見出し画像

27 中華民国政府変遷一覧、1928年までは北京政府が中華民国の正統政府だった

 歴史教科書では、国共合作した広東系、南京蒋介石系が正統な政府とされるが、1913年日本をはじめ各国が承認したのは、袁世凱の北京政府であり、大使館、公使館は北京に置かれた。日本との山東省に関する条約及び南満洲及東部内蒙古に関する条約等の締結、第1次世界大戦のドイツへの宣戦布告、ドイツとの講和条約、9か国条約の締結、パリ講和会議、ワシントン会議等の国際会議への出席は、北京政府が中華民国を代表した。

 しかし北伐完成後の1928年に英米は、蒋介石主席の国民党を中国代表として承認し、1929年日本も承認した。この後の国際連盟総会等の国際会議、不戦条約締結等はすべて南京政府が中華民国代表となるが、多くの国は南京政府承認後も、北京にも外交機関を置いていた。日本の大使が南京市に常駐するようになったのは1937年1月からであった。
 

なお、国際会議は米国在住の反日主義者顧維鈞が、北京政府、南京政府いずれの時代も中華民国代表として国際会議に出席していた。



 参考に中華民国国民政府の変遷、併存関係が変わるように整理してみたが、このほか各地に地方政府(軍閥)
雲南派 、 旧広西派 、新広西派 、広東派、四川派、馬家軍 、 新疆派 、 貴州派、湖南派、中華共和国(福建省)、中華ソビエト共和国延安政府等中国共産党の解放区が存在している。  

1北京政府の変遷  (国旗は画像左の五色旗、赤は漢族、黄は満族、青はモンゴル族、白は回族(イスラム系)、黒はチベット族を表す。

 1. 袁世凱政権(1913年 - 1916年)
 2. 洪憲帝政(1916年1月1日から3月22日)
   
陸 栄廷が旧広西派を立ち上げ独立を宣言
 3. 安徽派政権(1916年 - 1920年)大総統 黎元洪馮国璋徐世昌 
  国務総理 段祺瑞 親日派
       安直戦争(直隷派、奉天派勝利)
 4. 直隷派、奉天派連合政権(1920年 - 1922年)大総統徐世昌、黎元洪
   実権は直隷派の曹錕(そうこん)・呉佩孚(ごはいふ)
  第1次奉直戦争(奉天派敗北)張作霖、満州に東三省政権樹立
 5. 直隷派政権(1922年 - 1924年)大総統黎元洪曹錕 親米派
  第2次奉直戦争(奉天派勝利)、馮玉祥によるクーデター北京政変によ
  って直隷派政権は崩壊、馮玉祥は西北軍閥を国民軍に名称変更する。
   (1924年に第3次広東政府が国共合作し、ソ連の援助を受け、暴
   力革命路線を明確化したことで、北京政府は存在感が薄くなった。)

 6. 執政府政権(1925年-1926年)臨時執政段祺瑞 親日派
   馮玉祥奉天派張作霖に支えらえていた。
   郭松齢事件発生、直隷派呉佩孚の北京進攻、馮玉祥は張作霖、段祺瑞 
   呉佩孚に敗北し、下野する(第2次北伐で蒋介石側として復帰)
   3.18事件 により段祺瑞下野する  
 7. 奉天派、直隷派連合政権(1926年)奉天派張作霖直隷派呉佩孚
  7月、蔣介石指揮の北伐軍によって地盤である華中を占領
  された呉佩孚は、同年末には力を失った
 8. 奉天派政権(1926年 - 1928年)大元帥張作霖 
  1926年4月、北京のソ連公館を家宅捜査、ソ連の間接侵略の証拠確保
  1928年6月張作霖北京から逃走中に暗殺される
  蒋介石の北伐完成
 9. 北平国民政府 1930年(主席:閻錫山
  中原大戦期に一時、北京(北平)にできた政権

2 広東政府(1927年武漢政府含む)の変遷

  1. 第1次広東政府(1917年9月 - 1920年10月) - 「中華民国軍政府」、「広東軍政府」、「護法軍政府」、「広州軍政府」と呼ばれた。孫文が大総統に就任。1918年には岑春煊が主席総裁に就任した。→広東軍政府(旗は五色旗) 

  2. 第2次広東政府(1921年5月 - 1922年6月) - 「中華民国政府」、「中華民国正式政府」と呼ばれた。孫文が非常大総統に就任した。→中華民国正式政府(国旗は写真右の青天白日満地紅旗に変わる。)

