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【読了5分】初恋を数字でしか送れなかった私へ【自キュンシリーズ01】

「0840って、なんて読むか知ってる?」

田中くんが、ポケベルの画面を私に向けた。

0840。

おはよう。

放課後の夕方に、わざわざ「おはよう」を見せてくる意味が、私には少しだけわかってしまった。


真新しい、傷ひとつない最新機器をこれ見よがしに見せてくる彼に、この自販機の前でよく捕まる。なんとなく、偶然じゃない―とは思っている。

このころ私はドクターペッパーにハマっていて、放課後になると必ずここに寄っていた。
田中くんはそれを知ってか知らないでか、時々ここで立ち話をしていた。

平成十年の夏。まだ誰もが携帯を持っていなかった頃の話だ。

———

「読めないの?」

田中くんはポケベルを夕陽にかざすようにして、少しいぶかしげに端末とこっちを交互に見ていた。

私は少しだけ間を置いてから、答えた。

「……おはよう、でしょ」

田中くんは一瞬、目を細めた。それから、ふっと笑い、頭をポンポンした。

(え。)

たった一瞬なのに、頭のてっぺんから熱くなった。

彼はポケベルを制服のポケットにしまうと、自販機のボタンをなんとなく眺めはじめた。

「ハマってるんだよね、これ」

缶コーヒーのボタンを押しながら、彼は言った。

自販機のフラップをはじくように開け、冷たい飲み物にさっと手を伸ばす彼の器用な所作を、ぼーっと見ていた。

その「ハマってる」が、私の「ハマってる」と同じかどうか。

(ん?おはよう? もう夕方なんだけど。)

私はドクターペッパーのボタンを押した。ガコン、と冷たい缶が落ちてくる。左手でフラップを開け右手で好物を取り出す。
あけてやろっか、という彼の手をやんわりとはたいた。

炭酸の刺激が、喉の奥まで降りていった。

夏を迎えにいくかのように沈む夕方の光が、シャッターの閉まった商店街の路地を橙色一色に染めていく。自販機の明かりだけが、妙に鮮やかだった。

そのとき、彼のポケベルが鳴り、ため息をついて画面をこっちに向けた。

新しい数字が並んでいた。

0906。

「誰か……ら?」と食い気味に私は言ってしまった。

田中くんは少し間を置いた。缶コーヒーを一口飲んで、それから、こっちを見ないまま言った。

「わかんない」

(なんで私に見せるのよ……。)

「えっと……」

缶コーヒーをグイっと飲み干し、彼はゴミ箱にその抜け殻をゆっくりと収めようとした。



この先で、0906の意味がわかります。

田中くんが本当に言いたかったことと、私が返せなかった言葉。
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「好きなんだよね」

息が、止まった。

「このコーヒー」

手から力が抜け、思わず表面の濡れた好物を落としそうになった。

(ははは…ですよね。)



「あと、青山が」

彼はコーヒーの抜け殻から手を離し、カランと1つ目が入った音が響いた。


私には、彼氏がいた。


同じクラスの、真面目で優しい人。告白されたのは春で、断る理由が見つからなかった。今も、ちゃんと好きだと思っている。思っていた。

(思って、いた。)

田中くんが振り返った。

目が合った。

「今度番号教えるね」

やわらかい声だった。
それがかえって、胸の奥に深く刺さった。

夕日は彼の告白をのぞき見するかのように姿を隠しながら、彼の好きなものを収めた空間に私の好きを入れられないこの時間に寄り添い、そして見送っていった。

100メートルを全速力で走った後のような鼓動がうるさくて、一歩動いたら、何かが終わり、始まる気がして怖かった。

———

田中くんとは高校を卒業して以来、一度も会っていない。

彼氏とは翌年に別れた。理由はうまく口にできなかった。口にできないまま、今日まで来た。

でも今でも、ドクターペッパーを見るたびに思い出す。

橙色の路地と、自販機の明かりと、「今度番号教えるね」という声を。

きっと、あの夕陽が夏を迎えに一緒に連れて行って、そのままなんだろう。



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▶ 公衆電話に、勇気を。【09】
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▶ 靴箱に、待ち時間を。【11】
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▶ ポケットに、ためらいを。【13】
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あとがき

2026年6月。東京都下の自室で、このシリーズの着手を決めました。

台風の雰囲気は通り過ぎ、この二人がいるような夕方に向かっていっています。

自キュンシリーズを始めたのは、「言えなかった言葉」を誰かと一緒に持ちたかったからです。昭和も平成も令和も、時代が変わっても、好きな人の前でうまく喋れなくなる瞬間は変わらない。そのことが、なんだか愛おしくて。

このシリーズは全100本を目指しています。ポケベルから始まって、既読、伝言板、傘、公衆電話。道具は変わっても、その奥にある気持ちはいつも同じです。あなたのそばにあった「あの瞬間」を、これからも一緒に探しに行けたら嬉しいです。

スキは、いくつあってもいい。


このお話は少しだけノンフィクションです

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