グループLINEの削除で、なぜ人が傷つくのか分からなかった――痛いのは「外されたこと」ではなく「終わりを他人に決められたこと」だ
「どうして削除したんですか?」
ややクレーム気味にそう言われたとき、僕には、何が起きたのか分からなかった。
僕が世話役の一人として関わっている、ある趣味のコミュニティでの話だ。
ここでは、プロジェクトが立ち上がると、それ用のグループLINEを立ち上げて連絡を取る。グループLINEは、放っておくとどんどん増えていく。だから僕はときどき、まとめて整理する。動かなくなったグループは閉じる。何ヶ月も発言のない人——いわゆる幽霊部員は、リストから外す。スプレッドシートの古い行を消すのと、だいたい同じ感覚だった。
その整理のとき、一年近く一度も顔を出していなかった人を、何の連絡もせずに、グループから削除した。何人かまとめて外した、そのうちの一人だ。
・・・
今、こう書きながら思い返して、なぜお前はわざわざ地雷を踏んだのかと、われながら思った。一声もかけずに、いきなり消す。それは、まあ、やってはいけないやつだった。さすがの僕も、今なら分かる。
ただ、白状すると、そのときの僕には、その発想がまるごと無かった。「先に一言かける」という手順が、頭の中の作業リストに、最初から載っていなかったのだ。
数日後、その人から、冒頭の言葉が返ってきた。
「タイミングが合えば、また参加しようと思っていたのに。どうして削除したんですか」
正直に言うと、当時の僕にはその感覚が分からなかった。
グループLINEなんて、ただの「連絡網」じゃないか。コミュニティから追放したわけじゃないし、個別のLINEをブロックしたわけでもない。彼だって、他のプロジェクトのグループLINEには、まだ一緒に入っているじゃないか。通知が減って、リストがすっきりして、むしろ親切じゃないのか?
なのに、なぜ、そんなに傷つくのか。
正直に告白すると、僕はあの時、「めんどくさい人だな」で片づけていた。
でも最近、似たような反応を続けざまに見かけた僕は、「もしかすると自分の世界観の方が少数派なのかもしれない」、とハッと気づいた。
続けざまに起きた、三つの反応
僕は、その見かけた(一部は直接関わってもいるが)事例を、整理して並べて、その共通項を探してみることにした。
一人なら、個人差で済むけど、別々の人から似た形の反応が出るということは、そこに何かがあるはずだ。
一人目は、さっきの彼だ。 本人にとって、あのグループは「いつでも戻れる席」だったらしい。どうやら痛みの中心は、参加できなくなったことではなく、まだ残っているつもりだった可能性を、自分ではなく他人に閉じられたこと。そこだった。
二人目は、逆の立場の人。 このコミュニティでは、コミュニティから退会者が出たタイミングで、「関連するプロジェクトのグループLINEからも削除する」というルールがある(それはルールにするまでもない一般常識だろうと思うのだが)。ある時ふと、一人の世話役がなかなか手を動かしてないことに気づいた。彼が責任者のグループLINEだけ、既に退会したメンバーがぞろぞろと名を連ねているのだ。理由を聞いたら、こう言われた。
「グループLINEをこっちから削除するのって、可哀想じゃないですか」
これも分からなかった。情報の整理に、可哀想も何もない。コミュニティにいない人がグループLINEに残っている方が100倍おかしいはずだ。でも、どうやら彼の中では、削除は「情報管理」ではなく「こちらからドアを閉める行為」に近い感覚を与えるらしい。彼からすれば、自分が加害者の役を引き受けるのがつらい。線を引くことそのものが、拒絶や処罰に見えている。
この時もまだ僕は、彼がそうする理由が全く理解できなかった。「『可哀想』で手が止まるなんて、この人には世話役の資質がないんじゃないか」。それぐらいのことを思っていた。
三人目の、そして僕に違和感を与えてくれたのは、引っ越しでいなくなる人。 ぽつりと、こう言った。
「『◯◯さんが退会しました』って出るの、なんか切ないですよね」
もちろん、個別のLINEは残るから連絡は取れる。リアルのイベントに遊びに来てくれたら大歓迎だ。そもそも引っ越しってそういうもんじゃないのか?でも彼女には、「退会しました」のメッセージにはそれ以上の意味があったらしい。自分がその小さな輪からいなくなることが、画面の上で、一行で、確定してしまう。言ってみれば、彼女にとって「退会しました」は、小さな卒業式の掲示に近かったのかもしれない。
さらに、分からなかったこと
そこで僕がふと思い出したのが、もう一つのグループLINEの「慣習」とでも言うべきものだ。これも、僕にはずっと良く理解できなかった。
こういう、退会で傷つくタイプの人たちに限って、期間限定の企画が終わったグループからは、自分でさっさと退会していくのだ。
僕なんかは、「期間限定=その後はメッセージが来ない」と思っているので、大抵の場合、そういう期間限定のグループLINEはわざわざ退会したりしない。放置しておけば、いつしかトーク画面の下の方に埋もれていく。それじゃダメなのか?
