見出し画像

42 馮玉祥がソ連の手先であったことを隠す歴史家たち 「嘘だらけの日中近代史シリーズ5」

 ソ連が広東政府を支援して国共合作させたことは有名であるが、実は北京政府直隷派政権にも接近していた。このソ連の申し出に、直隷派の一員であるが扱いに不満だった西北軍閥の馮玉祥(ふうぎょくしょう)が、飛びついた。

 その後の第2次安直戦争北京政変郭松齢事件の背後にすべて馮玉祥の裏切りがあるが、いずれもソ連の指示によるものである。


K・カール・カワカミの1938年の著書「シナ大陸の真相」(経営科学出版復刻改訂版)によると、「広東で軍士官学校に資金援助する一方で、モスクワは馮玉祥将軍のために騎兵隊学校を設立した。」
 蒋介石は1924年、ソ連が援助する広州の黄埔軍官学校校長に就任したことは有名だが、じつは同時期、華北地方においてソ連の援助による馮玉祥の騎兵隊学校が設立されていたことは知られていない。
「このような学校を設立する狙いは、ただ単に軍事的な目的のために学生を訓練することではく、革命的・共産主義的思想を彼らの心に植え付けることであった。」(前掲著書)
 
 馮玉祥は、蒋介石の国民革命軍に対抗して、北京政変後、自分の西北軍閥を国民軍と命名した。明らかに蒋介石に対抗意識を燃やしていたのである。

 日本の東大歴史学の北岡伸一著、「政党から軍部へ」中央公論新社では、
 馮玉祥を関東軍の手先のように書いている。(56ページから)宇垣日記に、馮玉祥の第二次奉直戦争での直隷派曹錕に対する裏切りは、出先の土肥原中佐の謀略であった、と書いてあるということをその根拠としている。

 しかし1924年10月の第二次奉直戦争と北京政変のときには、馮玉祥はすでにモスクワの指示で動いていたと考えるのが正しく、関東軍の土肥原中佐の謀略で動いたはずはない。そもそも馮玉祥は、米系プロテスタントのクリスチャンであり、反日主義者であったと考えるほうが自然である。

 北村稔「中国の正体」PHP文庫39ページによると、1924年にソ連の衛星国モンゴル人民共和国が成立したので、ソ連にとってモンゴルの旧宗主である清王朝の溥儀の存在は目障りとなったため、馮玉祥に北京の紫禁城の武力制圧、退位協定の破棄を指示したとされる。
 したがって馮玉祥は、ソ連の指示で紫禁城から溥儀を追放し、北京政府も手中にする算段だったと考えるべきである。

 翌年1925年には、馮玉祥は、奉直戦争では張作霖の味方をしたにもかかわらず、張作霖と軍事衝突、奉天軍の郭松齢を味方に取り込んで、張作霖を殺させようとしたが失敗し、郭松齢は張作霖によって惨殺され、馮玉祥はソ連に逃亡した。郭松齢事件)
 前掲北岡伸一著書では、馮玉祥が敗れた原因を、介入してきた関東軍の謀略としている。(関東軍が口先介入したことは事実だと思う。)
 (続く)

  1924年の北京政変に至る一連の出来事は、ソ連の謀略が明らかであるにもかかわらず、日本軍人の手記のみを根拠に関東軍の謀略で説明する日本の歴史学は、何を研究しているのか不思議な存在である。


このような知られていないエピソードが満載ですので、是非ごらんください。
日中近代史再整理1|CRAFT TOOLS
日中近代史再整理Ⅱ|CRAFT TOOLS
日中近代史再整理Ⅲ|CRAFT TOOLS
40 リットン報告書の英文において「Japanese aggression(日本の侵略)」という断定的な表現は存在しない    「嘘だらけの日中近代史シリーズ3」|CRAFT TOOLS
39 日本が国際連盟脱退後、国際的に孤立したという事実も、ドイツに近づいたという事実もない「嘘だらけの日中近代史シリーズ2」|CRAFT TOOLS
38 満州事変は世界恐慌と何ら関係ない  「嘘だらけの日中近代史シリーズ1」|CRAFT TOOLS
1 不戦条約違反第1号は1929年ソ連の満州侵攻(張学良の実力行使が原因)|CRAFT TOOLS
4 満州事変の原因は張学良が、日本と袁世凱との条約を破棄したから|CRAFT TOOLS

いいなと思ったら応援しよう!