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䞇葉考叀的ラむフ and JOURNEY

 地理的芁玠からその地域の暮らしや産業など人の営みを読み解く「地誌」ず、人が暮らしの䞭で探求しおきた経隓知や粟神ずしおの「民俗」。これらの芖点から未来ぞず繋ぎたい「暮らしの環境」に぀いおの探求ず思玢を個人的な圚野研究ずしおいたす。

 この探求の基本はマップを鳥瞰する芖野二次元×暙高䞉次元ず、地道に歩き回る虫的フィヌルドワヌク実䜓隓。加えお叀代から珟代、そしお未来ぞずたたがる「長期芖野の環境倉化」ずいう、いわゆる「魚の目」の芖点も重芁です。
 だから地理条件や怍生の倉化、いにしえの民俗から珟代民俗ぞの倉遷ず興味を向ける察象は広がりたす。

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倧和は囜のたほろば

 叀事蚘や日本曞玀には「倧和は囜のたほろば」ずいう蚀葉が登堎したす。
 これは倭建呜ダマトタケルノミコトが望郷の想いを蟌めお詠んだずされる、以䞋の叀代の歌の䞀節です。

倭やたずは 囜の真秀たほろば たたなづく 青垣あをかき 山籠やたごもれる 倭やたずし麗うるはし

【歌の解釈】
倧和は囜のなかでももっずもよいずころだ。重なりあった青い垣根の山、その䞭にこもっおいる倧和は、矎しい

『新線日本叀兞文孊党集 1 叀事蚘』 小孊通1997.6 (233「望郷の歌」918//1)
レファレンス協同デヌタベヌス囜立囜䌚図曞通

 この「たほろば」ずは「䜏みやすい最高の理想郷」を意味する叀語で、私が探究する「暮らしの環境」もいわば、「今ず未来のたほろば」に぀いおの思玢に他なりたせん。


暮らしの手がかりずしおの「䞇葉集」

 そしお叀代人の暮らしや芳察県、心情が瑞々しく残る『䞇葉集』もたた、叀代の地誌や民俗を調べる䞊で参考になりそうだず泚目しおいたす。奈良には「䞇葉文化論」「䞇葉考叀孊」を研究されおきた先生がおられたすが、この芖点がこれたた非垞に興味深いのです。

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  • 『䞇葉集』の歌に詠たれた「コト歎史」

  • 歌に登堎する「モノ道、地名、建築、山、生掻甚品、食べ物など」

  • 圓時の人の心情が吐露された「アダ文孊衚珟」

 こうした歌に詠たれた事物や感情、今に残る考叀孊的資料ずしおの遺跡や遺物、叀文曞朚簡、そしお今も昔も倉わらず存圚するもの、倱われたもの、新たに登堎したものを通しお、珟代ず叀代の暮らしを察比的に眺めおみる。

 そうするず、今も昔も倉わらない、人が普遍的に垌求する「暮らしの本質ずその環境」が芋えおくるのではないでしょうか。

「䞇葉考叀孊」ずの出䌚い

 私が「䞇葉考叀孊」ずいう蚀葉抂念、あるいは孊問領域を知ったのは2025幎のこず。奈良県立䞇葉文化通で開催された、石川盎暹さんの写真展『NEW PAST 飛鳥・藀原から東アゞアぞの旅』がきっかけでした。

䌚堎入り口の倧刀ポスタヌにサむンがありたした

 石川盎暹さんず蚀えば、倧きなゞャバラのフィルムカメラを携えおヒマラダぞ赎き、2024幎には8,000m玚の高峰党14座ぞの登頂日本人では二人目を果たし、より䞀局話題になりたした。

 その前に23歳で䞃倧陞最高峰を圓時の最幎少蚘録で制芇しおいるので、根っからの冒険家ずも蚀えそうです。ご本人は写真家を名乗っおいたす

 人が暮らせない蟺境ばかりに身を眮いおいるのかず思いきや、文化人類孊や民俗孊ぞの造詣も深く、各地の環境に応じた民族の暮らしや民俗颚習の探究にも粟力的に取り組たれおいたす。

 写真展『NEW PAST 飛鳥・藀原から東アゞアぞの旅』の䌚期終了が近づくころ、䞉者錎談おいだん石川さんの他、写真展のキュレヌタヌを務めた䞇葉文化通の研究員、奈良県䞖界遺産宀調敎員の䞉者のトヌクむベントが催されたした。
 その時お聞きした話では、「最埌の山」であるシシャパンマ遠埁の合間の日本垰囜䞭、石川さんは奈良ぞやっおきお「飛鳥・藀原」の写真を撮っおいたそうです。

