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【SSBJ対応 第3回】一般開示基準の主戦場は「人的資本」|政策・制度・実務の3つの潮流

【SSBJ連載記事】
第1回|義務化が確定したSSBJ基準
第2回|キリンHD VS みずほFG
第3回|一般開示基準の主戦場は「人的資本」(本記事)
第4回|第三者保証への備えと対応8ステップ

前回(第2回)は、早期適用したキリンHD・みずほFGの開示項目の大半(キリン8項目中7項目、みずほ10項目中9項目)が 一般開示基準 によるものであり、気候基準の対象は「気候変動」だけだったことを確認しました。

では、一般開示基準の対応は、どのテーマから本格化するのか。

答えは 人的資本 です。今回はその根拠と、実務として何を準備すべきかを整理します。



1. なぜ人的資本なのか──3つの潮流が一点に集中している

気候以外のサステナビリティテーマは、人的資本のほか、人権、生物多様性・自然資本、情報セキュリティ、サーキュラーエコノミーなど多岐にわたります。そのなかで人的資本が突出しているのは、政策・制度・実務の3つの流れが同時に人的資本に集中している からです。

① 政策:人的資本可視化指針の改訂(2026年3月23日)

2026年3月23日、内閣官房(非財務情報可視化研究会)が「人的資本可視化指針」の改訂版を公表しました。

改訂のポイントは3点です。

  • 経営戦略と人材戦略の連動を強化

  • 「あるべき組織・人材の姿」と、それを実現するために必要となる人的資本投資の整理を推奨

  • 投資家の期待に応える開示の充実を明確に要請

「人材育成方針を書きました」で終わる開示から、「経営戦略の実現に、どの人材ポートフォリオが必要で、そこにいくら投資するのか」を語る開示へ──という要請です。

② 制度:有報記載の高度化(開示府令改正 2026年2月20日)

2026年2月20日の開示府令改正により、人的資本情報が「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄に集約 されました。

そして、従来の人材戦略・従業員給与等の決定方針に加えて、ガバナンス・リスク管理の記載が要求 されるようになりました。

ここに注目してください。ガバナンス/戦略/リスク管理/指標及び目標──これは SSBJの一般開示基準が求める4要素(コア・コンテンツ)とまったく同型の構造 です。

つまり、開示府令の側からも、人的資本について「SSBJと同じ形で書きなさい」という要請が来ているということです。制度が接続されつつあります。

③ 実務:ISO30414の浸透

実務側でも、人的資本の測定・報告の標準化が進んでいます。

  • 人的資本レポートの開示企業は76社に拡大(2026年6月時点)

  • 認証・保証の取得は国内25社・世界34社(2026年6月時点。三井物産、サントリーHD、日清食品等)

  • ISO30414:2025(2025年8月改訂)で 14の必須指標を新設し、要求事項化

  • 人的資本経営のマネジメントシステム規格 ISO30201 も2026年6月に発行

特に押さえるべきは、ISO30414が2025年8月の改訂で 必須指標を要求事項化した ことです。これまでガイドライン的な位置づけだったものが、認証・保証に耐える「基準」としての性格を強めています。

そして、認証・保証を取得する企業が国内で25社にまで増えているという事実は、人的資本指標が「保証される対象」になり始めている ことを意味します。第4回で扱う第三者保証の範囲拡大を見据えると、これは偶然の一致ではありません。

+ 早期適用2社の実績

これに加えて、第2回で見たとおり、早期適用2社がともに人的資本に一般開示基準を適用済みです。

  • キリンHD:「人的資本」

  • みずほFG:「人材基盤」「労働環境」

酒類・飲料・食品と金融という異なる業種で、いずれも人的資本が重要項目として識別されている。業種を問わない共通項 であることの、実務上の裏付けです。


2. 参考:TISFDベータ版0.1の公表と、その読み方

人的資本まわりでもう一つ、2026年に動きがありました。TISFD(不平等・社会関連財務情報開示タスクフォース/Taskforce on Inequality and Social-related Financial Disclosures) が、2026年5月に フレームワークβ版0.1 を公表しています。

