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対戦相手のサポーターも、同じサッカーファミリーではないだろうか|サッカーファミリーについて考える②。

サッカーの試合で、いちばん分かりやすい「相手」は誰だろう。

ピッチの上なら、もちろん対戦相手の選手である。

では、スタンドではどうだろう。

ホーム側のゴール裏から見れば、反対側にいるアウェイサポーターは、かなり分かりやすい「相手」である。

違う色のユニフォームを着ている。

違うチャントを歌っている。

こちらの選手がボールを持てばブーイングすることもある。

こちらが失点すれば、飛び上がって喜ぶ。

こちらが勝ってほしいと思っている90分間、向こうはまったく逆のことを願っている。

だから、試合中は敵でいい。

私も、自分が応援するクラブには勝ってほしい。

アウェイサポーターが喜んでいる姿など、できれば見たくない。

それがサッカーだと思う。

でも、試合が終わって少し冷静になると、ときどき不思議に思う。

あの人たちも、わざわざここまでサッカーを見に来た人たちなんだよな。

もしかすると、朝5時に起きた人がいる。

新幹線で来た人がいる。

飛行機で来た人がいる。

ホテルを取っている人もいる。

何万円も使って、何時間も移動して、

こちらの町まで来てくれた。

そう考えると、

対戦相手のサポーターも、同じサッカーファミリーではないだろうか。

と思えてくる。

90分間は、絶対に負けたくない

最初に、ここははっきりさせておきたい。

私は、

「サッカーファミリーなのだから、相手サポーターとも仲良くしましょう」

と言いたいわけではない。

ライバルには負けたくない。

ダービーなら、なおさらである。

試合前から緊張する。

相手のチャントが聞こえる。

こちらも声を大きくする。

得点すれば爆発するように喜ぶ。

失点すれば静まり返る。

その感情のぶつかり合いが、スタジアムの魅力でもある。

相手サポーターがいなければ、アウェイゴール裏から聞こえてくる声もない。

スタンド同士の応援のぶつかり合いもない。

だから私は、

ライバル意識をなくすことがリスペクトではない

と思っている。

本気で勝とうとする。

本気で応援する。

相手も本気で来る。

だから試合が面白くなる。

相手サポーターがいるから、ホームゲームになる

考えてみれば、少し不思議である。

ホームゲームなのだから、ホームサポーターだけで満員になれば、それでいいようにも思える。

でも、アウェイ席に誰もいない試合を想像すると、どこか物足りない。

遠くの一角だけ違う色に染まっている。

選手紹介でブーイングが起きる。

アウェイチームが得点すると、その一角だけが突然大きく揺れる。

ホーム側がチャントを始めると、向こうも負けじと声を出す。

その存在があることで、

「今日はこのクラブと戦っている」

という感覚が強くなる。

つまり、少し皮肉な話だが、

ホームの雰囲気をつくるためにも、アウェイサポーターは必要なのである。

敵がいるから、ホームになる。

相手の色があるから、自分たちの色が際立つ。

そう考えると、対戦相手のサポーターもまた、その日の試合を一緒につくっている人なのだと思う。

アウェイへ行くと、立場が逆になる

さらに面白いのは、自分がアウェイへ行ったときである。

いつもはホームで迎える側だった自分が、今度は迎えられる側になる。

知らない駅で降りる。

知らないバスに乗る。

スタジアムへの道が分からない。

地元の人に混じって歩く。

アウェイ入口を探す。

そこで初めて、

相手サポーターが自分たちの町へ来るときも、こんな感じなのか

と分かることがある。

そして、その町で親切にされることがある。

駅で道を教えてもらう。

地元のお店で、

「今日は試合ですか」

と声をかけられる。

ユニフォームを見て、

「遠くからありがとうございます」

と言われる。

試合では絶対に負けたくない相手の町なのに、スタジアムの外では普通に歓迎される。

この感覚が、私はとても好きである。

アウェイサポーターに町を褒められることもある

以前、私は、

アウェイサポーターに褒められて、地元の人が自分の町を好きになることもあるのではないか

という記事を書いた。

地元の人にとっては当たり前の景色。

当たり前の食べ物。

当たり前の商店街。

それを、遠くから来たアウェイサポーターが、

「この町いいですね」

「この店おいしかった」

「また来たい」

と発信する。

すると、地元の人が自分たちの町の価値に気づくことがある。

試合では敵なのに、

試合の外では、地域の魅力を見つけてくれる訪問者でもある。

アウェイサポーターには、そんな二つの顔がある。

相手サポーターは、お金も時間も使って来ている

もう少し現実的に考えてみてもいい。

アウェイサポーターは、かなり大きな負担をしている。

交通費。

宿泊費。

チケット代。

飲食費。

グッズ代。

そして何より時間。

近隣クラブなら日帰りできる。

でも遠方なら、丸一日どころか二日を使う。

金曜日の仕事を終えて夜行バスに乗る人もいる。

朝一番の飛行機に乗る人もいる。

日曜日のナイトゲームなら、月曜日の仕事まで考えなければならない。

それでも来る。

なぜか。

サッカーが好きだからである。

もちろん応援するクラブは違う。

こちらのクラブに勝ってほしいわけではない。

でも、

サッカーを見るために時間を使う。

クラブを応援するためにお金を使う。

というところでは同じである。

私はそこに、「サッカーファミリー」という言葉の意味を感じる。

