判定に腹が立っても、審判もサッカーファミリーではないだろうか|サッカーファミリーについて考える③
サッカーを見ていれば、審判の判定に腹が立つことはある。
「今のファウルだろう」
「なんでカードが出ないんだ」
「そこは流すのか」
「さっきは取ったじゃないか」
スタジアムでも、テレビの前でも、思わず声が出る。
VARが導入されても、それはなくならなかった。
むしろ映像が何度も映されるようになったことで、
「ほら、やっぱりファウルじゃないか」
と思うこともある。
私もサッカーを見る側なので、その気持ちはよく分かる。
だから今回、
審判の判定に文句を言ってはいけない
という話を書くつもりはない。
判定について議論することと、審判を大切にすることは両立できると思うからだ。
ただ、前回まで「サッカーファミリー」という言葉について考えてきて、一つ引っかかることがあった。
選手もサポーターもサッカーファミリー。
対戦相手のサポーターもサッカーファミリー。
では、
私たちが試合中に最も強い言葉を向けることがある審判も、同じサッカーファミリーではないだろうか。
今回は、そこを考えてみたい。
審判は、応援してくれる人がほとんどいない
考えてみると、審判という役割はかなり特殊である。
ホームチームにはホームサポーターがいる。
アウェイチームにはアウェイサポーターがいる。
選手にはファンがいる。
監督を支持する人もいる。
ところが、審判には基本的に、
「今日は審判を応援しに来ました」
という観客はいない。
ホーム側に有利な判定をすれば、アウェイ側から不満が出る。
アウェイ側に有利な判定なら、ホーム側から不満が出る。
微妙な判定なら、両方から何か言われることさえある。
しかも、審判にとって最高の試合とは何だろう。
おそらく、
試合後にほとんど審判が話題にならない試合
なのではないか。
選手ならスーパーゴールを決めれば称賛される。
GKならスーパーセーブがある。
監督なら采配が当たったと評価される。
審判は、難しい試合をうまくコントロールしても、何事もなかったかのように試合が終わる。
それが仕事なのかもしれない。
考えてみれば、なかなか大変な役割である。
審判は、ごく少数の特別な人だけではない
Jリーグを見ていると、審判というとプロの試合を担当するトップレフェリーを想像しやすい。
ところが、日本サッカー全体で見ると景色がまったく違う。
JFAの2025年度データでは、登録サッカー審判員は28万4569人いる。
そのうち1級は266人。
一方で4級には、一般13万6342人、U-18が7万5730人、U-15が3万818人いる。つまり、審判の世界はトップカテゴリーのごく少数だけで成り立っているのではなく、地域や育成年代を支える非常に多くの人によって成り立っている。(日本サッカー協会)
これは、かなり大きな数字だと思う。
ちなみに同じ2025年度のJFA登録サッカー選手は約83万6000人である。単純比較はできないが、登録審判員が約28万人いることからも、サッカーという競技がどれだけ多くの「笛を吹く人」に支えられているかが分かる。(日本サッカー協会)
私たちが週末に当たり前のように見ている試合は、
選手が22人集まったから成立する
だけではない。
誰かが審判を引き受けてくれたから成立している。
育成年代まで下りると、もっと身近な存在になる
少年サッカーまで視点を下げると、審判はもっと身近になる。
お父さんが資格を取る。
チームの指導者が審判を兼ねる。
高校生が資格を持って下の年代の試合を担当する。
地域のサッカーに長く関わっている人が週末に笛を吹く。
JFAの数字でも、4級審判にはU-18だけで7万人以上、U-15でも3万人以上が登録されている。(日本サッカー協会)
つまり、
審判は「向こう側にいる誰か」ではない。
同じ地域でサッカーをしている人かもしれない。
自分の子どもと同じ学校の生徒かもしれない。
別の試合では選手としてプレーしている人かもしれない。
そう考えると、「審判」という記号の向こう側に、急に一人の人間が見えてくる。
育成年代のサッカーを考えるとき、私たちは送迎や当番など、さまざまな人の支えについて考える。
審判も、その一つなのだと思う。
判定への批判と、審判への攻撃は同じではない
ここは、きちんと分けておきたい。
審判も人間だから間違える。
判定について検証することは必要である。
プロスポーツならなおさらだ。
判定基準について説明する。
映像を検証する。
審判の技術を向上させる。
VARの運用を改善する。
こうした議論まで、
「審判をリスペクトしましょう」
という言葉で封じてしまうのは違うと思う。
リスペクトとは、無批判になることではない。
問題は、
判定を批判すること
と、
判定した人間を攻撃すること
が、いつの間にか混ざってしまうことである。
「この判定はおかしい」
と、
「あの審判はダメだ」
は少し違う。
さらに、
「あいつは○○びいきだ」
「二度と笛を吹くな」
とエスカレートすれば、判定の検証からずいぶん遠くなる。
SNSでは特に、その境界が見えにくい。
スタジアムで叫ぶ言葉と、SNSに残す言葉は少し違う
