【読了5分】雪のピッチに、12番を。【自キュンシリーズ19】
「もっとしぼれしぼれ!」
キーパーの中川の声は、テレビ中継でも拾われるほど大きかった。
一月の国立競技場には、雪が降っていた。
白い粒が、照明の下で斜めに流れている。芝はもう緑じゃない。ところどころ土が見えて、選手のスパイクが滑るたび、黒い泥が跳ねた。
後半八十七分。
スコアは、二対一。
私たちは、勝っていた。
あと三分。
たった三分。
でも
サッカーの三分は、たまに一生より長く、奇跡を呼び込むには十分な時間となる。
私はスタンドの最前列で、十二番のユニフォームを着ていた。
ベンチには入れなかった。
マネージャーじゃなかったから。
選手
だったから。
今も変わらないことはあるけれど、当時は女子が男子と一緒に練習できても、公式戦には登録できないことがあった。
中川がまた叫ぶ。
「右! 右切れ!」
右サイドの森下が、返事の代わりに手を上げた。
森下は誰よりも足が速い。
けれど、
本当に速いのは戻る時だった。
攻めたくて仕方ない顔をしているくせに、誰より先に帰ってくる。
だから私は、森下の手のひらに書いた。
帰れ
「なあ、ひどくね?」
「森下には、それがいいの」
森下は文句を言っていたが、書いてしまったものは消せない。
その掌を、試合中、何度も見ているように私には見えた。
センターバックの飯島には、堅忍不抜。
小学生の頃から、笑うより先に首を振る人だった。痛い時も、悔しい時も、だいたい「別に」と言う。別に、じゃない顔で。
相方の大野には、返せ。
背は高くない。足も速くない。でも、最後の最後で、なぜかそこにいる。
左サイドの奥田には、前。
寒いと鼻が赤くなる。本人は嫌がっていたけど、今日も真っ赤だった。それでも下を向かない。奥田はいつも、前を見る。
ボランチの篠原には、燃えろ
声は小さい。でも、手で全部指示を出す。
篠原が首を振ると、チームの温度が一度だけ上がる。
もう一人のボランチ、三枝には、拾え。
こぼれ球を拾う。誰かのミスを拾う。
言い訳を拾わない。そういうかっこいいやつだ。
左のハーフ、宮内には、走れ。
本人は「俺、体力ないから」と言い続けていた。誰よりも最後まで走るくせに。
十番の榊には、為せば成る。
榊には、スカウトが来ていた。
まだ、Jリーグという言葉が、新聞の中で少しだけ浮いていた頃。
大人たちは榊に心を奪われていた。
うまいやつは、自分だけではなく、誰かの思いも連れて次の時代へ行く責任があるのだと思った。
榊は、その候補だった。
左利き。雪でもボールが足から離れない。
自分のことを天才だと言わないのに、全員にそう思わせる男。
でも、榊がいちばん信じていたのは、自分の左足じゃなかった。
「お前がいないと、俺らすぐ勝手なことするから」
試合前、移動用のバスを降りて、榊は私にそう言った。
「監督の言うこと聞けよ、今日は」
私の声は震えていた。
「だから、ほれ」
榊が右手を差し出す。為せば成る。
「場所がどこかじゃねぇ。見えるところにいればいいから」
それで、私はここにいる。
フォワードの相馬には、決めろ。
決めても泣く。外しても泣く。練習でビブスを忘れても泣きそうになる。
忙しい男だ。
もう一人のフォワード、久我には、信じろ。
シュートが下手。でも、信じるのがうまい。自分より、味方を。
そして中川。
キーパー。
声だけなら、全国優勝。
中川には、声。
「それだけかよ」
「中川は、それで全国取れるでしょ」
中川は笑って、グローブをはめる前に、何度もその字を見た。
十一人の手のひらにのって、私はピッチを駆け巡った。
森下はスローインの前に、左手を見る。
飯島は相手を倒したあと、手のひらを握り直す。
榊は雪の上で倒されたあと、自分の手を見る。
中川はゴールキックの前に、グローブを一度だけ握りしめる。
私はベンチにすら入れない。
同じ目線で見ることはできない。
でも。
私たちは、ピッチにいた。
後半八十七分。
相手のコーナーキック。
白い息が、ゴール前に集まる。中川が両手を叩いた。
「しぼれ! もっとしぼれ!」
ボールが上がる。
時間が、止まった。
飯島が競る。
大野が跳ね返す。
三枝が拾い損ねる。
相手がもう一度、振り抜く。
榊の反応!。為せば成る!
