20 北伐の過程で実行された租借地実力回収や居留民攻撃は、義和団事件に匹敵する暴挙
北伐というと広東国民政府軍と北京政府との戦闘が主であるように勘違いする人が多いが、第1次国共合作した左派と中国共産党の北伐の目的は、租借地の実力回収や居留民攻撃であり、広東国民政府軍は、北京政府軍だけでなく、租借地を防衛する英米日の駐留軍とも戦闘をしていたことは、知られていない。租借地の実力回収と居留民への攻撃は、義和団事件に匹敵するような暴挙であった。
蒋介石は、共産党員を追放し、ソ連の影響を排除しないと、各国との条約改正交渉ができないと考え、上海クーデタを実行し南京政府を樹立した。
ソ連の外交官ヨッフェは孫文に近づき、国共合作を条件に広東国民政府に金銭的、軍事的支援を約束する。1924年、中国共産党との間で第1次国共合作が成立、広東政府の国民党に大挙、共産党員が入党する。
ソ連の指導を受けた国民党は、清朝、北京政府がこれまで外国と締結した条約をすべて不平等条約として破棄し、租借地回収、自主関税権を宣言するも、1925年孫文が「革命いまだならず」と遺言を残し、会議のため訪れていた北京で客死した。広東政府国民党軍事委員長の蒋介石が孫文の遺志を受け継ぎ、国民革命軍を組織、1926年北伐の開始を宣言する。
国民革命軍は広東から武昌、漢口に侵攻し漢口租界でイギリス現地軍と武力衝突した。(1927年イギリスは漢口租界、九江租界の返還に応じた。これが初の中国租界返還となる。)
また、1926年8月、四川省万県(現在の重慶)では、英商船の拿捕に端を発し、英側が砲艦2隻を派遣し、町に砲撃を加えて破壊する事件が起きた。(万県事件)
1926年に、北伐軍を迎え撃ち租借地を防衛するため、南方に展開した北京政府軍の呉佩孚は武漢で、孫伝芳は南京で国民革命軍に敗れた。
1927年に国民革命軍が南京で日米英の大使館に乱入に大使館員や外国人を拉致、暴行殺害する事件が起きた(南京事件)。英米は黄浦江からの砲艦の艦砲射撃で国民革命軍を攻撃した。この時、日本の幣原外務大臣はイギリスから共同作戦の誘いを受けたが、9か国条約に忠実であろうとし、攻撃に参加しなかった。中国は日本の弱腰外交を侮るようになり、漢口で共産党の扇動による日本人襲撃事件(漢口事件)が発生した。
蒋介石は、南京事件が国民党内に潜入した共産党員によるものであり、共産党員を追放しソ連の影響を排除しなければ各国と外交交渉ができないと考え、1927年4月上海クーデターを実行、共産党員を粛清し、南京に政府(浙江財閥で要職を固めた議会の存在しない一党独裁政権)をおいた。
日本国内では、居留民を守れない幣原外交に対して批判がおこり、若槻内閣は倒れ、政友会田中内閣(外務大臣は総理が兼務、外務政務次官は森恪)が成立する。日本政府は南京事件の対応を反省し、居留民の保護のため山東に出兵する(1927年5月第1次山東出兵)がほどなく撤退した。
1927年夏の北京政府軍との大会戦での北伐軍の敗北と南昌起義を理由に蒋介石は総司令の職と辞し、宋美齢(上海の浙江財閥の宋三姉妹の次女)の母(神戸在住)に結婚(再婚)の許しを得るため訪日した。11月には日本で田中首相と面談している。田中首相は、北伐を焦らず、まず南方の統一に専念するべきと述べたのに対して、蒋介石は、日本は張作霖の援助をやめ、北伐達成に協力すれば、満蒙問題は容易に解決すると述べた。会談の直後、汪兆銘より総司令への復帰を要請され帰国し、第2次北伐の準備にとりかかる。
蒋介石が北伐再開後、1928年4月日本政府は(参謀本部は反対したが森恪次官が推し進めた。)第2次山東出兵をした(北京政府軍が済南市を撤退した後の居留民の保護が目的で、北伐を妨害する意図はなかった。)が、北伐軍に加わった馮玉祥(ふうぎょくしょう)(このとき彼は直接ソ連の支援を受けていた。)と彼の国民軍を主力とする国民革命軍が、日本軍を騙し移動させたスキに日本街を襲撃、凄惨な日本人虐殺事件を起こした。怒った日本軍と国民革命軍との間で戦闘が発生する(済南事件)。
1928年5月、山東省済南で蒋介石国民革命軍と馮玉祥国民軍、閻錫山(えんしゃくざん)軍が奉天軍を撃破、張作霖は北京から満州に撤退、蒋介石国民革命軍が北京に入城した。(そのとき蒋介石は北京を北平に、直隷省を河北省に改名した。北京政府関係者の反発を買い、その後の華北分離工作につながる。)
済南事件の首謀者馮玉祥ら国民革命軍が、敗走する張作霖を追撃して満州に侵攻するのを食い止めるため、張作霖爆殺事件が起きる。
第1次国共合作後の北伐で、国民党左派および共産党員、馮玉祥が実行しようとした租借地の実力回収と居留民への攻撃は、義和団事件に匹敵するような暴挙であった。
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