試合中、目の前で微妙な判定が起きる。
スタンド全体から、
「えええええ!」
という声が上がる。
これはサッカーの風景の一つだと思う。
その瞬間は感情が動いている。
自分のクラブが不利になったと思えば腹も立つ。
ところがSNSは少し違う。
試合が終わっても残る。
文字として残る。
拡散される。
そして、場合によっては本人にも届く。
スタジアムで一瞬発した、
「今の違うだろ!」
と、
試合後に個人名を出して何度も攻撃することは、同じではない。
ここでも、
審判もサッカーファミリーの一人だ
という感覚が、小さなブレーキになってくれるのではないかと思う。
怒ってはいけないのではない。
怒ったあとに、一人の人間が向こう側にいることを思い出す。
それだけでも違う。
審判がいなければ、試合は始まらない
当たり前すぎて、普段は考えない。
選手がいる。
ボールがある。
ゴールがある。
スタジアムがある。
観客も集まった。
それでも、審判がいなければ公式戦は成立しない。
私たちが楽しみにしていた90分を成立させるために、
誰かがピッチの中央に立つ。
判断する。
走る。
選手同士が熱くなれば間へ入る。
ファウルかどうかを一瞬で決める。
カードを出すか判断する。
そして、その判断を何万人もの観客とテレビ視聴者に見られる。
審判は試合の主役ではない。
でも、
主役ではないのに、いなければ物語そのものが始まらない。
そういう存在なのだと思う。
前回考えた「対戦相手」と、実はよく似ている
前回、
対戦相手のサポーターも、同じサッカーファミリーではないだろうか
と考えた。
そのとき私は、
敵味方に分かれても、相手の存在まで否定しない
ことが、サッカーファミリーという考え方の一つなのではないかと書いた。
審判についても似ている。
判定に納得できなくてもいい。
抗議する場面もある。
検証も必要である。
でも、
その人がサッカーを成立させている一員であることまで否定する必要はない。
判定への評価と、人へのリスペクトは分けられる。
サッカーを愛しているからこそ、審判にも厳しくなる
考えてみれば、審判への怒りも、もともとはサッカーへの愛情から生まれていることが多い。
大切な試合だから。
応援しているクラブだから。
絶対に勝ちたいから。
一つの判定で結果が変わるかもしれないから。
どうでもいい試合なら、それほど腹も立たない。
つまり、
審判への強い感情の根元にも、サッカーを大切に思う気持ちがある。
だからこそ、少しだけ方向を変えられないだろうか。
サッカーを大切に思う。
自分のクラブを大切に思う。
だから判定にも真剣になる。
そして同じように、
その試合を成立させている審判も大切にする。
全部を同時に持つ。
それがリスペクトなのではないだろうか。
子どもは、大人が審判に向ける言葉も聞いている
そして、もう一つ気になることがある。
育成年代の試合である。
子どもがプレーしている。
その横で大人が見ている。
判定に不満がある。
大人が審判へ強い言葉を向ける。
その声を、子どもは聞いている。
もし、
「判定が自分に不利なら、審判には何を言ってもいい」
という空気を大人がつくれば、それもまた次の世代へ伝わる。
逆に、
「今の判定は納得できない。でも審判へのリスペクトは失わない」
という姿も見せられる。
サッカー文化は、ルールブックだけで受け継がれるものではない。
大人がサッカーにどう接しているかによっても受け継がれていく。
これは、この先もう少し考えてみたいテーマでもある。
判定に腹が立ってもいい
私はこれからも、試合を見ていれば言うと思う。
「今のファウルじゃないの?」
「カード出るだろう」
「それは厳しすぎない?」
たぶん、なくならない。
それでいいと思っている。
サッカーを真剣に見ているから感情が動く。
でも、そのあとに、
それでも審判がいてくれたから、今日の試合ができた。
ということまで思い出せたらいい。
完璧な選手がいないように、完璧な審判もいない。
選手がミスをする。
監督も判断を間違える。
サポーターだって、ときには言い過ぎる。
それでも、みんなでサッカーをつくっている。
そう考えると、
判定に腹が立っても、審判は同じサッカーファミリーである。
私はそう思う。
では、勝った側はどうだろう
ここまで、
対戦相手のサポーター。
審判。
と、自分とは違う立場にいる人について考えてきた。
でも、リスペクトがいちばん難しい瞬間は、もしかすると別のところにある。
自分たちが勝ったときである。
負けたときは悔しい。
でも勝ったときには余裕がある。
嬉しい。
SNSにも書きたくなる。
相手を少し煽りたくなることもある。
そんなときこそ、サッカーファミリーという大きな輪を思い出せるだろうか。
次は、
勝ったあとほど、サッカーファミリーとして相手へのリスペクトが必要なのではないだろうか。
そこを考えてみたい。
次回:勝ったあとほど、サッカーファミリーとして相手へのリスペクトが必要なのではないだろうか
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