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【ASD】感覚過敏は「すべての刺激が10倍」の世界――"シナプスの刈り込み不足"説からASDの世界を理解する試み

――「理解不能」を観察し直すことで、世界は再設計できる。

それは、とある外国のスーパーで調味料売り場の棚の前に立ったときのこと。

なんの変哲もない、ごくごく普通の調味料売り場。
違うことと言えば、日本語が見当たらないことと、並んでいるのが見慣れない調味料なことぐらいだ。

僕には、整然と並んだ瓶と箱が、ただ静かに立っているだけに見える。
でも、妻には全く違う光景が見えていた。

「棚が倒れてくる……」
そう言って彼女は、頭を抱え、しゃがみ込んだ。
周囲の買い物客たちは、何事かと振り返る。
僕はただ、立ち尽くしていた。
彼女の体に何が起きているのか、まるで理解できなかった。

・・・

数分後、彼女の呼吸は落ち着き、何事もなかったかのように立ち上がった。
しかし僕の中では、ずっと「何かがおかしい」という警報が鳴り続けていた。

帰りの車の中で、僕は恐る恐る聞いた。
「さっき、どうしてあんなに苦しそうだったの?」

彼女は少し考えてから、静かに答えた。
「棚に並んでいる文字とか色とかが、一気に動いてきて……全部が混ざって私に向かって襲いかかってくる感じだった。」

ASD(自閉スペクトラム症)の感覚過敏

僕には彼女の説明の意味がさっぱりわからなかった。
でも、彼女に"ASD"(自閉スペクトラム症)という診断が下ってから、ASDについて学び始めると、彼女の世界が少しずつ理解できるようになってきた。

僕たち普通の人間は、外界から入ってくる膨大な刺激のうち、“必要なものだけ”を自動でフィルタリングして処理している。
でもASD特性を持つ人の多くは、このフィルターが開放状態にあるらしい。

余談だが、後になって僕も自分自身もASDグレーゾーンであり、ある程度の感覚過敏(僕の場合は聴覚過敏と視覚過敏)があることを知った。

友人に分子生物学と発達心理学の研究者がいるのだが、彼女とASDの感覚過敏について話をした時に、こんなことを教えてくれた。


「ASDの感覚過敏には、乳幼児期に「ミクログリア」という脳の“掃除役”の細胞が不要な配線を十分に減らせず、配線が多めに残って刺激に反応しやすくなっていることが原因だ、という学説(*1)があるんです。」

「実際に、子どもの脳で「つながり」が多めに残っている可能性を示す報告(*2)や、マウスによる動物実験でもこの"掃除"を妨げるとASDに似た症状が現れるという報告(*3)などがあって、この考え方は結構有力視されています。」


「まだ一つの説、という段階なんですけどね」と彼女は話していたが、この話を聞いたことはASDの感覚過敏に対する僕の理解を一気に深めるきっかけとなった。

確かに赤ちゃんは、ちょっとした物音でびっくりしたり、人混みで急に泣き出したり、蛍光灯の光を嫌がったりする。

なるほど、そう言えば妻も全く同じだ、と。

上の学説を僕なりに翻訳すると、「ASDの人は赤ちゃん時代に育ちすぎたシナプスがそのままで、鈍感力が育たなかった。だから音・光・匂い・人の気配など、あらゆる情報が通常の大人の10倍ぐらいの強さ(*4)で常に襲ってきている。」となる。

別の日、街を歩いていた僕はタワーマンションの建設現場が目に入った。基礎工事中のそこでは重機のエンジンがゴウゴウと唸り、鉄をハンマーで叩くカンカンという甲高い音が辺りに響いていた。地面を深く掘られた現場を覗き込むと、そこでは鉄骨を溶接するジリジリという音と、目を焼かんばかりの閃光がビカビカと光っていた。

――ああ、これだ。

彼女は常に、このビルの基礎工事現場の中で生活しているのか。その中で物を選び、人と会話し、決定し、仕事をする……これまでの僕には到底想像もつかない世界だ。


特に、初めて行くスーパー、明るすぎる照明、店内アナウンスと店員の呼び込みと客のおしゃべり、生鮮食品売り場から流れてくる匂い、眼の前に広がる色とりどりの文字情報、販促のポップと値段表示、しかも外国語…

この状況で、自分が必要とする調味料を探そうとすれば、脳は情報を処理しきれずパニックになるのも当然だろう。

それが、妻の言う「棚が襲ってくる」という体験として現れたのではないだろうか、と言うのが僕の見立てだ。

 ASDの感覚過敏を"構造"として理解する

「どうすれば楽になるかな?」

僕がそう尋ねると、彼女は少し考えて言った。

「うん……多分、買う物は事前に決めておいて、棚の前に立つ時間を短くしたらいいんだと思う。あと、光が強すぎるのもつらいから、サングラスをしてもいい?」

たったそれだけの工夫で、彼女の表情は明るくなった。
それを見て僕は思った。
「彼女を治す」のではなく、「世界の音量を下げる」ことが、僕たちにできる再設計なんだと。

感覚過敏を「障害」と捉えると、世界は敵になる。

しかしそれを「OS」つまり脳の構造として捉え直せば、環境側をチューニングする発想が生まれる。

彼女は壊れていたのではなく、世界が、彼女の感度に合わせて設計されていなかっただけなのだ。

・・・

しばらくして、僕たちは家の照明を調光式に変え、外出時には遮光メガネを携帯するようになった。
買い物に行くスーパーを選ぶ基準は、値段でも品揃えでもなく「明るすぎない、うるさくない、混んでいない」と決めた。

ほんの少しの調整で、彼女の世界はずいぶん穏やかになった。

「どう?棚が襲ってくることある?」

「ううん、最近は大丈夫かな」

彼女がそう笑ったとき、僕は初めて「理解」とは“共感”ではなく“構造の共有”なのだと知った。


あなたの隣の「理解できない誰か」も、 実は別の構造で世界を見ているのかもしれません。

この「棚事件」は、僕たちの長い探求の、ほんの入り口に過ぎません。

本編で描かれるのは、衝動のADHD(夫)と秩序のASD(妻) という、絶望的に相性の悪い二人が、互いの“OS”を理解し、衝突を“協奏”に変えていくまでの試行錯誤の全記録です。

もしあなたの隣にいる大切な人との間に「見えない壁」を感じるなら、この記事は、その壁を壊す“設計図”になるかもしれません。

本編はこちら👇️
15年かけて妻の“発達障害”にたどり着いた日――「普通じゃない」の謎が解け、世界が再起動した話

参考文献

*1 *2 Zhan, Yang et al. “Deficient neuron-microglia signaling results in impaired functional brain connectivity and social behavior.” Nature neuroscience vol. 17,3 (2014): 400-6. doi:10.1038/nn.3641
*3 Kim, HJ., Cho, MH., Shim, W. et al. Deficient autophagy in microglia impairs synaptic pruning and causes social behavioral defects. Mol Psychiatry 22, 1576–1584 (2017). 
*4 Danesh AA, Howery S, Aazh H, Kaf W, Eshraghi AA. Hyperacusis in Autism Spectrum Disorders. Audiol Res. 2021 Oct 14;11(4):547-556. doi: 10.3390/audiolres11040049. PMID: 34698068; PMCID: PMC8544234.

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