【読了5分】好きだと言えないから暗号にした日【自キュンシリーズ03】
「18:45にカフェさえばで待つ XYZ」
駅の古い伝言板に、白いチョークでそう書いてあった。
足が止まった。
会社に行くだけの朝に、そんな暗号を見つける予定なんてなかった。
平成19年の梅雨が手ぐすねを引いている5月末。
実家近くの一人暮らし、最寄り駅の改札を抜けて、誰かの言伝が時々書かれる古びた黒板の前を風景の一部として通り過ぎる。
会社と家の往復だけで、終わる一日に何の疑問もない毎日だった。
満員で押しやられた電車の窓際、ガラスに息を吹きかけ曇ったガラスに、三文字書いた。
子供の頃に知ったヒーローを呼ぶローマ字、3つ。
駅を一つ通り過ぎぬうちに、消えていった。
———
小学校の頃、珍しい苗字の男の子がいた。
黒板にデカデカとXYZの文字。
「くしづってXYZじゃん」
隣の席の、櫛津くん。
その発見に教室が笑いに包まれた。
彼は少し照れて、でも嫌そうじゃなかった。
私も笑った。
その日の帰り道、たからものをみせてやると彼が鞄から取り出したのは、分厚い少年漫画だった。
大都会を舞台にした、始末屋の話。
「これ読んだことある? ローマ字三文字で依頼できるんだよ」
(XYZ。くしづ、だ。)
食い入るように漫画を読む男の子とは、その春会えなくなった。
転校ということだった。
二十年が経った梅雨入り前の今日、黒いコートが、いつの間にかよく似合う大人になっていた。きっと。
笑顔は仕事の武器になっていた。
今朝、伝言板に見つけた暗号が、なぜか頭から離れなかった。
(まさか、私宛か?それともいたずらか?
でも。
でも、でもでも…
二十年だよ。そんなの、
そんなの、奇跡だよ。
ヒーロー。)
電車の窓の外は昨日より深い鉛色の空が広がっていた。
———
定時に会社を出ることにした。
いつもより、少しだけ早く仕事を切り上げた。
乗り換えに使うターミナル駅の人波は、誰も立ち止まらない。
肩がぶつかっても、振り返らない。
冷たいコンクリートの上を、みんな同じ速度で
昨日と同じ今日を泳いでいく。
最寄り駅で降り、北口のスーパーに寄ろうと思った。
でも、改札を通る直前に足が止まった。
(二十年...だよ。
二十年、なんだよ…)
人波を避けるように改札右手の伝言板の前に移動した。
「18:45にカフェさえばで待つ XYZ」
まだあった。
腕時計を見る。 伝言板を見る。
ふと、伝言板の貼り紙が目に入った。
「当伝言板は今月末をもって撤去いたします」
今日は5月の31日、木曜日だった。
(え
え
え
もうあとがない、そんな時の暗号だったよな…)
南口から243歩。
子供の頃からある「カフェさえば」の扉の前に私は立った。
冷たい梅雨の風が、黒い大人コートの裾をはたいた。
扉の隙間から珈琲の匂いが漏れてくる。
若かったマスターは今もマスターで、こちらを気にする様子もなくゆったりと仕事をこなしていた。
手が、震えていた。
寒いのか、怖いのか、
わからなかった。
扉までの30cmが永遠のように遠く、手を伸ばすことができなかった。
時計は残酷にも止まることなく進み続けた。
大きく息を吸い込んで、扉を開けたのは18:43だった。
ギィィっという音と、乾いたベルの音の二重奏。
マスターの「いらっしゃい」を遮るように
ここから先で、XYZの答えがわかります。
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「櫛津!」
「あ、すんません」
聞き覚えのある女性の声に視線が集まった。
カーテンは、緑に黄色。
カウンターのランプはオレンジと赤。
壁は紫と青の花柄タイル。
少し汗をかいた青いジャグ。
天井から下がる黄緑のシェードも昔から変わらない。
ぬぼっとした長身の男の照れたほっぺは桃色だ。
「……久しぶり」
大人になった櫛津くんの声だ。
「うん」
それだけしか言えなかった。
マスターが何も言わずホットコーヒーを机に2つ置いた。
カップは柄も形も違うマスターが長年かけて集めたコレクションだった。
「サービス、ごゆっくり」マスターの声はあの時のままだった。
二人とも、何を話せばいいかわからなかった。
———
六月二日、土曜日。雨。
梅雨の始まりを冷たい雨が告げていた。
私は真っ赤な膝丈のコートを着て、駅前できりのいい時間を待とうと思って家を出た。
グリーンの傘を持ったイケメンとは言えない男子がその場所に立っていた。
古びた黒板にはブルーシートがかかっていた。
「クリスマスかよ!」
傘を指さして私は、笑った。
「挨拶だなぁ」
2人とも笑った。
———
2026年の春。
私はAI技術を用いて、このお話で過去にケリをつけることにした。
そうなればいい未来は行動をしないと訪れない、と。
伝言板はもうない。覚えている人も少ないだろう。
でもあの白いチョークで記された文字の全てが、誰かの日々を彩っていた。
時計は23:32。
明日は令和八年六月三日、水曜日、雨の予報だ。
同じ無料公開の入口はこちら。
▶ ポケベルに、14106を。【01】
https://note.com/yagiwooo/n/nddf1f2b46340
▶ スマホじゃできない、返信を。【02】
https://note.com/yagiwooo/n/nfb3187fd4e15
続きの有料話はこちら。
▶ アカウントを、変えた夜に【04】
https://note.com/yagiwooo/n/n06c29b0c9c49
あとがき
今、電車が不慮の事故で止まっています。
満員の車内で、これを書いていて、電車のガラスに文字を書くという描写を思いつき、慌てて物語を書き換えました。
このタイミングでなければ思い付かなかったと思います。
自キュンシリーズは1話から3話までを無料公開中で、気に入ってくれる方を
探すことにしています。
4話以降は自販機価格の¥180。いやはや、コーラも高くなったもんだ。
スキだけでも貰えたら、うれしいです。
私にとってもとても大切なこのお話たちが
あなたの彩りになれば幸いです。
このお話は少しだけノンフィクションです
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