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僕が「電話が苦手」なのは、緊張のせいじゃなかったみたいだ

【この記事の概要】
① 困りごと: 音は聞こえているのに意味にならない。電話が異様に苦手で、マスク越しの説明は頭に入らず、人と話した後だけぐったり疲れる。
② 困りごとの本質: 集中力でも緊張でもなく、相手の口元が「もう片方の耳」として使われていたのかもしれない。片方が塞がれた状態で会話していた、というだけの話だった。
③ この記事で渡すもの: 前半では、ばらばらだった苦手を一本の軸へまとめ直す。後半では、塞がれた側を確保し直すための、意志力を使わない手順を渡す。

診察室で、先生が何か言った。

音は聞こえている。声が出ていることも、話し終わったことも分かる。マスクの上のところが、少しだけ動いた。

でも、意味にならない。

「すみません、もう一度いいですか」

先生はもう一度言ってくれた。さっきより少し、大きな声で。

それでも取れなかった。大きさの問題じゃないからだ。でもそれを説明する言葉を、僕は持っていない。

三回目は、聞けなかった。

僕は「はい」と言った。頷いて、薄い笑いを浮かべた。たぶん、こういう内容だっただろう、という当たりをつけて。

その後も同じだった。看護師さんの説明も、受付の人の案内も、薬局での飲み方の説明も、半分も取れていない。全部、想像で埋めた。前後の流れと、渡された紙と、相手の雰囲気から組み立てた。

