第1章 インドで目覚めた「根性と香辛料」
デリーの空気は、スパイスと排気ガスと砂ぼこりのブレンドでできていた。
空港の自動ドアが開いた瞬間、私は“異国情緒”という言葉の軽さを悟った。
そこは映画でも旅行パンフレットでもなく、リアルな混沌。
地面には紙くず、階段には何を待つでもない人々が腰を下ろし、
そのすぐ横でクラクションが途切れない。
「ここが国際空港なの!?」と心の中で叫んだ瞬間、
人生の“グリップ”が一瞬滑った気がした。
サプライヤーの迎えを待つ私の周りを、
無数のタクシードライバーが取り囲む。
「マダーム!タクシー?」「ホテル?」「チーププライス!」
その“チープ”の中に、命の値段が含まれている気がした。
ようやく現れた担当者とともに、
グルガオンの五つ星ホテルへ。
部屋の中は、
インテリア誌に出てきそうなほど洗練されていて、
「ここなら大丈夫」と、
一瞬だけ安心した——ほんの一瞬だけ。
翌朝。
約束の時間にロビーで待つ。
10分……30分……45分……
そして1時間後、ようやく現れた彼らは、
「Good morning!」と満面の笑顔。
怒りを通り越して、思わず吹き出した。
どうやらこの国では、
時間よりも“気分”の方が先に動くらしい。
次の日から私は、ロビーで待つのをやめた。
どうせ遅れるなら、優雅に朝食でも——
そう思ってレストランでコーヒーを頼んだ。
が、パンケーキを食べ終わり、オムレツを追加し、
フルーツをつついても、彼らは来ない。
結局、その日も顔を見たのは11時半。
「これはモーニングじゃない。
ブランチ?いや、もうランチだ!!」
私はコーヒーを啜りながら、
異文化理解という名の修行をしていた。
だけど不思議なことに、その“待ち時間”の中で、
私は少しずつこの国のペースに馴染んでいった。
焦っても仕方ない。世界は自分の時計で動いていない。
そう思えた瞬間、
私はやっとデリーの風を吸い込めた気がした
第1章・後編 コットンと混沌
インド出張三日目。
グルガオンの五つ星ホテルでは朝から
豪華なビュッフェが並んでいた。
でも、今日の私はそれを横目にカロリーメイトと
ミネラルウォーター。
なぜなら、これからパニパットまで片道三時間の
ドライブが待っていたからだ。
“腹痛より空腹の方が安全”——それがこの国の鉄則。
助手席のアシスタントは、まだ余裕の笑顔だった。
効きの悪いエアコンの車内で、
私たちはひたすら砂煙の中を進んだ。
そして彼らが「ドライブイン」と呼ぶ休憩所にたどり着いた時、
私は初めて“異文化の真の意味”を知る。
そこは、砂だらけのほったて小屋に
売店らしきテーブルと、
レストラン……らしきものが併設された空間。
壁の色は原型を留めず、
屋根は気合いで持っているように見えた。
「ここで休憩?」と聞くと、
ドライバーは誇らしげにうなずいた。
その時、隣のアシスタントが
顔を引きつらせながらつぶやいた。
「先生……私、トイレに行きたいです」
嫌な予感しかしなかった。
そして彼女は、
決意の表情でその“トイレ”へ向かった。
5分後。
彼女は青ざめた顔で戻ってきて、
私を見つめながら一言。
「先生は絶対に無理!!!」
その瞬間、私は絶望という名の悟りを得た。
——世界には、入らなくても理解できる場所がある。
やがて車はパニパットに到着した。
ドアを開けた瞬間、私は思った。
「ここは、どこ?」
空気はほこりと糸くずでできていて、
息を吸うことさえためらわれるような濃度だった。
乾いた風に混ざる繊維のにおい。
遠くではミシンの音が何百台も重なって響いている。
この国では、“綺麗な格好をしてはいけない”——
そう悟った私は、
デニムにブラウスという装備で臨んでいた。
だが車を降りた瞬間、
目の前にいたのは現地の男子ばかり。
取り囲まれた私は、
一瞬本気で攫われるかと思った。
アシスタントが背中に張り付き、
「先生……これ、やばいですよね?」
「うん。でも笑って。
笑顔は国際共通語だから。」
やっと工場の社長が現れたとき、
私たちは心から“ウェルカム”の意味を理解した。
そして工場の奥へ案内された私の前に広がったのは、
想像を超えた光景だった。
バスマット。
しかも、私が依頼したデザインではない。
次に出てきたのは、派手な絨毯。
そして見覚えのあるタグ——
“IKEA”のロゴ入り。
それは、IKEAの品質検査ではねられた
“アウトレット商品”だった。
彼らはそれを誇らしげに積み上げ、私に言った。
「This very good quality! You like? We make many!!」
私はもう笑うしかなかった。
目の前にうず高く積まれた
“夢の残骸”を見ながら、
心の中でつぶやいた。
——“ここが本当のアウトレット天国か。”
あの時の私は、絶望というより悟りに近かった。
国際ビジネスとは、
言語の壁より常識の壁が厚いということ。
そして、それを乗り越えるには、
怒りよりも笑いの方がずっと効くということを。
この頃の感覚は、今も少し続いています。
「ピンクのラベルの端っこで」
→シリーズ紹介してます。
この旅の前と後で、感じ方が変わった街がある
・NY編
→NYは、完成された街だった。でも、なぜか私は落ち着かなかった。
・ロス編
→ロスは私に成功と地獄を見せた街。今でも最高の思い出が詰まってる街でもある。