TISFDとは

  • 2024年9月発足

  • 企業・金融機関が「人」に関する インパクト・依存・リスク・機会 を把握し開示するための枠組み

  • 2026年5月にβ版0.1を公表(概念的基盤+開示提言の初期ドラフト)。意見募集は2026年7月31日まで

  • 最終版は2027年公表予定

開示提言の構造

ガバナンス/戦略/インパクト・リスク管理/指標 の4本柱+5つの一般的要求事項。TCFD・TNFDと同型の構造です。

特徴は対象範囲の広さで、自社にとどまらず バリュー・チェーン全体や、影響を受けるコミュニティまで 拡張されます。「企業活動 → 人への影響 → 不平等 → リスク・機会 → 財務影響」という経路を整理する枠組みです。

SSBJ(一般開示基準)との違い

●位置づけ
SSBJ= 法定開示(義務)
TISFD=任意のフレームワーク(策定途上)
●マテリアリティ
SSBJ=シングルマテリアリティ(財務的重要性)
TISFD=インパクト・依存を起点に財務へ接続
●対象範囲
SSBJ=連結グループ+バリューチェーン(リスク・機会ごとに決定)
TISFD=バリュー・チェーン労働者やコミュニティまで含む、より広い範囲

実務への示唆──方針転換は不要。ただしデータ基盤は別

ここは冷静に整理する必要があります。

当面はSSBJ対応(法定)を優先すべきです。 TISFDは任意かつ策定途上であり、最終版は2027年予定。現時点でSSBJ対応方針を全面的に見直す必要はありません。

一方で、次の2点は押さえておく価値があります。

  1. 「影響 → リスク・機会 → 財務」の経路整理の考え方は、一般開示基準のリスク・機会識別にも応用できます。 SSBJでも、なぜそのテーマが財務的に重要なのかを説明する必要があるためです。

  2. 不平等が金融システムに波及する「システムレベルリスク」は、機関投資家の関心事項です。 将来の対話(エンゲージメント)で論点になり得ます。

結論:人的資本開示の方針転換は不要。ただしデータ基盤は、将来のバリュー・チェーン・コミュニティへの範囲拡張を見据えて設計しておくことが得策です。

いま人的資本のデータ収集基盤を作るのであれば、「自社(単体)だけ」で閉じた設計にせず、連結グループ、そして将来的にはサプライチェーンまで拡張できる構造にしておく。この程度の先読みは、追加コストがほとんどかからないわりに効きます。


3. 実務:重要性がある情報の特定と、開示基準の振り分け

ここで、SSBJ対応の中核である「重要性がある情報の特定(財務マテリアリティ特定)」の流れを整理しておきます。

SSBJは シングルマテリアリティ(財務的重要性) の観点で重要なリスク・機会を特定します。そして、その結果として各トピックに一般開示基準/気候基準のいずれを適用するかが決まります。

特定の5ステップ

STEP1:リスク・機会の識別
自社の事業に関連するサステナビリティ関連のリスク・機会を洗い出す
STEP2:バリュー・チェーン範囲の決定
上流〜自社〜下流のどこまでを対象とするかを、リスク・機会ごとに決定
STEP3:SASB/産業別ガイダンスの考慮
SASB開示トピック、ISSB産業別ガイダンスを参照して適用可能性を考慮
STEP4:影響度×発生可能性の評価
二軸で評価(定量しきい値/定性判断を設計)
STEP5:重要性がある情報の特定
開示すべきマテリアリティを確定

特定後、適用基準が決まる

一般開示基準を適用するトピック

  • 気候変動「以外」の重要トピックに適用

  • 例)人的資本/人権/情報セキュリティ/生物多様性 等

  • ガバナンス・戦略・リスク管理・指標及び目標の4要素 を、SASBスタンダードを考慮しながら開示

  • 早期適用2社も人的資本にこの基準を適用済み

気候関連開示基準を適用するトピック

  • 「気候変動」トピックに適用

  • TCFDの4要素に加え、Scope1・2・3、シナリオ分析に基づく 気候レジリエンス評価 等を要求

  • 産業別ガイダンスを参照し適用可能性を考慮

  • GHG排出はGHGプロトコル等を使用(温対法のSHK制度による測定値を用いる場合は温対法基準)