家に帰って、鞄を置いて、そのままソファに沈んだ。

何をしたわけでもない。ただ病院に行っただけだ。なのに、丸一日働いた後みたいに疲れていた。


「聞こえません」が使えない

いちばんつらいのは、使える言葉がないことだった。

聞こえないなら「聞こえません」と言えばいい。でも僕の場合、音は聞こえている。だからその言葉は嘘になる。

「意味が入ってきません」なんて言われても、相手は困るだろう。だから何も言えない。

そして、聞き返しには回数の限界がある。

一回目は普通に言い直してくれる。二回目も、まだ大丈夫だ。三回目から、相手の声が少しだけ大きくなる。少しだけ、ゆっくりになる。

その優しさが、いちばん効かない。音量は問題じゃないからだ。それを知っているのは僕だけで、相手はよかれと思って音を大きくしてくれている。

だから僕は、三回目の前で降りる。頷いて、笑って、想像で埋める。

想像は、わりと当たる。文脈があるからだ。当たるから、成立してしまう。成立してしまうから、誰にも気づかれない。

僕はずっと、自分にラベルを貼っていた。

集中力がない。人の話をちゃんと聞く気がない。緊張しすぎ。年のせい。たるんでいる。

ばらばらの苦手だと思っていた

思い返すと、同じことがいろんな場面で起きていた。挙げてみる。

  • 社会人になりたての頃から、僕は電話が苦手だった

  • 対面ならなんとかなるのに、電話になった途端に落ちる

  • 病院や薬局の窓口で、マスク越しの説明が頭に入ってこない

  • 賑やかな店に入ると、目の前の相手の話だけが急に入ってこなくなる

  • 後ろから話しかけられると、ほぼ取りこぼす

  • リモート会議で、相手がカメラをONにしてくれると、急に楽になる

  • 内容のわりに、人と話した後だけ、異様に疲れる

僕はこれを、ずっと別々の苦手だと思っていた。

並べてみて、気づいた。

共通点は、一つしかない。

どれも、相手の口が見えていない。

見ていたつもりは、なかった

とは言え、僕には、人の口を読んでいる自覚がない。

読唇術を習ったこともないし、会話中に相手の口元をじっと見つめているわけでもない。

見ていたつもりは、なかったのに、なくなると困る。

いったいどういうことなのか。

しばらく考えていて、線が一本に繋がった。

僕は口元を、聞いていたのだ、と。

僕の中では、耳から入る音と、目から入る口の動き。その二つが頭の中で合流して、はじめて「声」になっていたようだ。

だから片方が欠けると、声が半分になる。音は鳴っているのに、声にならない。

口元は、僕にとって、もう片方の耳だったのかもしれない。

片耳で会話していた

そう考えて、全部がすっきり繋がった。

電話も、カメラOFFの会議も、背後からの声も、マスク越しの窓口も、僕にとっては同じことだった。

これらは僕にとってずっと、「片耳」での会話だった。

片耳では足りない、と体は知っている

面白いのは、これが僕だけの話じゃないことだ。

電話をしているとき、人は無意識に、反対側の耳を指で塞ぐ。うるさい場所なら、なおさらだ。

あれは、片耳では足りないと体が知っているからだと思う。だから、せめてノイズを減らして、残った一つに全部を集めようとするのだろう。

もう一つある。よく聞こえないとき、人は耳を相手に向けない。相手の顔を見る。

耳が足りないときに顔を見るのは、たぶん誰にとっても自然な動作なのだと思う。

僕と、彼らの違いは、それに頼っている度合いなのではないか。

多くの人は、顔が見えれば楽だけれど、見えなくても成立する。

それが、僕の場合は、両方ないと届かない。

そして、これで疲れの説明がついた。

僕が病院でぐったりしたのは、社交で気を遣ったからじゃない。

片方で足りない分を、想像でずっと埋め続けていたからだ。

文脈を集めて、確率の高い方に賭けて、その賭けが当たっているかを相手の表情で確かめる。

それを、診察室でも受付でも薬局でもやっていた。

疲れるのも当然だ。
疲労感の元は、欠落した情報を「埋める」作業だった。

「電話が苦手」の理由は、たぶん違う

電話が苦手な理由は、たいてい、こう説明される。

聞きながらメモを取るマルチタスクだから。即答を迫られるから。相手の時間を奪っている感じがするから。

僕も長いこと、そう思っていた。

でも、それなら説明がつかないことがある。

対面の立ち話で、いきなり判断を求められることがある。メモも取れないし、即答も要る。条件は電話とほとんど同じだ。

なのに、対面では頑張ればついていける。
でも電話だと、全くついて行ける気がしない。

違いは一つしかなかった。電話には、口元がない。

答えは30年前にあった

いちばん間抜けだったのは、この仕組みを、僕はもう三十年前から知っていたことだ。

僕は外国語を長くやっていて、実務で使える程度には話せる。

そして、はっきりした癖がある。相手の口が見えていれば、かなり聞き取れる。電話になると、途端に落ちる。

僕はそれを、ずっと「外国語だから」だと思っていた。母語じゃないから、視覚で補っているんだと。当たり前のことだと思っていた。

でもそうではなかった。実際には日本語でも、同じことをしていた。

僕にとって日本語は、母語というより、いちばん流暢な外国語だったのかもしれない。

三十年前、外国語のほうでとっくに気づいていたのに、母語のほうでは、それが見えていなかった。

本なら、いくらでも入るのに

もう一つ、ずっと矛盾だと思っていたことがある。

僕は文字を読むのが速い。かなり速い。本は何冊も同時に読むし、活字なら情報量が多くても平気だ。

なのに、話は等速ですら取りこぼす。

読むのは得意で、聞くのは苦手。同じ言語なのに。これがずっと気持ち悪かった。

でも、埋める作業の話だと考えれば、矛盾でもなんでもなかった。

会話では、音と口の動きを頭の中で合流させて、はじめて意味になる。片方が欠ければ、想像で埋める。その分の体力を、毎回払っている。

本には、その作業がない。書いてあることが、全部そこにある。欠けていないから、埋めなくていい。だからいくらでも入る。

ただし、文字ならなんでも楽か、というとそうでもない。

グループLINEは、文字なのに疲れる。本文はちゃんと読めているのに、「これは誰宛てなのか」「僕は返すべきなのか」が、どこにも書かれていないからだ。欠けているものが音じゃなくて宛先だった、というだけで、やっていることは同じだった。一つずつ、想像で埋めている。