  3. 第3次広東政府(1923年3月 - 1925年6月) - 「中華民国陸海軍大元帥府大本営」、「広東大元帥府」、「広東大本営」、「広東革命政府」と呼ばれた。孫文が大元帥に就任した。→広東大元帥府 親ソ派 国共合作   (1924年に第3次広東政府が国共合作し、ソ連の援助を受け、暴力革命路線を明確化し、条約改正、租借返還を交渉ではなく軍事力で強引に進める方向に舵を切ることで北京政府と差別化に成功した。)       1925年3月 孫文北京で客死。

  4. 第4次広東政府(1925年7月 - 1926年12月) - 「広州(広東)国民政府」と呼ばれた。汪兆銘が主席委員に就任した。→広州国民政府  親ソ派 国共合作

  5. 武漢国民政府 1927年(主席:汪兆銘、南京国民政府との寧漢分裂後)  国共合作破棄、ソ連顧問団追放、南京政府とは蒋介石の下野を条件に統合、下野した蒋介石は日本を訪問し、田中首相と面談、一方汪兆銘は広州蜂起への関与を疑われ下野しフランスへ旅立ち、代わりに蒋介石が1928年1月復帰、西北軍閥馮玉祥、山西軍閥閻錫山、広西軍閥李宗仁が第2次北伐に合流

  6. 第5次広東政府(1931年5月 - 1936年7月) - 「広州(広東)国民政府」と呼ばれた。帰国した汪兆銘蔣介石派が南京政府の独裁に反対し結集したが、満洲事変の勃発による融和や蔣側の切り崩しにより、最後は首領の陳済棠が逃亡して瓦解した。

3 南京国民政府

  • 1927年~1937年 蔣介石が南京で樹立した国民政府反ソ派     中国国民党最初の主席は1928年2月就任した譚延闓(たんえんがい)、北伐完成後の同年10月蒋介石が後任の主席となる              1931年12月汪兆銘と和解し、蒋介石は主席を下野、林森が後任の主席に就任、1か月後、汪兆銘が行政院長に就任、2か月後には蒋介石は軍事委員会委員長に復帰している。

  • 1938年に梁鴻志が南京で樹立した中華民国維新政府。親日派       1940年、汪兆銘政権に吸収される

  • 1940年に汪兆銘が南京で樹立した国民政府。汪兆銘政権 親日派

  • 国民政府の首都が重慶から南京に戻る 1946年ー1949年 

4 武漢国民政府 1937年 - 1938年 : 蒋介石 :日中戦争時に、南京政府が武漢
  へと遷都していた時期の呼称  親ソ、反日、国共合作

5 重慶国民政府 1938年 - 1946年: 蒋介石 :日中戦争時に、南京政府が重慶
  へと遷都していた時期の呼称。親米、終戦までは反日、親ソ、国共合作
  1943年8月、林森主席が死去し、蒋介石が国民政府主席に再就任する。  

共産党が1949年10月1日北京でに中華人民共和国を樹立する。
中華民国政府は1949年12月7日に台湾に撤退して台北臨時首都を置いた。
  

このような知られていないエピソードが満載ですので、是非ごらんください。
日中近代史再整理1|CRAFT TOOLS
日中近代史再整理Ⅱ|CRAFT TOOLS
日中近代史再整理Ⅲ|CRAFT TOOLS
20 北伐の過程で実行された租借地実力回収や居留民攻撃は、義和団事件に匹敵する暴挙|CRAFT TOOLS
21 9か国条約は、条約に参加していないソ連とドイツが軍事顧問団を派遣したことで、条約の想定外の事態になった|CRAFT TOOLS
22 対華21箇条要求は、条約交渉の過程で日本側が出した最大限の要望であってそれを非難するのは筋違い、締結した2条約13交換公文になぜ言及しない|CRAFT TOOLS
23 ヤップ条約を知っているか。国際連盟が日本に委任した南洋諸島の統治に対するアメリカの割り込みと横車|CRAFT TOOLS
24 満州事変はクーデタであり、悪政から民を救った義挙である|CRAFT
TOOLS

25 1937年12月南京市の陥落時に何があったのか|CRAFT TOOLS
26 辛亥革命で満州族を虐殺、溥儀の退位協定により満州は中華民国に併合された|CRAFT TOOLS

いいなと思ったら応援しよう!