ここで、僕の中で話が合わなくなってきた。
同じ人が、同じ「グループから名前が消える」という操作を、あるときは平気でやり、あるときは深く痛がる。
だとしたら、痛みの原因は「退会」そのものではない。退会に付いてくる、何か別の一点なのではないか。
問題は、退会ではなく「終了権」だった
僕はこの「自己矛盾」的なものが自分の中にあると、つい延々と考え続けてしまう。例に漏れず、この件についてもグルグルと考えて続けていて、たどり着いた仮説はこうだ。
彼らが気にしていたのは、退会するかどうかではない。その終わりを、誰が決めたことになるのか、だった。
彼らからすれば、自分でから抜ければ卒業で、 他人から外されると除籍、もっと強い言葉で言えば「追放」に見えているようだ。
同じ操作で、主語が違うだけなのに、意味がまるっと入れ替わる。
期間限定の企画から自分で抜けるのは、卒業だ。役目を終えて、自分の意思で出る。痛くない。むしろ気持ちがいい。
でも、誰かに削除されるのは、除籍だ。その終わりを、自分ではない誰かが判定して、執行した。「まだいるつもりだった」という前提ごと、上書きされる。
痛いのは、退会したことではない。自分の所属の終わりを、他人に決められたことだった。
僕は、それを「整理」だと思っていた
ここでようやく、なぜ話が噛み合わなかったのかが見えてきた。
僕にとって、グループLINEは単なる「連絡用のチャネル」、連絡網だった。必要な人が入って、関係なくなった人が外れる。それだけの、機能的な箱。所属も身分もない。だから削除は「整理」だった。使わない通知をオフにするのと、僕にとっては温度感はなにも変わらない。
でも、彼らにとって、それは箱ではなかった。
そこに自分の名前があることは、「まだこの輪に、自分の席がある」という表示だった。発言していなくてもいい。参加していなくてもいい。名前が並んでいる、それだけで、「自分はまだここの一員だ」という、ゆるい証明になっていた。
だから削除は、椅子を一脚、片づけることに等しい。本人がいない隙に、机から名札を外す。戻ってきたとき、自分の場所が、もうない。
僕が「整理」だと思っていた操作は、相手から見れば「撤去」だった。どうやら、そういうことらしかった。
「◯◯さんが退会しました」
この食い違いを、一番むき出しにするのが、LINEのあの表示だ。
◯◯さんが退会しました
この一行には、説明がない。余白がない。経緯も、事情も、別れの挨拶も乗らない。人間の関係性というのは大抵、もっと曖昧に、じわじわ薄れていくものなのに、この表示は、それを一行でスパッと、完了形で確定させてしまう。
しかも、自分で抜けても、他人に外されても、出てくる文字はまったく同じだ。卒業も除籍も、システムから見れば知ったことではない。たった六文字の「退会しました」に圧縮される。
意味の違いは、画面にはないが、見ている人間の中に浮かんでくる。
僕のようなASD傾向を持つ人間にはとりわけ、ただのログにしか見えないあの一行が、別の人には小さな除籍通知に見える。見ている文字は同じでも、その文字に何を乗せて読むか、が全く違っていた。
なぜ、趣味のコミュニティで起きやすいのだろう
会社なら、所属には辞令がある。家族なら、抜けることはまずない。境界がはっきりしている場所では、終わりも明示される。
でも、趣味のコミュニティだと少し話が違ってくる。役割と人間関係が混ざり合うし、参加と不参加の境界が曖昧だ。善意と責任が絡み合って、正式な任命も、解任もない。「参加はしていないけど、(気持ち的には)関係者ではある」という宙ぶらりんの人が、生まれやすい環境だ。
終わりが明示されない場所だからこそ、終わりの判定が、グループLINEの削除という小さな操作に背負わされる。本来そんな重さを持つはずのないUIが、所属の終了通知の役を、勝手に引き受けてしまう。