集中力の問題じゃなかった

こう書いてくると、「じゃあ日本語が不自由なのか」という話になりそうだけど、たぶんそうじゃない。

本は読めるし、文章も書ける。話すほうも困らない。困るのは、聞くときに条件が揃わないときだけだ。

読める僕と、聞き取れない僕。どっちかが本当の自分、という話でもないと思う。両方とも本当で、どっちも出来不出来の話じゃない。

同じ相手の、同じ話でも、口が見えれば分かる。見えなければ落ちる。相手を変えても、日を変えても、同じことが起きる。

僕の集中力が日によって変わっているんじゃなく、条件が変わると、結果が変わる。

だからこれは、集中力の問題じゃない。
僕にとって、「口元が見えない」のは「片耳の会話」だった。
単に条件の問題だった。

ちなみに、目から入る情報が音の理解を助けること自体は昔から言われているけれど、それがどのくらい効くかは人によって違うんだと思う。僕の場合は、たまたま効き方が大きかった、というだけかもしれない。

やめたこと、始めたこと

ここからは、僕がこの発見以降、実際に心がけていることを書く。

やめたこと

集中して聞こうとするのをやめた。
足りないのは集中力じゃないので、いくら気合いを入れても埋まらない。むしろ、埋める作業に体力を使い切って、後半で全部落ちる。

聞こえたふりの相槌をやめた。
これがいちばん危ない。薬の飲み方を想像で埋めるのは、笑い事にならない。頷いた内容を知らないまま進む事故は、後になってから効いてくる。

相手にマスクを外してもらう、は考えないことにした。
病院では無理だし、そもそも相手は何も悪いことをしていない。相手を動かす解決策は、続かない。

電話に慣れよう、というのもやめた。
三十年やって慣れていない。それが答えだ。

始めたこと

1. 顔が見える位置を取る
通話は、できるだけビデオ通話にする。カメラをONにしてもらう口実は「回線の状態を確認したいので」とか適当でいい。
対面なら、正面に座る。斜め後ろからの声は最初から諦める。うるさい店と、車の中と、屋外は、大事な話には使わない。

2. 事前に要点をもらう
「メールでいただけると確実です」の一言で、電話の多くは文字に振り替えられる。打ち合わせなら、議題を先にテキストでもらう。
先に文字で見ておくと、当日の聞き取りが劇的に楽になる。何を言われるか分かっていれば、埋める量が減るからだ。

3. 文字起こしをONにする
録音より文字起こしのほうがいい。後から目で追えるからだ。今はどの通話ツールにも大抵ついている。便利な世の中になった。

4. 聞き返し方を変える
回数を減らす努力はしない。一回で全部取れる形に変える。

「今の、①◯◯と②◯◯で合ってますか」

「もう一度お願いします」だと、また同じ音がもう一回流れるだけで終わる。こちらから組み立てて確認する形にすると、一回で済む。

5. 終わりに確認メモを一通送る
「本日の内容について、確認です」と三行くらいで送る。ずれていたら向こうが直してくれる。これは聞き取りの問題がない人にも喜ばれるので、気を遣わずに使える。

6. 長い打ち合わせの後は、予定を入れない
埋める作業は体力を使う。会議二時間の後は、内容のわりに疲れている。そこに予定を重ねると、確実に◯ぬ。

7. 先に言っておく
「マスクだと聞き取りが苦手なので、何回か聞き返すかもしれません」

これを最初に置くと、三回目の聞き返しがだいぶ楽になる。後から言い訳するより、先に仕様として伝えておくほうが、まったく別のものになる。

明日ひとつだけ

次のZoomやTeams会議では、試しに文字起こしを使ってみると面白い発見があるはずだ。

たぶん、自分がどれだけ想像で埋めていたかが分かると思う。取れていたつもりの部分が、意外と取れていない。逆に、埋めた内容がわりと当たっていることにも気づく。当たっているから、ここまで誰にも気づかれずに来られた。

僕は三十年前から、外国語のほうでは気づいていた。口が見えれば聞こえる、電話だと落ちる。分かっていたのに、日本語のほうは見えなかった。

診察室で薄ら笑いを浮かべていたとき、僕は自分の集中力を疑っていた。

疑うところが違っていた。マスクをしていたのは、相手のほうだったのに。

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