【読了5分】返信できないまま大人になった私へ【自キュンシリーズ02】
「既読放置、はっけ~ん」
中村さんが、私のスマホの画面を肩越しにのぞき見して茶化すように言った。
(返してない。わかってる。)
昨夜23時14分。渡辺くんから届いたのは一行だけだった。
『明日の放課後、時間ある?』
グループLINEじゃなく、個人に。それだけで、夜中に何度も画面を開いた。3文字打っては消して、また打って。
結局朝になっていた。
令和六年の春。LINEの既読は、返事より正直だった。
「返してあげなよ」
中村さんが、いつもより少し低い声で言った。
(中村さんには、わからないよ。)
彼女はいつも返信が早い。好きな人には秒で返す。迷ったことなんて、たぶんない。
窓の外は昼休みの校庭で、サッカーボールを追う声が遠くから聞こえていた。雨上がりの土の匂いが、開いた窓から流れてくる。
———
渡辺くんを意識し始めたのは、三週間前だった。
理由なんてない。強いて言えば、あの日の帰り道。バス停で雨に降られて、傘を持っていなかった私に、無言で半分入れてくれただけ。
それだけだった。
(それだけなのに。)
名字は知ってた。クラスが同じだから。でも話したことは、ほとんどなかった。
チラッと校庭に目をやった。
あ、
いた。
ゴールの前で、腕まくりしたシャツの袖を直している。あの日、傘を半分くれた時と同じ、無造作な仕草で。
胸の奥が、一拍だけ速くなった。
スマホを開く。
『明日の放課後、時間ある?』
既読から、14時間が経っていた。
(返さなきゃ。でも。)
私には、返せない理由があった。
———
午後の授業が終わった。
「まだ返してないの?」
中村さんが、鞄を持ちながら言った。さっきより、声に色がついていた。
「……うん」
「なんで? 嫌いなの、渡辺くんのこと」
「嫌いじゃない」
「じゃあなんで?」
答えられなかった。
中村さんは少し眉を寄せて、私の顔をまっすぐ見た。
責めているんじゃない。ただ、秒速返答の彼女には本当にわからない、という顔だった。
「河合って、いつもそうだよね」
「……そう?」
「好きな人ができるたびに、自分で壁作って、そこから動かない」
胸の奥を、細い針で刺されたような気がした。
否定できなかった。
———
放課後の教室は、少しずつ人が減っていく。
椅子を引く音、鞄のチャックを閉める音、廊下に消えていく足音。その全部が、遠くなっていく。
中村さんは先に帰った。
私は席を立てないまま、窓の外を見ていた。校庭から人影が消えていく。夕陽が、校舎の壁をゆっくりと橙色に染めていく。
スマホを開く。
あれから、さらに2時間が経っていた。
(返したら、どうなるんだろう。)
返したら、何かが始まる。始まったら、終わる日も来る。
そういう癖が、私にはあった。
「か、河合?」
顔を上げると、渡辺くんが教室のドアに立っていた。
スマホじゃなくて、本人が来た。
———
渡辺くんは、ドアに片手をかけたまま立っていた。
制服のシャツが、夕陽で少し透けて見える。鞄を肩にかけた姿勢のまま、こっちをじっと見ていた。責めていない目だった。ただ、静かに待っている目だった。
「忙しかった?」
LINEで送ってきたのと、同じ言葉だった。
私は立ち上がった。椅子が床を引っ掻く音が、がらんとした教室に響いた。
「……忙しくは、なかった」
正直に言ったら、渡辺くんは少しだけ目を細めた。
「そっか」
それだけだった。
怒らなかった。責めなかった。ただ「そっか」と言って、廊下に視線を流した。その横顔が、夕陽の中で少しだけやわらかかった。
(17時間待って、それだけ?)
胸の奥が、じわっと熱くなった。
「……なんで教室に来たの」
聞いてから、しまったと思った。
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この先で、渡辺くんが教室まで来た理由がわかります。
返信できなかった私と、返信を待てなかった彼の放課後です。
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渡辺くんは、少しだけ笑った。
ふっと、口の端が上がる感じ。照れているのか、困っているのか、どっちともつかない笑い方だった。
「返信、来ないから」
それだけ言って、鞄の肩紐を持ち直した。指先が、少し強張っているように見えた。
(この人も、緊張してた?)
渡辺くんは廊下に視線を戻した。夕陽が廊下の床を橙色に染めていた。その光の中で、彼の横顔は少しだけ赤かった。夕陽のせいかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
「時間、あった?」
もう一度、聞いてきた。今度は少し声が低かった。
私は答えた。
「……ある」
渡辺くんがこっちを向いた。
目が、合った。
既読から18時間。 もう十分に放課後だった。
———
数年後。
あのとき、既読から18時間待って会いに来てくれた人がとなりにいる。
スマホじゃなくて、本人が来たあの人だ。
夕日で輝く緊張した指先を、ずっと忘れられないでいる。
返信より先に動ける人が、私はかわらず好きだった。
返信は今でも遅い方だ。
それでも、今も変わらず行動で示してくれる人がいる。
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自キュンシリーズを始めたのは、「言えなかった言葉」を誰かと一緒に持ちたかったからです。昭和も平成も令和も、時代が変わっても、好きな人の前でうまく喋れなくなる瞬間は変わらない。そのことが、なんだか愛おしくて。
このシリーズは全100本を目指しています。ポケベルから始まって、既読、伝言板、傘、公衆電話。道具は変わっても、その奥にある気持ちはいつも同じです。あなたのそばにあった「あの瞬間」を、これからも一緒に探しに行けたら嬉しいです。
スキは、いくつあってもいい。
このお話は少しだけノンフィクションです
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