シュートは、榊の背中に当たった。
雪が舞った。
ボールは外へ転がった。
中川が、国立ぜんぶに聞こえる声で叫んだ。
「まだ終わってねえ!」
その声で、十一人がもう一度、前を向いた。
試合終了の笛が鳴ったのは、2度目のコーナーキックの顛末が
大きくクリア
と筆を置いた時だった。
二対一。
全国優勝。
国立が、壊れたみたいに鳴った。
応援席は人で埋め尽くされていた。同じ学校の生徒。先生。父兄。ファン。雪で濡れたマフラー。紙吹雪の代わりに、白い息。
長い笛が鳴りやまぬうちに、ピッチの男たちは、こっちに走ってきた。
応援席の前で、横一列に並ぶ。
周りから見れば、ただの優勝報告のように感じただろう。
中川が叫んだ。
「っあっっした!!」
十一人が、深く頭を下げた。
割れんばかりの拍手と歓声が世界の中心を埋め尽くす。
雪は、静かに静かに彼らの背中に落ちる。
ひとひら
ふたひら
また、ひとひら。
顔を上げた十一人が観客にこたえるように手のひらをこちらに向け、
広げた。
声
帰れ
堅忍不抜
跳ね返せ
前
静かに燃えろ
拾え
まだ走れ
為せば成る
泣くな、決めろ
最後まで信じろ
周りには見えない。たぶん、テレビにも映らない。
私のピッチでの姿たち。
九十分、ともに戦ったマジックの黒。
私は、十二番のユニフォームの裾を強く握った。
背番号12ユニフォームにある十一個のメッセージ。
背中の番号のまわりに、みんなが書いてくれた、メッセージ。
お前も声出せよ
よく見とけ!
お前がライバル。
勝ったらユニフォーム交換な。
お前も前を見ろ。
声は届く!
拾うぜ!
快走力。
交代してw
泣くなよ!
信信信!信!!
私は、一つずつ声には出さずに読んだ。
感情を抑えることに今は精いっぱいだ。
私の横で応援していた恰幅のいい初老の男が、少しだけ笑っていった。
「お前が、一番嫌いな選手だったよ」
準決勝でうちに負けた学校の先生だった。
県外の強豪。何度も練習試合をして、勝ったり、負けたり、だいたい負けたりした相手。
その人はいつも、私を見ていた。
女子だから、ではない。
たぶん、サッカーを見ていた。
私は、返事ができなかった。
先生は、私の肩を軽く叩いて続けた。
「こんなやつらにしやがって」
関連記事はこちら。
サッカー三部作の続きはこちらです。
・【自キュン20】生活に、もう一度、青を。
https://note.com/yagiwooo/n/n54fa04be99e9
・【自キュン21】朝の五時に、青を。
https://note.com/yagiwooo/n/n5c6b03fd9f33
同じ“言えなかった青春”の物語です。
・【自キュン01】ポケベルの話
https://note.com/yagiwooo/n/nddf1f2b46340
・【自キュン03】伝言板の話
https://note.com/yagiwooo/n/na8cea4ea0286
・【自キュン09】公衆電話の話
https://note.com/yagiwooo/n/nf6cc21715b09
あとがき
小学校の時、サッカーのクラブに入っていたのですが、女子生徒も二名、同じクラブで参加していました。
小学校高学年になると、男子の中でも負けないくらい体が強くなる子がいました。
当時、サッカーはまだ「男子のもの」という空気が強かったけれど、彼女たちにとっては、そこに入るしかなかったのだと思います。
成長していくにつれ、ピッチからベンチへ。
選手からマネージャーへ。
そう変わっていく流れも、たしかにありました。
でも今では、多くの女子選手が世界で戦っています。
同時に、サッカーをしていた人も、していなかった人も、いつかはスタンドで応援する自分になることができます。
ピッチに立つ人がいて、ベンチにいる人がいて、スタンドで声を枯らす人がいる。
2026年6月15日の朝7時は熱気が冷めぬまま会社へ向かう用意が必要な時間になっています。
サッカーは、息の長いスポーツだなぁと思います。
本記事はフィクションです。
一部、実在の高校サッカー文化や時代背景から着想を得ていますが、登場人物・学校・試合内容は架空です。
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