよ」
「なんで?」
なぜそういう発想になるのか不明だったが、紙ナプキンに簡単な図を描いて、財産分与について説明した。
「やっぱりそうですよね」
沙穂ちゃんはすぐに納得したが、光太郎は腑に落ちない顔をした。
光太郎は明らかに借金をチャラにしたい思いでいっぱいだった。
「財産分与の内訳や精算方法については、次回調停までに再検討するけど、
最終的には仁美とパパが調停の場で決める事だよ」
「財産分与に借りたお金が含まれるなら、
僕の意見が少しも通らないのは、おかしい!」
と光太郎は声を荒げた。
隣で沙穂ちゃんが
「ちょっと、あなた……」
と、気まずそうに袖を引いたが、光太郎はそれを振り払い、僕を睨みつけた。
「そもそもパパと仁美の離婚問題とオマエに貸したお金の問題は別物だよ。
借金の件で文句があるならママを通じて、裁判所に言いなさい」
そんな押し問答を2時間繰り返したため、ホットコーヒーは冷めきって、油の浮いた食べかけのピザも冷めて硬くなっていた。
話すだけ時間の無駄だと確信し、埒が明かなかったので、そのまま二人を埼玉へ追い返した。
ちなみに7月からの4ヶ月でさらに光太郎に貸したお金の残高は160万円になっていた。
この債権を仁美とどう案分するか、悩みどころである。
債権の全額を仁美に振り分ければ、仁美が光太郎夫婦と同居しているので、光太郎の返済義務はなくなり実質「チャラ」にできる。そしてその分僕の手元に預貯金が残る。
17年前の浮気による慰謝料については、不貞行為を知ってから3年、または不貞行為から20年のいずれか早い方で時効が成立する。
前者に該当するため、法律の前では既に時効が成立しているので、万一請求されてももはや応じる義務はなかった。
2023年2月10日(金)二度目の調停日は前夜から大雪だった。
大渋滞を見越して前回より早く埼玉の家庭裁判所へ向かった。
今回も一番乗りだった。待合室に他の夫婦はいなかった。
すぐに呼ばれ、調停委員に財産分与について「債権折半」と「債権全額仁美持ち」の二つの案を提案した。
「相手方に確認します」
仁美と入れ替わった。数分後に再び呼ばれた。
「仁美さんは債権も折半がいいとのことです」
仁美も現金を手元に残したかったようだ。折半した債権が光太郎によって踏み倒される懸念があったが、それでも承諾した。
「了解しました。これで離婚成立ですね」
「はい。以上になります」
その後、事務手続きの説明があり、開始から一時間足らずで、調停は成立した。
駐車場に戻ると、車の上に雪が5cmも積もっていた。
雪は自分の心のように真っ白で、再スタートの門出を祝福しているようだった。
車から雪を降ろしてから、車内で家族のグループLINEに短いメッセージを打った。
「本日、調停離婚が成立しました」
父・康雄からすぐに返信が来た。
「大変でしたナー。これからは前向きに歩きましょう」
妹・淳子からも来た。
「ひと段落ついたね。これからはお兄ちゃんの人生幸多いことを祈ります」
続いて愛里と真那のグループLINEにも同じメッセージを送ると、長女・愛里からもすぐ返信が来た。
「永い間お疲れ様でした。これからはジィジとしても頑張ってね」
離婚を最初に勧めてくれたのは愛里だった。愛里の一言がなければ、まだ牢屋の中にいたかもしれない。
「ありがとう。これからはジィジ業も頑張るよwww」
目を潤ませながら、「ありがとう」のスタンプと一緒に愛里へ返信した。
次女・真那からは一時間後、「おつかれ」のスタンプだけが届いた。
真那と仁美の間の「車ドロボー」事件が、離婚の引き金の一つになった。
真那にとっては複雑な気持ちだったのだろう。
スタンプ一つだけでも届いたので、それで良かった。
僕も「ありがとう」のスタンプだけ送った。
数日後、調停調書が郵便で届いた。
約束通り、LINEのブロックを解除して仁美にメッセージを送った。
「今日、調停調書が届いたよ。これからは友達からまたよろしく」
冷たく突き放して終わるより、あえて拍子抜けするような言葉を投げた方が、仁美のプライドを刺激して綺麗に縁が切れるだろうという、僕なりの計算だった。
そしてその夜、返信が来た。
「私のこと見捨てたくせに、なにが『よろしく』よ」
相変わらず憎まれ口を叩く仁美が、変に感傷的になっていなくて良かった。むしろ読み通りで安心した。
「約束通り2年間は再婚しない。『彼女』の席は空席にしておく。でもやり直すつもりがないなら、自分よりもっと素敵な『彼氏』を見つけていいよ」
「この歳でいい出会いなんて、あるわけないでしょ」
離婚した時点でお互い50代後半。熟年向けの婚活サイトやマッチングアプリはいくらでもある。
その気になければ、出会える可能性はゼロではない。ただ仁美は人付き合いが苦手で、社会適応力も非常に乏しい。
新しい人間関係を築くのは、現実的に無理だろう。
「それならずっと光太郎夫婦の世話になるつもり?それも仁美の自由だよ」
「上から目線で偉そうなこと言わないでよ」
そして「またね」のスタンプを送ったが、既読になることはなかった。
それを最後に、仁美からブロックされたと確信した。
これも思惑通りだった。
画面の向こうの拒絶を確認し、僕は静かにスマホをポケットにしまった。
もう二度と、仁美から理不尽な言葉が届くことはない。
冷たい静寂の中で、ようやく本当の自由を手に入れたのだと、深く息を吐き出した。
第1章はこちらから
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