人が普遍的に希求する「暮らしの本質とその環境」
『生駒谷暮らしの研究室』では、あえて何気ない日常も話題にすることで、「暮らし」において人が普遍的に希求するものについて考えます。
個人的に三食の中で「朝ごはん」を一番大事にしています。これは理屈抜きで、とにかくその時間が好きだから。そのため「朝ごはん」に関する話題はチラホラ登場します。
朝食に関しては作って食べて片付けるまでを二時間くらいかけ、その一連の作業の間に一日のチューニングをしたい性分なのです。
早起きしてこの時間を取ることができると、その日は仕事であろうと、執筆であろうと、めちゃくちゃ集中できるというもの。
これはいわゆる「ていねいな暮らし」というよりも、できるだけ時間をかけてかけて自分をほどいておく「ゆるゆるな暮らし」の始め方のお話です。
締めるためには最初に余白が必要、というわけ。
万葉考古的ライフ
そして暮らしの環境を考える手がかりとして「万葉集」にも注目しています。生駒は奈良の片隅にある一地域。生駒山も歌に登場します。古代人の暮らしや観察眼、心情が瑞々しく残る『万葉集』もまた、古代の地誌や民俗を調べる上で参考になりそうです。
・『万葉集』の歌に詠まれた「コト(歴史)」
・歌に登場する「モノ(道、地名、建築、山、生活用品、食べ物など)」
・当時の人の心情が吐露された「アヤ(文学表現)」
こうした歌に詠まれた事物や感情、今に残る考古学的資料としての遺跡や遺物、古文書(木簡)、そして今も昔も変わらず存在するもの、失われたもの、新たに登場したものを通して、現代と古代の暮らしを対比的に眺めてみる。
そうすると、今も昔も変わらない、人が普遍的に希求する「暮らしの本質とその環境」が見えてくるのではないでしょうか。
古事記や日本書紀に倭建命が望郷の想いを込めて詠んだとされるの古代の歌が記されています。その一節にある「大和は国のまほろば」という言葉。
「まほろば」とは「住みやすい最高の理想郷」を意味する古語で、私が探究する暮らしとその環境の話も、いわば「今と未来のまほろば」についての思索に他なりません。
研究フィールドとしての「食べられる生態園」
地域の環境活動としての自然観察や栽培・採取が可能な半自然フィールドとしての生態園の整備などについて話題にします。
これは昨今の国際的な課題にも掲げられている気候変動やネイチャーポジティブを考慮した実践的な取り組みであると同時に、生駒谷の内側から豊かな暮らしとその暮らしを本質的に実現するための環境について再定義を図る意図を孕んでいます。
結局のところ、人が暮らす上で本当に希求しているのは、よそから物見雄山にやってきた観光客をもてなし、その土地を消費し汚してもらうことではないはずです。
私が「食べられる生態園」にしたいと思っているその二つの土地は、私が関わり始める前まで、はっきりいってゴミだらけでした。でも自分が暮らす地域の真ん中にそんな風にされる場所はあって欲しくなかった。
自然環境と人間社会、ひと繋がりの暮らしの構造
市はこの街を宅地開発することに飽きて、今度は観光地として開発しようとしている。観光業や宿場町の営みは外貨(ここではその地域の外から流入する金銭)の獲得には有益だけれど、その土地の純粋な暮らしとはまた別の次元の話でもあります。
だからビジネスの場と暮らしの場は、基本的には切り離して考える必要があるし、見物用の外向き用の空間(エリア)と、その土地の人が安心して過ごせる「暮らしのための空間(エリア)」は、明確に区分けされているのが理想です。
そうでなければ、その地域の治安維持が難しくなる。
その土地に居ないはずのものが「暮らしのための空間」を彷徨くことへの警戒心を忘れてはなりません。
だからこそ『生駒谷暮らしの研究室』ではその環境から得られる恵みを享受することと、その地域を手入れすることは「ひと繋がりの暮らしの構造」であると考えます。
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