これらの著曞には盎筆サむンをいただきたした

その旅は぀たり゚ンタメではなく

 シシャパンマはヒマラダ山脈にある暙高8,027m䞖界第14䜍の山で、䞭囜チベット領内に䜍眮する唯䞀の8,000m峰。山名の「シシャパンマ」はチベット語で、「生き物も死に絶える荒涌ずした土地」を意味したす。

 䞀方で奈良は倭建呜ダマトタケルノミコトに蚀わせれば、「䜏みやすい最高の理想郷」を意味する「たほろば」。

 䞡地の暪断的な移動に深い意味は無かったのかもしれたせんが、私にはその察比的な光景が非垞に面癜く感じられたした。叀代の奈良は䜎湿地垯であったこずも盞たっお、その暙高差も環境の違いも興味深いずころです。

 写真展『NEW PAST 飛鳥・藀原から東アゞアぞの旅』の土台ずなったのは、䞇葉集の䞭でも韓囜ぞず枡る道䞭の遣新矅䜿けんしらぎしによっお詠たれた望郷の歌。あるいは飛鳥・藀原〜倧阪を越え、瀬戞内を巡りながら道䞭目に映るものを曞き蚘した歌です。
 考叀孊資料から掚察された遣新矅䜿けんしらぎしのルヌトを蟿り、飛鳥・藀原の地から韓囜ぞ至るたでの接々浊々を巡りながら撮った石川さんの写真の数々が、䞇葉集の歌ず共にキュレヌションされたした。

この構成は本圓に新奇性を感じたした

 倭建呜ダマトタケルノミコトにしろ、遣新矅䜿けんしらぎしにしろ、圓時、「旅」ずいえばそれは䜿呜に他ならず、ずもすれば故郷ぞは二床ず垰れないかもしれない呜懞けのものでした。

 そういった芖点でも石川さんのヒマラダのシシャパンマ行けば登れるような堎所じゃないので道半ばで撀退ずいうこずもあるず奈良の「たほろば」の暪断には、勝手ながら倭建呜ダマトタケルノミコトや遣新矅䜿けんしらぎしの姿が投圱されお芋えたのです。

未来ぞず遺される「たほろば」の地

 「倧和は囜のたほろば」ず謳われた倭建呜ダマトタケルノミコトの故郷は、珟代における奈良県桜井垂・巻向たきむく呚蟺ずされたす。
 その界隈ずも蚀える『飛鳥・藀原の宮郜』奈良県明日銙村、橿原垂、桜井垂にある19の遺跡矀は本日、無事に䞖界遺産登録䞖界遺産䞀芧衚ぞの蚘茉が決定したした。

 蚘茉の勧告は昚日のこずのよう。あれから随分ず月日が流れたした。

 韓囜・釜山で開かれた䞖界遺産委員䌚ぞは、䞉者錎談で登壇された奈良県䞖界遺産宀調敎員の方も珟地入りしおいたす。この䞖界遺産登録のためにも駆けずり回っおいただろうから、ようやく䞀段萜ですよね。
 本圓にお疲れ様です。ゆっくり䌑  めるのかな

 ずっおも気さくな方で、幎始のトヌクむベントの際には「䞇葉集や地図も含めた考叀資料を含む『NEW PAST 飛鳥・藀原から東アゞアぞの旅』の図録も期埅しおたす」なんお気軜に立ち話をしちゃいたしたが、こうしお登録されおこそ盛り蟌める内容もあるかもしれず、勝手ながら期埅しおしたいたす。

䞇葉考叀的ラむフカルチャヌを探究する

 「明日銙村」ずいえば二蚀目には「石舞台」ずいう蚀葉が飛び出す堎所。県内でも芳光誘臎の声が倧きい゚リアずいうこずもあり、県民ながら実は近づき難さを感じおいたのです。
 そのハヌドルを取っ払っおくれたのが、かの写真展でした。

 でも、本圓はそんな颚に二の足を螏んでいる堎合ではなかったのです。
 なぜならこの䞖界遺産登録を受け、これたで以䞊にこの界隈の「環境自然、たち、暮らし」は様倉わりするこずが容易に想像できるから。

 「倉化」ずは基点ずなる初期状態があっお初めお評䟡できるものです。
 本圓なら䞖界遺産登録前の明日銙村に぀いお、もちろん橿原垂、桜井垂に぀いおも、もっず芋聞しお䜓隓しおおきたかったこずは悔やみきれたせん。

 奈良県内の䞖界遺産登録は件目。
 昚今䜕かず話題に事欠かない奈良呚蟺に察する気運の高たりを鑑みるず、これたで以䞊に様々な利害関係の絡む思惑が、奈良ぞず差し向けられそうな予感がしおいたす。

 その䞭でも呑たれずに、粛々ず「暮らしの本質ずその環境」を探究したい。どれだけ環境が倉わろうずも、人が普遍的に垌求するものは今も昔も倉わらないはずだから。


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