SNSでは、相手が少し見えにくくなる

ところが、スタジアムを離れてSNSになると、ときどきその感覚が薄くなる。

相手クラブの敗戦を必要以上に揶揄する。

選手のミスを笑う。

降格を面白がる。

相手サポーターそのものをひとまとめにして悪く言う。

もちろん、冗談もある。

ライバル同士の軽い煽り合いも、サッカー文化の一部だと思う。

全部を禁止してしまえば、ずいぶん窮屈になる。

ただ、画面の向こうにいる人が見えなくなると、言葉は少しずつ強くなる。

スタジアムですれ違えば普通に道を譲る相手にも、SNSなら強い言葉を書けてしまう。

そこで、

同じサッカーファミリーだよね

という視点が、ほんの少し役に立つのではないかと思う。

相手を好きになる必要はない。

でも、相手も自分と同じようにサッカーを大切にしている人かもしれない。

それを思い出すだけでいい。

「サッカーファミリー」は、敵味方をなくす言葉ではない

前回、「サッカーファミリー」という言葉について考えた。

JFAは、サッカーファミリーを「サッカーに関わるすべての人々」と捉えている。

そしてリスペクトを、

大切に思うこと

としている。

この二つを組み合わせると、私はとても腑に落ちる。

サッカーファミリーとは、

敵味方をなくすための言葉ではない。

むしろ、

敵味方に分かれても、相手の存在まで否定しないための言葉

なのではないだろうか。

90分間は敵。

試合が終われば、同じサッカーを好きな人。

その二つは矛盾しないと思う。

アウェイ席に人がいることを、もう少し喜んでもいい

ホームゲームでアウェイ席を見る。

たくさんの人が来ている。

こちらからすれば、

「よく来たな」

と思う。

そして、

「絶対に勝たせないぞ」

とも思う。

私は、それでいいと思う。

むしろ両方あった方がいい。

遠くまで来てくれてありがとう。
でも勝点3は渡しません。

それくらいの関係が、サッカーらしい。

相手がいる。

相手にも歴史がある。

相手にも応援してきた人がいる。

その人たちが自分たちの町まで来て、同じ90分に一喜一憂する。

考えてみれば、なかなか不思議なことである。

違う色のユニフォームを着た、同じ種類の人たち

アウェイ席を見ると、違う色の人たちがいる。

でも少し近づいてみれば、やっていることは驚くほど似ている。

ユニフォームを着る。

タオルを持つ。

選手の名前を覚える。

チャントを歌う。

勝てば喜ぶ。

負ければ落ち込む。

遠征する。

試合後に仲間と反省する。

次の試合の日程を確認する。

こちらが、

「なんでこんな遠くまで来てしまったんだろう」

と思っている日には、たぶん向こうも同じことをしている。

応援しているクラブが違うだけで、

サッカーに振り回されているところまで、よく似ている。

そう考えると、少し可笑しくなる。

そして少し親近感も湧く。

サッカーを愛する人同士だから、本気で戦える

私は、リスペクトとは相手に遠慮することではないと思う。

相手が強ければ強いほど倒したい。

ライバルには絶対に負けたくない。

相手サポーターより大きな声を出したい。

それでいい。

ただ、その熱さの奥に、

相手もまた、このサッカーを一緒につくっている人だ

という感覚が少しだけ残っていてほしい。

それがあれば、勝ったときの喜びも、負けたときの悔しさも、そのままでいい。

相手を傷つけなければ自分のクラブを愛せないわけではない。

相手を否定しなければライバルになれないわけでもない。

むしろ、

相手を認めたうえで、それでも絶対に負けたくない。

その方が、ライバル関係として格好いい気がする。

次に気になるのは、もっと難しい相手である

対戦相手のサポーターなら、まだ分かりやすい。

応援するクラブは違っても、

サッカーが好き。

という共通点が見えるからである。

では、もっと難しい相手はどうだろう。

試合中、ときにはホームとアウェイの両方から不満をぶつけられる人がいる。

審判である。

判定に腹が立つことはある。

「今のファウルだろう」と思う。

「なぜカードが出ないんだ」と言いたくなる。

私だってある。

でも、その人がいなければ試合は始まらない。

そして審判もまた、サッカーに関わる人である。

だとすれば、

判定に腹が立っても、審判もサッカーファミリーではないだろうか。

次は、この少し難しい問いについて考えてみたい。

次回:判定に腹が立っても、審判もサッカーファミリーではないだろうか


この問いを、もう少し考えてみたい方へ

ワールドカップをきっかけにサッカーを見る人が増えたとき、その人たちをすぐに「にわかファン」と呼んでしまってよいのだろうか。
この問いから、いくつかの記事を書いています。
「にわかファン」が増えることは、日本サッカーにとって本当に悪いことなのだろうか

まず、「にわか」という言葉そのものから考えました。
4年に一度しかサッカーを見ない人も、日本のサッカー文化をつくっているのだろうか

毎週見る人だけが、サッカーファンなのか。ワールドカップのときだけ見る人も、日本サッカーを支える「見る人」の一人ではないかと考えました。
そして、この問いはさらに大きなテーマにつながりました。
2050年、日本が「サッカー大国」になるとは、どういうことなのだろうか

日本代表がワールドカップで優勝することだけが、サッカー大国なのか。
プレーする人、見る人、話す人、教える人、支える人。
サッカーとのさまざまな接点が日常の中に広がっていることも、「サッカー大国」の一つの姿ではないかと考えています。
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