実務上の落とし穴:統合報告書のマテリアリティは、そのまま使えない

ここは非常に多くの企業がつまずくポイントです。

一般的に、統合報告書向けに作成したマテリアリティは、

  • 投資家向けに限定されておらず、マルチステークホルダー視点で作られている

  • ダブルマテリアリティ(環境・社会へのインパクトも重視)の考え方に立っている

ため、シングルマテリアリティを前提とするSSBJ対応にはそのまま使用できません

「うちはもうマテリアリティを特定済みだから大丈夫」という前提でスタートし、後から母集団の作り直しが発生する──というのは、実際によく起きる手戻りです。既存のマテリアリティは有用な出発点にはなりますが、SSBJの観点で再評価するプロセスが必ず必要 だと考えてください。

キリンHDがGMMを出発点にしつつ、そこにIFRS S2産業別ガイダンスとSASBを加味して再構成したのは、まさにこの再評価を行った例です。


4. いま何から着手すべきか──人的資本に絞った優先順位

以上を踏まえ、人的資本領域で先行して着手すべき事項を3つに絞ります。

① 指標の算定基準を標準化する

「女性管理職比率」ひとつとっても、管理職の定義、集計時点、対象範囲(単体か連結か、海外子会社を含むか)が部署・拠点でバラバラなケースは珍しくありません。ISO30414等の枠組みを活用し、算定定義の文書化 から着手してください。これは第4回で扱う第三者保証の前提条件でもあります。

② データ収集体制を、連結・将来拡張を見据えて設計する

SSBJの報告企業の範囲は、財務諸表と同じ 連結グループ全体 です。人事システムが国内単体しかカバーしていない企業では、ここが最大のボトルネックになります。将来のバリュー・チェーンへの拡張余地も考慮した設計が望ましいところです。

③ 4要素の「器」を用意する

一般開示基準は、リスク・機会ごとに ガバナンス/戦略/リスク管理/指標及び目標 を求めます。人的資本について、この4つを説明できるでしょうか。特に「リスク管理」──人材リスクをどのプロセスで識別・評価・モニタリングし、全社リスク管理にどう統合しているか──は、多くの企業で記載の薄い領域です。開示府令改正でも同じ要求が加わっています。


5. 第3回のまとめ

  • 気候以外のテーマのうち、政策(可視化指針改訂)・制度(開示府令改正)・実務(ISO30414)の3つの潮流が人的資本に集中

  • 開示府令改正で求められる人的資本のガバナンス・リスク管理は、SSBJの4要素と同型の構造

  • ISO30414:2025は 14の必須指標を要求事項化。認証・保証取得は国内25社・世界34社に

  • TISFD(2026年5月β版0.1、最終版2027年予定)は任意かつ策定途上。SSBJ対応方針の全面見直しは不要だが、データ基盤は範囲拡張を見据えて設計を

  • 統合報告書のマテリアリティ(ダブルマテリアリティ)は、SSBJ(シングルマテリアリティ)にそのまま流用できない

  • 人的資本で先行すべきは ①指標の算定基準の標準化 ②連結を見据えたデータ収集体制 ③4要素の「器」の整備

次回(最終回)は、第三者保証を扱います。保証の担い手が国内で不足しているという構造的な問題と、開示準備と並行して何をすべきか。そして、SSBJ対応を計画に落とし込むための8ステップを整理します。
次回は8月28日公開予定です。


お問い合わせ

人的資本開示の高度化、ISO30414を活用した指標の標準化、マテリアリティ特定(SSBJ観点での再評価)について、ご相談を承っております。

株式会社Re-grit Partners GRC Advisory
Director 田中 義人(Yoshito Tanaka)
yoshito.tanaka@regrit-p.com


本記事は2026年7月時点で公表されている情報に基づいて作成しています。

主な参考資料
内閣官房「人的資本可視化指針(改訂版)」(2026年3月23日)
金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」改正(2026年2月20日)
ISO 30414:2025
TISFD "TISFD Framework Beta Version 0.1"(2026年6月)
SSBJ適用基準・一般開示基準・気候関連開示基準
上記を基に弊社で整理


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