同じ操作に、別の意味を見ていた
あれこれ考えてきたけど、正直に言えば、この食い違いに、きれいな正解はないのだと思う。理屈で分かることと、肌で分かることは、別だからだ。
僕は、退会を通信の整理だと思っていた。 彼らは、退会を関係の終了表示として見ていた。
だから、話が噛み合わなかった。僕がどれだけ「ただの連絡用だよ」と説明しても、届かない。相手の画面も、僕の画面も、どう見比べても同じ画面を見ているはずなのに、そのメッセージの上に乗っていた意味が、まるごと違っていたからだ。
人がすれ違うのは、違う言葉を使うときだけじゃない。同じものを見ているのに、その意味だけがずれているときにも、すれ違う。そして、後者のほうがたちが悪い。言葉が違えば「通じていない」と気づける。でも見ているものが同じだと、お互い「通じている」と思い込んだまま、すれ違っていく。
もし、あなたがグループLINEの退会で、よくわからない「痛みのようなもの」を覚えたことがあるなら——あなたは、その操作に乗っていた、所属の終わり、という意味を読み取ったのだと思う。
そして、もしあなたが、その痛みがまったく分からない側だったとしても——あなたが冷たいわけではない。同じ一行の、読み方が違っただけだ。
僕は、後者だった。今でも、心底理解できたとは言えない。でも、彼らが何を見ていたのかは、ようやく、少しだけ、分かった気がする。
名札を外す前の手順に、980円をつけた
ここまでで、あの一行に二つの読み方があることは分かった。自分で抜ければ卒業、他人に外されれば除籍。同じ操作で、主語が違うだけで意味が入れ替わる。この見方だけでも、次に「退会しました」を見たときの景色は変わるはずだ。冷たい人と繊細な人の話ではなく、同じ画面の読み方が違うだけだと分かったのだから。
ただ、僕の場合、分かったところで問題が残った。理屈は分かった。でも、やっぱり「席」は見えない。目の前にあるのは相変わらずただのグループ一覧で、どれが連絡網でどれが名簿なのか、肌では判別できない。共感で判定できない人間は、理解した翌月にまた同じ整理をして、また同じ地雷を踏む。
この先を読むと、その判定を共感ではなく条件でやることになる。グループ一覧を上から見ていって、「これは片づけていい」「これは片づける前に一通いる」と、二つに仕分けられる。そして「一通いる」側には、たとえばこんな文を流すことになる。
来月末に、しばらく動いていないグループを整理します。残っておきたい方は、スタンプひとつだけ返してください。
拍子抜けするくらい短い。それでも、この一通があると、そのあとの削除は除籍ではなくなる。なぜそうなるのか、そしてどのグループにこれが必要なのかを、この先に書いた。あの日の僕に足りなかったのは、反省でも共感でもなく、この順番だった。名札を外す前の手順に、980円をつけた。
買わなくていいのは、「卒業と除籍」という見方だけで足りる人だ。人の名前が並ぶ場所を預かっていない人、あの痛みの正体が分かればよかった人。文面を実際に送る予定がない人も、ここまでで十分だと思う。
この先が役立つのは、人の席を預かっている人だ。サークルでも、職場のチャットでも、名簿の整理を任されていて、削除のたびに少し身構える人。「可哀想で消せない」で手が止まってしまう人。「どうして削除したんですか」を、もう踏んでしまった人。そして、外された側で痛んで、その痛みの置き場所を探している人だ。
世話役を続ける限り、名簿は毎年開くことになる。あのとき僕は、返す言葉を持っていなかった。次に名簿を開く日、削除ボタンより先に開くものが手元にあるかどうか、違いはそこだけだ。
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